「世界宗教化」が進む創価学会
週刊誌『AERA』の43回にわたる連載に加筆して上梓されたもの。厚さ4センチ、全590ページ近い大部である。
著者の佐藤優氏は周知のとおり元外務省主任分析官で、同志社大学大学院神学研究科を修了したプロテスタントの作家だ。
1930年に創価教育学会として誕生した創価学会は、本年(2020年)11月18日で創立90周年を迎えた。
単に日本最大の宗教運動であるのみならず、その支援する公明党は20年にわたって日本の政権の一翼を担っている。
一方で、SGI(創価学会インタナショナル)は192カ国・地域に広がっている。ヨーロッパでは最大の仏教教団であり、たとえばイタリアSGIはカトリックの本場イタリアでも仏教教団として唯一、国家の公認宗教12宗派の1つとして認められている。
創価学会は、すでに「世界宗教化」をはじめているのである。
1世紀に満たない時間で、なぜこれほど社会に影響力をもたらす教団に発展できたのか。
創価学会は、日本の社会、政治、経済のみならず、国際関係にも大きな影響を与える。にもかかわらず創価学会の内在的論理についてわかる本が少ない。ならば自分でそのような本を書いてみようと思った。(本書「あとがき」)
佐藤氏は、なによりも「池田大作SGI会長について知ること」が、現下の日本と世界を知るうえできわめて重要だという認識を示す。
本書のタイトル『池田大作研究』と、副題「世界宗教への道を追う」には、こうした佐藤氏の問題意識があらわれている。
「ポスト・池田時代」などない
執筆にあたって、佐藤氏は独自の方法を使ったという。「キリスト教神学」の視座と、インテリジェンスの技法である「OSINT(公開情報諜報)」だ。どちらも、佐藤氏ならではの専門分野である。
まず「キリスト教神学」を踏まえて、氏は創価学会の〝内在的理論〟を把握することにつとめてきた。
宗教にはそれぞれ固有の価値観や世界観がある。そこを理解せずに分析や批評を加えようとしても、的外れなものにならざるを得ない。
創価学会でいえば、初代(牧口常三郎)・第2代(戸田城聖)・第3代(池田大作)の「三代会長」で、宗教としての創価学会は完成したと認識することが重要だと佐藤氏はいう。
このことは創価学会の「会憲」にも、「三代会長」が「この会の広宣流布の永遠の師匠である」と明記されている。
佐藤氏は、キリスト教もイエス・キリストによって完成し、イスラム教も最後の預言者ムハンマドによって完成していることを例に示す。
創価学会が世界宗教として発展していく前提となるのが、池田によってこの宗教が完成しているという基本認識だ。(本書。以下、同じ)
分かりやすい話が、キリスト教の公理には「ポスト・キリスト時代」など存在しない。したがって「ポスト池田時代」などと訳知り顔で語る言説は、そもそも論理の枠組みが創価学会の公理から外れているのだと佐藤氏は断じる。
逆時系列で読むこと
三代会長それぞれの著作は多数ある。
これらの著作を解釈する場合に重要なのが、逆時系列で読むことだ。
と佐藤氏はいう。キリスト教においても旧約聖書と新約聖書の2つの聖典があるが、成立した時系列順に旧約から新約を読んでしまうと「迷路に入ってしまう」と述べている。
宗教における言論も、当然その発せられた時代と社会の制約を免れない。牧口・戸田の時代は主に20世紀の前半であったし、学会もまだ日本国内にとどまった小さな集団で、なにより日蓮正宗という宗門の枷(かせ)があった。
創価学会は1990年代初頭に日蓮正宗の枷から解放され、それと同時に一気に世界宗教化を加速することができた。
それを可能にしたのは、池田会長が就任直後から世界各国を回って人を育て、信頼を築いてきたこと。1975年にSGIを結成し、同時期から世界の知性との対話や大学での講演を活発化させ、日蓮仏法の思想を普遍的なヒューマニズムの哲学に転換する作業を続けてきたからである。
その意味では、初代・2代の著作を解釈するにしても、あるいは日蓮の遺文や法華経を解釈するにしても、池田会長の視座に立たなければならない。
この順序を間違えると、佐藤氏の言にならえば、旧約聖書の文言を材料に新約聖書の内容を批判するようなことになってしまう。
公開情報こそ信憑性が高い
その池田会長の視座に立った創価学会の内在的理論を読み取るうえで、佐藤氏は外交官時代の知見を生かし、公刊された新聞、書籍、公文書、インターネット空間の情報を分析する「OSINT(公開情報諜報)」を用いた。
国家が真実をすべて開示することはないが、公式の場で積極的な虚偽情報を流すことはほとんどない。そのようなことをして、露見した場合、当該国家が失うものが大きすぎるからだ。
創価学会の場合も、その発行する日刊の『聖教新聞』などの機関紙誌やウェブサイト、150巻に及ぶ池田大作全集、小説『人間革命』『新・人間革命』などは、世界の目にさらされている。
つまり、これらに示された内容は創価学会の〝公式見解〟であると同時に、もっとも信憑性の高い情報になる。
真偽が不確かな伝聞情報よりも公式文書を分析する方が、調査対象の内在的論理をつかむのに適切であると外務省主任分析官をつとめていたときの経験から筆者は確信している。
「言論問題」の構図を読み解く
全体のなかでも大きく紙幅が割かれているのが、政治権力との関係史だ。
彼岸の救済ではなく、現実社会の民衆の幸福と平和をめざす創価学会にとって、政界に高潔な人材を送り出すことは必然であった。
しかし、そのことで既成政党や既成宗教、あるいは炭労などマルクス主義をもった既得権者からの激しい圧迫を受ける。
絶大な力をもっていた炭労が創価学会員の組合員を弾圧した「夕張炭労事件」や、大阪府警が池田青年室長(当時)を冤罪で逮捕した「大阪事件」などが、どのような構図で起きたのか。池田会長がこれらをどのように勝ち越えたのか。
佐藤氏はそれを丹念に分析しながら、民衆を蔑む権力との熾烈な闘争のなかから、大衆政党としての公明党が結党されていく流れを見事にとらえている。
1969年末から70年にかけて惹起した「言論問題」についても、佐藤氏はその構図を明らかにしている。
仕掛けてきた〝主犯〟は保守派の論客・藤原弘達であったが、一連の騒動が大きなスキャンダルとなった背後には、共産党があり、他宗教と密接につながる政治家がいた。
さらに2019年に出版された『内閣調査室秘録――戦後史を動かした男』(志賀民郎著・岸俊光編)に、当時の内閣調査室幹部だった志賀が藤原への工作を続けていた回想録が明かされていることにも佐藤氏は言及する。
この「言論問題」の本質は、今でいう典型的な「ヘイト」の類であり、政治勢力に宗教勢力が加担した〝創られたスキャンダル〟であったと結論づけている。
また、当時の公明党委員長であった竹入義勝が、田中角栄・自民党幹事長(当時)と藤原とのやりとりについて全否定する〝虚偽会見〟をおこなったことが、結果として問題を深刻化させたと批判している。
本書が刊行されたことの意義
異教徒である私が創価学会の永遠の師匠である池田大作創価学会第3代会長について語ることは原理的にできない。しかし、一人の宗教人、一人の作家として、今、ここで池田について語らなくてはならないと確信している。本書『池田大作研究 世界宗教への道を追う』は、私が全力を尽くして「不可能の可能性」に挑んだ作品だ。(あとがき)
本書は2020年10月に刊行されたが、これは池田会長がはじめて世界広布旅に出た1960年10月から60年の節目にあたる。
いわば池田会長時代の〝還暦〟の年に、情報分析の専門家であり、すぐれた言論人であり、しかもキリスト教徒である佐藤氏の手によって、朝日新聞社系列の版元からこのような重厚な書籍が刊行された。
これは、創価学会が公刊してきた一次情報が、客観的に精査され、あらためて日本の言論史に刻印されたことを物語るだろう。
また、内在的理論への緻密な検証を欠いたまま、情報の誤読、伝聞や印象論に終始してきた感のある過去の少なからぬ稚拙な創価学会論を一蹴し、今後そのような言説があらわれても、それを無効化する効果を発揮するにちがいない。
これから創価学会を理解しようとする国内外の研究者、ジャーナリスト、政治家にとっても必須の書物になると確信する。