インドを目覚めさせた「詩聖」
およそ10年後の2020年代後半には世界一の人口に達するインド。近年、ようやく日本はインドとの間の経済交流、また安全保障を含む政治対話に、本格的に乗り出した。
とはいえ、私たち日本社会はインドという大国をどこまで知っているのか。
インドを理解し、語るうえでの〝肝〟ともいえる存在が、ラビンドラナート・タゴール(1861-1941)だろう。詩集『ギーターンジャリ』で1913年、アジア人として最初のノーベル賞に輝いた。
彼は「詩聖」と尊称される詩の業績にとどまらず、小説家、音楽家、画家など、まさに芸術万般に通じた美の巨人だった。現在のインドおよびバングラデシュの国歌は、いずれもタゴールの作詞・作曲によるものである。
同時にタゴールは優れた教育者、思想家として、ガンジーやネルーら、のちのインド独立を導く指導者たちに強い影響を与えた。インドは、タゴールの声によって長い眠りから目覚めたといってよい。
大正時代の日本もたびたび訪れ、岡倉天心や横山大観と交流した。ベルクソン、アインシュタインら世界各国の知性たちとも親交を深め、「東」と「西」をむすぶ大きな役割を果たした。
池田SGI会長とタゴール
このインドの魂ともいうべきタゴールの生誕100年を記念して、西ベンガル州政府が創立したのがラビンドラ・バラティ大学。最初のキャンパスはタゴールの生家だった。
同大学は、タゴール自身が創立した学園を淵源とするタゴール国際大学と並んで、タゴールの教育哲理を今日に継承する名門大学だ。
本書は、ラビンドラ・バラティ大学副総長のバラティ・ムカジー博士と、池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長が、詩聖タゴールをめぐって縦横に語り合った対談集である。
ムカジー博士は、インド政治学会永久会員として名をとどめる著名な政治学者。一方の池田会長は「タゴール平和賞」の第1回受賞者であり、ラビンドラ・バラティ大学とタゴール国際大学の双方から名誉博士号を授与された世界桂冠詩人である。
池田会長がラビンドラ・バラティ大学を初訪問したのは1979年2月。早い時代から、会長は一貫してインドの指導者や有識者と信義の対話を重ね、日印の教育の橋を地道に築いてきた。
1981年には第三文明社から『タゴール著作集』が刊行されている。さらに、池田会長はインドを代表する幾人もの知性たちと、対談集を編んできた。
そして、タゴール生誕150周年の佳節となった2011年に、ムカジー博士と月刊誌『灯台』(第三文明社)誌上でタゴールをめぐる対談を開始したのだった。
宗教性こそ政治の基盤
対談では、「教育」「女性」「非暴力」などさまざまな角度からタゴールの人物と思想、行動に光が当てられる。
なかでもハイライトは、タゴールが仏教思想に見出していたものをめぐる議論だろう。若くしてウパニシャッド哲学に通暁していたタゴールは、のちに仏陀の思想を呼吸していく。
すでにその教えを理解する基盤が整っていたタゴールの心は、〝万人の内なる生命に聖なるものを求めよ〟という、仏陀の至高のメッセージによって純化されていきました。(ムカジー博士)
インド社会からほとんど姿を消していた仏教の水脈は、いわばタゴールによって文学へと昇華され、インドの人々に再発見された。その宗教性は、ガンジー、ネルーらに影響を与え、インド独立と新国家の建設に光を贈り続けてきた。それは、インドの国旗にもその一部が描かれた国家の紋章として、仏教を基調とした治世をおこなったアショーカ王の法勅を刻んだ石柱柱頭の図柄が用いられていることにも象徴されている。
ダルマ(倫理的規範)としての宗教は、政治の本質自体をなすものであると私は確信しています。(ムカジー博士)
1920年、第一次世界大戦後のフランスを訪れたタゴールは、友人への手紙にこう綴っている。
真の善は悪の否定にあるのではなく、悪の征服にあるのです。それは混沌の擾乱(じょうらん)を美の舞踏に変える奇蹟なのです。真の教育はそうした奇蹟の力であり、そうした創造の理想なのです。(「友への手紙」福田陸太郎訳『タゴール著作集』11巻所収/第三文明社)