【書評】扇動した政治家たちの罪
 解説:本房 歩(ライター)

『年金不安の正体』(海老原嗣生)

「まず謝れよ国民に」

 2019年7月の参議院選挙で、野党が〝争点〟だとしたのが「消費税」と並んで「年金不安」だった。
 金融審議会「市場ワーキング・グループ」が提出した報告書に、

夫65歳以上、妻60歳以上の夫婦のみの無職の世帯では毎月の不足額の平均は約5万円であり、まだ20~30年の人生があるとすれば、不足額の総額は単純計算で1300万円~2000万円になる。

と記載されていたことを、立憲民主党や国民民主党、日本共産党など野党がいっせいに問題視したのだ。
 立憲民主党の辻本清美・国対委員長は、

 びっくりした。国民に対し、老後は年金だけでは暮らせないから、投資も含め2千万円かかるぞ、と。(中略)まず謝れよ国民に。申し訳ないと。(『朝日新聞』6月5日付)

 日本共産党の小池晃・副委員長は、

 百年安心だと言っていたのが、いつの間にか人生百年の時代だから年金当てにするなと、自己責任で貯金せよと。国家的詐欺に等しいやり方ですよ、これは、はっきり言わせていただいて。(「参議院 決算委員会」6月10日)

 これらはごく一部であるが、彼らは選挙を前に、あたかも「年金だけでは暮らせない」ということが突然明るみになり、さらに年金制度が破綻するかのように騒ぎ立てたのである。

一変した民主党の主張

 この野党の煽りを真に受け、不安を覚えた方に、一読を勧めたい本がある。2019年11月に刊行された『年金不安の正体』(海老原嗣生著/ちくま新書)だ。
 同書は、これまでいくつもの政党が一時的な票集めに利用してきた「日本の年金は破綻する」という言説が、いかに初歩的な事実誤認、あるいは詐術的なものであるかを、丁寧に解説している。
 詳しくは同書に譲るとして、今の野党がいかに悪質な「年金不安」煽りをしてきたかの一端を紹介しておきたい。

 現在の立憲民主党党首で、旧民主党政権では官房長官などの要職を歴任した枝野幸男氏は、二〇〇四年四月に、「(現行の公的年金制度は)間違いなく破綻して、五年以内にまた替えなければならない」と言っていた。同様に、旧民主党代表の岡田克也氏は、同党代表の座にあった二〇〇五年、「国民年金制度が壊れている」と主張していた。(『年金不安の正体』)

 ところが2009年に民主党が政権を取ると、主張はガラリと一変する。

トータルで一億人の方がこの年金制度にかかわっているわけでございます。この制度が破綻をしている、あるいは将来破綻をするということはございません。これは、二十一年の財政検証でも収支の長期の見通しは立っておりますので、破綻をすることはない。(2012年5月21日「衆議院社会保障と税の一体改革に関する特別委員会」での野田佳彦首相の答弁

年金制度破綻というのは、私もそれに近いことをかつて申し上げたことがございます。それは大変申しわけないことだというふうに思っております。やや言葉が過ぎたことは間違いありません。(2012年5月22日「衆院社会保障と税の一体改革に関する特別委員会」での岡田克也・国務大臣の答弁

 いわゆる年金改革がおこなわれた2004年前後、あれほど「破綻する」「壊れている」と民主党が叫んでいた年金制度だが、16年経った今も制度は破綻などしていない。
 なにより、政権の座に就くなり当時の民主党の首脳たちが前言を謝罪し、「将来破綻することはない」と明言しているのである。

 年金料率は、二〇一八年以降はもう上げない。足りない分は、高齢者の年金支給額を減額して帳尻を合わせる。ただ、その減額にもボトム設定がある。現在では現役世代の収入の六割をもらえる想定だが、将来減額しても五割は維持することを目途にしている。現状では、この想定以上のラインで年金財政は推移している。(同書)

年金は「高齢世帯の下支え」

 さて、ここで昨年の参院選直前に野党が煽り立てた「年金不安」の真相を確認してみよう。
 まず、「老後は年金だけでは暮らせない」から「謝れよ国民に」と言い放った立憲民主党の辻元氏の発言。
 辻元氏にかぎらず野党各党は、まるでこれまで政府が〝老後は年金だけで暮らせる〟とでも言っていたかのような批判を異口同音に繰り返した。
 だが『年金不安の正体』では、36年も前の国会での重要なやり取りが指摘されている。
 年金支給額が定年後の想定される出費に対して2000万円以上足りなくなると、実はすでに1984年4月25日の参議院委員会で、自民党の松岡萬壽男氏が旧労働省に問いただしているのだ(参議院「国民生活・経済に関する調査特別委員会高齢化社会検討小委員会」)
 ちなみに定年が60歳だった当時、郵政省の試算では不足分は2619万円と出ていた。
 これまでの政府統計でも、平均的な高齢世帯では年金だけで生活費のすべてが賄えないことは明らかにされていた。
 なぜなら年金など社会保険は生活保護とは異なり、あくまでも「高齢世帯の下支え」として設けられているものだからだ。

「ケリのついた問題」だった

 海老原氏はさらに同書のなかで、2004年の時点でも当時の小泉純一郎首相が、ほかならぬ共産党の小池晃氏の質問に答えていたやりとりを紹介している。
 以下、同書に引用された国会での発言を、あらためて参議院の議事録(参議院「決算委員会」2004年5月31日)から取り出して並べてみよう。

小池「公的年金の水準をここまで引き下げてどうやって生きていけと総理おっしゃるんですか」
小泉「公的年金だけで全部生活費を見るということとは違うと思うんですね。大きな柱の一つになってきているというのは事実でありますが、そのほかに日ごろの備えをしていかなきゃならないという点もあるでしょう」
小池「公的年金だけで生きていけないというのであれば、百年安心の年金制度などという看板はでたらめじゃないですか」
小泉「公的年金ですべて生活できる人も一部にはいるでしょう。しかし、公的年金以外に自分の蓄えているものもあるでしょう。そして、なおかつ生活保護制度というのもあります。いろいろな組合せです。そういう中で、しっかりとした社会保障制度を作っていこうということであります」

 年金改革の実施にあたって小泉首相は、公的年金はあくまで老後の「大きな柱の一つ」であって、「公的年金だけで全部生活費を見るということとは違う」と答弁して議事録にも残されている。
 このことを確認したうえで、本稿の冒頭に紹介した2019年6月の辻元氏や小池氏の発言を見れば、まことに呆れかえるしかない。
 小池氏は2004年の時点で自分が質問に立ち、「はっきりケリのついた問題」(海老原氏)を、何食わぬ顔で今また持ち出して、「国家的詐欺」だと煽り立てていたのである。
 なお、現在の立憲民主党の枝野代表について海老原氏は、

 終始一貫いい加減なことを言い放ち、その発言を訂正も謝罪もしなかった枝野氏(同書)

と厳しく断罪している。
 旧民主党政権の首脳たちが当時語った通り、日本の年金制度は破綻などしない。
 むしろ、人々の老後への不安につけこんで、党利党略から平然とデマに等しい発言を繰り返してきた政治家たちこそ、歴史に裁かれるべきだろう。


『年金不安の正体』
『年金不安の正体』
海老原嗣生
筑摩書房
税抜価格 780円
発売日 2019年11月16日