【書評】待つのではなくて、葛藤してみる
 解説:韓英恵(女優)

『「女子」という呪い』(雨宮処凛著)

 父親が韓国育ちの日韓家庭で育った私はまさしく、「女は家庭、男は仕事」で育った。

 私の父にはフェミニズムの言葉はなく、家族の中で父親が一番えらく権利を持つという考え方の人だった。しかし、私の母はバリバリのキャリアウーマンなため、家にいることは少なく、幼いころ母親と過ごした記憶はほぼない。母が忙しくて夕飯を作る暇がなく総菜を買ってくるだけで、父親は大激怒し夫婦喧嘩が発生することもよくあった。父の言い分としては、「働いてばかりで夕飯も作れない」ということ。今思えば、よくこの夫婦離婚しなかったな~と娘は思う。ご飯を一緒に食べるという事がすごく大切なコミュニケーション方法である韓国の文化とは、ほど遠い家庭のあり方だったかもしれないが、そこには男女の仕事区分がはっきりとわかれているように思えた。しかし、日々の生活の中で反発する母に負けたのか、最近では掃除、皿洗い、犬の世話まで父親の仕事で、私の家では完全に母が強い。仕事をして家に帰ってきてもキャリアウーマン意識が消えない彼女は、ビールを飲み、会社の部下のように父と娘をこき使う。最近それもまた違う気がしていた。

 この本には、雨宮さんが体験した「女」としての壮絶な人生が綴られているが、わたしも同じく、そんな社会が作った理想の女でも、母の部下でもなく、自分のために自分らしく生きること……を主張したい。去年、「♯MeToo」をつけてハリウッド女優たちがセクハラ問題に対して声をあげた。それは全世界のどんな職種の女性からも共感をえるものであった。日本でも役者という仕事の中で、きっと蓋を開ければ知らなかったことが見えてきてしまうのかもしれない。

 誰かが、何かが、変わることを待つのを私はやめた。待つのではなくて、今日も居場所がなくて、セクハラの末に自殺しようとしているその誰かが、明日も生きてみようと思える映画を作りたい――。そんな時代の中で細々と日々もがきながら、葛藤してみようとしている。


『「女子」という呪い』
『「女子」という呪い』
雨宮処凛著
集英社クリエイティブ
税抜価格 1,100円
発売日 2018年4月5日