1万部を超えた詩集
書店の世界で話題になっている詩集がある。岩崎航の綴った『点滴ポール 生き抜くという旗印』(ナナロク社)。2013年夏に出版されるや、1世紀超の歴史を有する『三田文学』が創刊以来初の巻頭カラーページで岩崎を紹介し、詩人・谷川俊太郎は岩崎の住む仙台まで駆けつけて彼と共にトークイベントをおこなった。
岩崎のほうから谷川を訪ねることができなかったのにはワケがある。岩崎は3歳で筋ジストロフィーを発症し、もう20年ほど自宅のベッドの上で暮らしているからだ。
谷川は「あなたを誇りに思う」と語り、当時『三田文学』編集長だった批評家の若松英輔は「100年に1人の詩人」と岩崎を評した。
そもそも日本では詩歌の書籍は、商業出版として成り立たないのが常識といっていい。そのなかで、まったく無名の新人だった岩崎の『点滴ポール』は、あっという間に1万部を超え、今も版を重ねている。
編集者や書店員のあいだでも『点滴ポール』は口コミで広がり、NHK教育テレビ「ハートネットTV」や東日本放送なども、あいついで岩崎を取り上げた。
過酷な病と格闘してきた岩崎は、東日本大震災で被災。当時の自宅マンションは半壊し、岩崎の生命を維持している人工呼吸器は停電によって電源を失った。危機一髪のところで病院に搬送されて電源をつなぎ、以後は避難所ですごす。
多くの命が奪われ、生き残った者たちは救援活動に取り組んでいる。自分だけが、何もできないばかりか、人々の手を煩わせている。その現実に、岩崎はもう詩など書けないと絶望した。
けれども、岩崎はふたたび言葉を紡ぎ始めた。もう何も書けないという絶望の思いを、そのまま詩に綴ってブログにアップした。
そして、2年後に『点滴ポール』が世に出るのである。
筋ジス以上の〝病根〟だったもの
このたびの『日付の大きいカレンダー』(ナナロク社)は、そんな岩崎航の初となるエッセイ集。タイトルの由来となったのは、『点滴ポール』に収録された次の詩である。
日付の大きい
カレンダーにする
一日、一日が
よく見えるように
大切にできるように
詩を詠む思い。自分自身の来し方。心に残る本。岩崎らしい、声静かな淡々とした文章に加え、新たな詩も掲載されている。『点滴ポール』と同様、齋藤陽道の美しい写真が収められ、寄藤文平と鈴木千佳子によるブックデザインは、じつは『点滴ポール』と並べると色違いのセットのようになる。
若松英輔はこのエッセイ集について、自身のツイッターでこう書いている。
これから本格的に文章を書きたいと考える人は、岩崎航の作品を読むと良いと思う。詩と散文が収められた『日付の大きいカレンダー』がよい。言葉を紡ぐ態度がこれほど確かに、美しくまた、たくましく述べられている本はそうない。この詩人の発見が、三田文学の編集長を務めている間の最大の事件だった。(2015年12月28日付)
岩崎の詩がこれほど評価されるのは、なにも彼が難病と闘っている人だからではない。「生きる」ということと真剣に向かい合っている岩崎の姿が、触れる者を鼓舞するのであろう。
十代の頃、岩崎は病のない状態にならなければ自分の人生が始まらないという思いに縛られていた。そのことこそが、筋ジストロフィーよりも自分の行く手を遮っていた病根であり、最大の障害であったと記している。
千年に一度という苦難を経験した東北は、その渦中から大きな文芸の力を生み出したのではあるまいか。
岩崎航関連リンク:
①岩崎航 公式ブログ「航の SKY NOTE~ベッド上から五行歌に綴る~」
②岩崎航Twitter @iwasakiwataru