もしあの戦争がなかったなら――。
戦争経験者だけでなく、今の若い人も、その思いは同じだ。本書の著者は、30歳の在野の研究者・岩井秀一郎。
大学で歴史学を学ぶ前、岩井は日本が戦争をはじめたきっかけとして、漠然と「海軍は慎重派(善玉)」「陸軍は強硬派(悪玉)」という捉え方をしていたそうだ。
だが、多田駿(はやお)陸軍大将の存在を知った時、その固定観念が音を立てて崩れ去った。多田こそが、「戦争拡大を最後まで防ごうとした陸軍軍人」だったのである。
多田が真っ向から戦争拡大反対を訴えたのは、昭和12年以降、参謀本部次長の職にあった時のことだ。当時、陸軍は強硬派が多数を占めており、それに反対していた石原莞爾(かんじ)が多田を「中央」に呼び寄せた。だが、間もなく石原は関東軍へと転出してしまう。石原なき陸軍で、強硬派に抵抗するべく孤軍奮闘したのが多田だったのである。
なぜ多田は戦争拡大にノーを突きつけたのか。次のような言葉を残している。
世間ではよく全体主義というが、私は一体主義ということを考えている。私は一について考えて見たが、天下の物事一より小なるはなく一より大なるものなし、宇宙は一に始まり、一に成る。従って一を尊び一を究め一に帰して全しということになる。
彼は満州国軍政部最高顧問の任に当たった経験から、自国の利益だけでなく、世界の幸福を追求すべきという確固たる信念を抱いていたのである。
ところで、なぜ今、本書が書かれなければならなかったのだろう。
現代の日本には、あの時代の全体主義に似た空気が蔓延(まんえん)している。ヘイトスピーチ、「共謀罪」法、憲法9条改正……。若い著者はそうした時代の閉塞(へいそく)的な空気を痛切に感じていたからこそ、多田の思想に共鳴し、その存在と歴史を伝える必要があると考えたのではないか。
著者が引用する多田が残した言葉には、現代に通じるものが多数ある。今の日本に疑問を抱いている人にこそ、ぜひ読んでもらいたい1冊だ。