眼鏡やコンタクトレンズをつけているだけで、あなたは障害者だ、と言われたら、おかしなことを、と思うだろう。たしかに現代では眼鏡やコンタクトがあるので、日常生活に支障はないが、これが鎌倉時代ならどうであったか。おそらく盲者として周囲に扱われただろう。おかしな話だ。あなたという個人は同じでも、時代によってあなたは健常者だったり、障害者だったりする。
これは「障害学」の入り口の扉だ。「じゃあ、『障害』って何だよ?」という問いがこれに続く。
本書は、経済学と障害学との対話を通し、新たな視座を提供している。経済学は、金回りの話で、福祉とは遠い、というイメージもあるだろう。経済学はそもそも「社会の厚生(幸せ)の最大化」を志す学問であり、社会の中には当然障害者も含まれる。だが、効率や生産性という数直線で下位に置かれがちな障害当事者たちにとって、経済学は支えの杖にはなりづらかった。
この遠かった2つの領域を接近させた本書がきっかけとなり、両学問にイノベーションが起きることを願う。
最後に、個人的な話をしたい。私は、重度障害児のための保育園(障害児保育園ヘレン)を立ち上げた。行政から補助を一部もらうのだが、ある子どもは補助加算がもらえなかった。その子はチューブによる栄養補給等、医療ケアが必要だが、移動はできる。そのため「寝たきり」を重度の条件にする行政分類から外れ、加算補助がなかったのだ。
医療技術が進歩し、以前なら亡くなっていた子どもたちが、障害がありつつ生きられるという新たな障害のあり方が生まれている。だが社会の仕組みがまだそこに追いついていない。
障害と関わることは、時代に相対することだ。それは、眼鏡の無い時代に眼鏡を創り出す旅に似ている。
多くの人がこの旅を共にしてくれることを僕は強く願う。