世界で伸長する創価学会
この国では「宗教」がきちんと議論されることがない。それは、社会が成熟によってデリケートなことがらをスルーしているからではなく、宗教や信仰について真摯に考えるだけの成熟にいまだ至っていないからである。
年中行事や冠婚葬祭、先祖供養としての宗教は不用意といってよいほど無警戒に受け入れてしまう反面、個人が自覚的に日常の中で〝信仰〟を実践することには強い警戒心を抱き、嘲笑するか黙殺してかわしてしまう。
これまで創価学会について語られてきた書物は、当事者側から語られたものか、さもなくば露骨な悪意に基づいてつくられた論評にも値しない批判本が大半で、わずかに研究者や識者によるレポートが存在するだけだった。
本書は、日本を代表する論客にして敬虔なキリスト教徒という佐藤優氏と、創価大学出身の日蓮正宗僧侶としての経歴も持つ日蓮仏教研究者・松岡幹夫氏の対談。タイトルどおり徹頭徹尾「創価学会」について語り合ったものであり、しかも双方が〝信仰者〟としての自分の立ち位置をゆるがせにしていない。さまざまな意味で画期的なものが刊行されたと思う。
創価学会の支持する公明党は、すでに通算10年以上、国政でも政権の一翼を担っており、いよいよ外交や安全保障、税制といった国家の枢要な部分にまで本格的にかかわりはじめている。いかに嘲笑し黙殺しようとしても、日本社会はもはや誰もが創価学会の存在感とは無関係に生きられない社会になっているといってよいだろう。
一方、当の創価学会員が実感している以上に、創価学会は世界各国で伸長している。SGI(創価学会インタナショナル)の中でも入会要件をかなり厳格に設けているインドでさえ、2015年初頭に8万人だった会員は同年11月には11万人を超えた。会員の半数は青年で、機関紙によれば、最高学府デリー大学だけで創価学会学生部員が2000人を超えている。
イタリアでは首相が自らSGIの会館に出向き、テレビカメラの前で、国家とイタリアSGIの間にインテーサ(宗教協約)が締結された。創価学会は事実の上で、すでにヨーロッパ最大の仏教宗派となっている。
中国では学会は布教をしていないが、香港とマカオにはSGIが何十年も前から社会に根を降ろし、なにより北京大学をはじめとする30もの名門大学で「池田大作思想研究」が進んでいる。中国の知性たちは「その意味で、池田先生は日本にいらっしゃいますが、池田思想研究は中国にあります」(李俄憲・華中師範大学外国語学院副院長)と胸を張る。
「学会は池田会長中心に進むべき」
本書の中で、とりわけ佐藤氏が繰り返し言及するのは、この「創価学会の世界宗教化」である。かつてキリスト教がユダヤ教と訣別し、世界への伝道を開始し、313年のミラノ勅令をもってローマ帝国の公認宗教として与党化していったプロセスを、佐藤氏は今の創価学会に重ねて見る。
そして、佐藤氏はこのように率直に語る。
今の創価学会の問題点はただ一つ――自分たちの力の過小評価です。過大評価も危険ですが、過小評価にも危険性があります。学会が自らの力を等身大で正しく評価することが、今後いっそう重要になってくるでしょう。
それと、学会に対する注文を言うなら、外部から「池田教」などと揶揄されたとしても、もうそんな輩を相手にしている段階ではないのですから、池田会長をしっかりと中心に据えて進んでいってほしいですね。組織的にも、世界広布においても、教学的にも……。
日本の小さな枠で考えていてはいけません。創価学会は、これから日本発の初めての世界宗教になっていきます。将来、世界の三大宗教はキリスト教、イスラム教、創価学会になるでしょう。
およそ創価学会に対してぶつけられる世間からのあらゆる論難についても、両対談者は歯に衣着せぬ勢いで語り合う。政治参加の本質、宗門事件、言論問題、折伏、三代会長、教義条項改正、安保法制と、まったくタブーがない。正直、よくここまで活字にできたなと思う部分さえあるくらいで、それを可能にしたのはキャスティングの妙と、創価学会の成熟と自信であろう。
両者は丁寧にテーマを拾いながら、まじめに創価学会を考えようとする会の内外の人々に向けて、真剣勝負で自分たちの思いを吐露し合っている。交わされる言葉は、きわめて正直である。
創価学会員でない読者は、この対談を通して〝生きた宗教〟とはいかなるものかを感じ取ってほしい。日本国内での冷笑や弾圧にもかかわらず、なぜ創価学会が社会の動向を決するほどの存在になり、世界192ヵ国・地域にまで広がっているのか、理由の一端を垣間見られるだろう。
また学会員は、〝論壇の怪物〟が創価学会を讃える言葉をありがたく奉るような読み方ではなく、歴史の激動の只中を進む当事者として、自身の思考回路をパラダイム転換していく覚悟を持って、やはり真剣勝負で両者の対話に向かい合ってほしいと思う。