壮大な空想の戦闘記
古代インドで成立した「マハーバーラタ」は、10万余の対句から構成され、世界最大の叙事詩と言われている。
古代ギリシャの「イーリアス」「オデュッセイア」と共に〝世界三大叙事詩〟と称えられ、インドにおいては「ラーマーヤナ」と並ぶ二大叙事詩とされてきた。
物語は、パーンドゥ家とクル家の王子たちによるバーラタ王朝内の争いを軸に、数多くの人物の性格描写や事件の記述を通じて、人間の強さと弱さ、高貴さと卑劣さ、美しさと醜さなど、人間にまつわる古くて新しい普遍的なテーマを展開させている。(第三文明選書『マハーバーラタ(上)』訳者まえがき)
ストーリーの概要を書くだけでも何千字も費やしそうな大長編だ。とくに中盤から始まる大戦争の描写は、昔も今も人々の想像力をかき立て、強い衝撃を与えてきた。
なんと言っても戦車やミサイル(本書でも訳者は「超飛行武器」に「ミサイル」とルビを振っている)、さらに核兵器を想起させるような「宇宙原理を応用した飛行武器」まで登場するのである。
ただし「マハーバーラタ」は、戦争を美化する話ではない。この果てしない権力闘争と破滅的な戦闘を詳細に描くことで、物語は戦争の悲惨さと無意味さを強調していく。
そして戦争が終わり、真に人間がめざすべきものとは何かへと人々を導いていくのだ。
最終章の(第三文明選書『マハーバーラタ(下)』)第106章には、
生命の旅における永遠不変の同行(とも)は、ダルマただひとり
という〝真理〟の言葉が登場する。ダルマというのは、仏教の示す「法」にあたる。
インド独立に並行した英訳
では、このもともとサンスクリット語で綴られていた大叙事詩はいつ、誰によって成立したのだろうか。
第三文明者版の訳者の奈良毅は、
紀元前四百年ごろから紀元後二百年ごろに至る約六百年の間に、何人かの賢者が、何らかの歴史的事実に当時の民間口承伝説を織り交ぜて物語をつくり、それに新しい要素を次々と書き加えて、今日見られるような形に仕上げていったのではないかと考えられる。(同)
と記している。
奈良の推測が正しいとすると、釈尊の教団が形成された時期から法華経に代表される主要な大乗経典が成立していった時期に、ほぼ重なるだろう。
それはまさに広大なインドで、民衆に希望と覚醒を与えようとする精神運動が、人々の口から口へと広がっていった時代と言えるかもしれない。
その大叙事詩を平易な英語に編訳し、今日のインドおよび世界の人々が親しめるようにした功労者が、チャクラヴァルティ・ラージャーゴーパーラーチャリ(1878-1972)である。
彼はイギリス統治時代にマドラス州(当時)知事を務め、戦後は独立前の歴代インド総督のなかで唯一のインド人総督となっている。
また自らはバラモン階級の出身でありながらカースト制に疑義を唱え、禁酒法や農民の借財救済法の制定など、差別と貧困にあえいでいた人々の救済へ行政手腕をふるった。
驚くことに彼は、インド独立に前後するこうした政治家としての多忙な日々の合間を縫って、1950年7月に『マハーバーラタ』の英訳を完成させているのである。
幼少期から世界の文学を読み込んできた彼の眼には、インドの独立にとって、民衆の精神の基軸となってきた「マハーバーラタ」の普及が不可欠のものと映っていたのだろう。
新作歌舞伎にも登場
本書は、そのチャクラヴァルティ・ラージャーゴーパーラーチャリの歴史的な偉業を、東京外国語大学名誉教授などを歴任した奈良毅(1932-2014)が、田中嫺玉※(1925-2011)の協力を得て邦訳したものだ。
第三文明社からレグルス文庫として1983年に刊行されたものを底本とし、日印文化協定の発効から60周年、日印友好交流年となった2017年に「第三文明選書」9~11の上中下3巻として、装いも新たに復刊された。
なお、第三文明社からは『タゴール著作集』(全11巻および別巻)が刊行されており、奈良はこのなかでもいくつかの翻訳にあたっている。
話を『マハーバーラタ』に戻すと、2017年には歌舞伎座の「芸術祭十月大歌舞伎」でも、新作歌舞伎『極付印度伝マハーバーラタ戦記』として上演されている。
今やインドはIT大国となり、多くの人材が日本のビジネス界でも活躍する時代となった。
そのインドの民族的魂ともいえる「マハーバーラタ」。
平易な言葉に訳された世界三大叙事詩の一つに、一度触れてみてはどうだろうか。
※嫺は正しくは「女」偏に「間」