対談企画シリーズ「『若者という希望』に未来を託そう」(第1回)

京都造形芸術大学教授
寺脇 研

社会の活力は若者への「投資」から

第1回対談者 今井紀明(NPO法人D×P共同代表)

 教育者で京都造形芸術大学教授の寺脇 研氏による対談企画です。社会で活躍する「ゆとり世代」と語り合い、希望の未来を描き出します。第1回は、若者支援に尽力する今井紀明氏です。

「バッシング」からの蘇生

寺脇 研 今井さんといえば、読者の皆さんは2004年の「イラク日本人人質事件」のことでご記憶かと思います。私は事情をよく存じ上げているけれど、読者のためにまずは事件についての話からうかがいたい。

今井紀明 僕が高校1年のときに「9・11」のテロがあって、平和の問題や環境問題などに興味を持ち始めたんです。高校3年のときにイラク戦争があって、そのときからイラクの子どもたちへの医療支援のNPOを自分で立ち上げたりして、それでイラクに行ったんです。高校を卒業した直後の4月のことでした。

寺脇 そして、イラクで拘束・解放されて帰国後に、いわゆる「自己責任論」による大規模なバッシングを受けることになった。

今井 ええ。イラクで武装勢力に拘束された経験よりも、帰国後のバッシングのほうがつらかったですね。

寺脇 あのバッシングはまったくひどいものでした。当時の異様な空気はよく覚えていますよ。

今井 街で突然罵声を浴びせられたこともよくありましたし、知らない人からいきなり殴りつけられたこともあります。そんなふうだから、どうしても引きこもりぎみになるわけです。日本にいたくないので海外に行ったりしたんですが、海外でも現地の日本人から罵倒されたりして。行き場がなくてつらかったですね。

寺脇 あの事件に巻き込まれた日本人3人のうち、ほかの2人は大人だったけど、あなたはまだ高校を出たばかりの少年だったわけですね。その少年に対して、見知らぬ大人が道でいきなりぶん殴るとか、本当にあのころのムードは異様でしたね。社会的抹殺に等しいバッシングだった。大人の1人として恥ずかしかったです。

今井 当時、対人恐怖症のようになりました。人に言われるとパニック状態になる「NGワード」がいくつかありましてね。たとえば、初対面の人から「今井さんの本(著書)、読みましたよ」と言われると、ダーッと冷や汗が流れ出して、もうその人とはまともに会話できなくなったり……。そういう状態から回復するまでに、5年くらいかかりました。

若者の可能性に期待を寄せる寺脇 研氏

若者の可能性に期待を寄せる寺脇 研氏

寺脇 回復のきっかけはなんだったんですか?

今井 ある時点から、バッシングときちんと向き合うようにしたことですね。知らない人から批判の手紙も大量にもらったんですが、その1通1通に返事を書いたりしました。僕のブログに入ってくる批判のコメントにも、返信していきました。そのやりとりのなかでブログが「炎上」したこともあったんですが、そのときにあえて自分の電話番号をブログに載せたんです。そこにかかってくる電話にも全部対応して、ときには相手に会って話をしました。会えばちゃんと話もできて、会った人の9割は味方になってくれましたね。そういう作業をていねいにやっていくうちに、自分に自信もついてきました。

寺脇 事件直後だけじゃなくて、その後もずっと批判にさらされていたんですね。

今井 僕がバッシングから立ち直れたのは、家族や友人たちなど、周囲の支えのおかげです。事件の2年後に大学に入ったのも、高校時代の担任教師のおかげです。当時ほぼ引きこもり状態だった僕に、教師が「このままだと、お前はただのニートになってしまう。大学に行ったらどうだ」と勧めてくれたんです。

寺脇 大学生活も立ち直りの契機になったと。

今井 はい。今、NPOを一緒にやっている朴基浩と出会ったことが大きかったですね。彼と仲よくなって、「俺のつらさなんか誰にもわからないよ」と愚痴を言ったら、「でもそれって、自分と向き合って解決していかないといけないことだよね」と言われて、それが自分と向き合うきっかけになったんです。そこから東南アジアとかアフリカに1人でよく行くようになって……。事件後のバッシングで見失っていた自分を見つめ直す作業を、海外でやっていた感じです。

若者たちに「自分をあきらめるな」と伝えたい

寺脇 今やっているNPOは、何がきっかけになったの?

今井 大学4年のときにザンビアに行ったんです。ザンビアはHIVの感染率が20%を超えていて、平均寿命は47歳くらいという悲惨な状況なんですが、それでも現地の子どもたちはみんな明るくて、未来に希望を持っていました。一方、同じころに僕は神戸の高校で話をする機会があったんですが、日本の高校生はみんな将来に希望を抱いていなかった。「日本のほうがザンビアよりもずっとマズイ状況だな」と驚きました。
 それで、「日本の若者が元気になれるようなことがしたい」と強く思い始めたんです。それで今のNPOを任意団体として立ち上げたのが2010年で、商社に就職する直前のことでした。

寺脇 じゃあ、就職してから、仕事とNPO活動を並行してやっていたわけだ。

今井 はい。去年NPO「D×P」(ディーピー)を法人化して、2年勤めた商社を退社しました。

寺脇 「D×P」は何の略ですか?

今井 青くさいネーミングなんですが、「Dream(夢)×Possibility(可能性)」の略です。

寺脇 若者たちを元気にするために、「D×P」でどんなことをやっているのでしょうか。

「若者が未来に希望を持てる社会にしたい」と語る今井紀明氏

「若者が未来に希望を持てる社会にしたい」」と語る今井紀明氏

今井 中心となるのは、通信制高校の生徒を対象にしたキャリア教育の授業と、授業を受けた後に生徒が企業インターンやPC研修などさまざまなことに挑戦してもらうプログラム「フォルテッシモ」があります。
 通信制高校に通う子は増加していて、今全国で19万人くらいいます。通信制高校というと、昔は勤労学生が通うイメージでしたけど、今は昼間の高校を中退した子が7割くらい。不登校経験者も6~7割います。
 彼らを見ていたら、僕自身の経験とすごく重なるんですね。というのも、彼らの多くは教師から否定されたり、同級生にいじめられたり、親から否定されたりした経験の持ち主だからです。僕も自己責任バッシングのころには国民の過半数くらいから否定されたわけで、規模は違っても似たような経験をしている。だからこそ、「この子たちのために何かしたい」と強く思ったわけです。

寺脇 今井さんほど10代で過酷な経験をした人は、めったにいないでしょう。イラクで拘束されていた間は死を覚悟しただろうし、日本に帰ってきたら別の形で日本中から全否定されたんだからね。いわば、死の恐怖と社会的抹殺の恐怖をいっぺんに味わったわけだ。極限の逆境を乗り越えてきた今井さんが、若者たちに「あきらめるな」と訴えることには大きな意義があると思う。

今井 ええ。僕は「D×P」の活動を通じて、若者たちに「自分をあきらめるな」と伝えたいんです。うちがやっているキャリア教育の授業は「クレッシェンド」と言います。音楽用語で「だんだん強く」という意味ですが、名前のとおり、一度は挫折した子どもたちが「だんだん強く」なって、社会でたくましく生きていけるようにすることを目指す授業なんです。そのために、まず生徒たちの「やってみたいこと」を探し出します。そして、次のチャレンジプログラムでやりたいことに挑戦してもらうんです。

寺脇 チャレンジプログラムというのは、たとえばどういうことをやるの?

今井 海外にスタディーツアーに行ったり、パソコンの研修講座を受けたり、企業でインターンとして働いたり、自分の作品のアート展や写真展を開いたり……。いろんなプログラムのなかから、生徒がやりたいことを選ぶ形です。

寺脇 法人化したのは昨年だそうだけど、もう成果は出ていますか。

今井 はい。参加した生徒が目に見えて変わっていく事例が多いです。人と接するのが苦手だった子がバイトできるようになったり、企業インターンをやった子が自力で就職先を見つけたり。スタディーツアーに参加した子が一人旅に挑戦したり……。若者たちがたくましくなっていく変化を見るのが、すごく楽しいですね。

「学力」だけでは生きていけない時代

寺脇 いろんないきさつで元気をなくしてしまう若者が日本に多いのは、なぜだと思いますか。

今井 学校は、単一の価値観で染め上げられた場所になりがちですよね。だからこそ、その価値観から外れた子がはじき出されてしまう。学校が多様な価値観を許容する場所でないことが、大きな問題だと思います。

寺脇 最近は「スクールカースト」なんて言葉もあるけど、学校が単一の価値観しかない世界だからこそ、カーストが生じてしまうわけだ。その対策のためには、学校以外に別の価値観を許容する場所をつくればいい。「学校5日制」には、本来そういう狙いがあったんです。5日制にすれば、土日は学校とは別の価値観を持った場所に身を置くことができる。それを今、6日制に戻そうという動きがあるけれど、戻したら学校からはじき出される子が増えるだけでしょう。

今井 そうですね。僕は「D×P」で関わる学校の先生方に、よく言うんです。「学校には学力の向上をお願いします。それ以外の力については、うちがなんとかします」と。学校は子どもに学力をつけさせる場ですが、今は学力さえつければ社会でうまくやっていける時代ではありません。それ以外の力がいろいろと求められます。にもかかわらず、学校はいまだに「学力の向上が善である」という単一価値観の世界なんですよね。

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寺脇 私が旗を振った「ゆとり教育」も、本来はそこから発想したものだったんです。これからは学力だけでは足りない。厳しくなる一方の社会で「生きる力」をつけてあげないといけない、と……。

今井 「ゆとり教育」は、今の時代にこそ必要なものだったと僕は思います。「答えのある問いに手際よく答える能力」がこれまでの学力だったわけですが、現代のビジネス環境は答えのない問いに直面しつづける世界ですから、学力だけではやっていけません。広い意味での「生きる力」が求められるんですね。「ゆとり教育」はそういう時代に先んじていた。ただ惜しむらくは、「ゆとり教育」導入のタイミングが少し早すぎた、あるいは学校側にそれを受け入れる余裕がなかった、ということだと思っています。

若者の未来に投資して日本を豊かに

寺脇 私もいろんなNPOに関わっているけど、NPOで食っていくというのはなかなか大変なことでね。

今井 はい。うちも去年はすごく苦しかったです。さいわい、今年はどうにか食っていけるくらいにはなりました。

寺脇 設立からわずか1年で軌道に乗ったということは、それだけ社会的ニーズがあるということだし、広い意味では景気回復にも貢献している活動ですよ。何もしないでいた100人の若者が頑張って働くようになれば、その100人分だけ社会が豊かになって、景気がよくなる。それこそが、株価みたいに浮き沈みしない真の景気回復だよ。1人1人の人間の価値を高めていくということなんだから……。

今井 おっしゃるとおりです。広く訴えたいのは、「若者にお金をかけることは未来への投資だ」ということです。これからは日本経済が縮小していくので、国が若者にかけるお金を増やしていくのは難しいかもしれません。その分、心ある人たちが若者に投資してほしい。不登校などで挫折した若者たちを放っておけば、彼らの多くはやがて生活保護などを受けざるを得なくなるでしょう。それは社会コストの増大です。逆に、その若者たちに力をつけさせて、やりたいことができるようにすれば、社会に活力が生まれます。僕はそういう流れをつくりたい。
「D×P」が目指しているゴールは、「1人1人の若者が、自分の未来に希望を持てる社会にしたい」ということなんです。それに、中高年の人々にとっては、若者に投資するのは自分たちの老後を支えるタックスペイヤー(納税者)を育てるということでもあります。

寺脇 「日本は課題先進国だ」とよく言いますね。少子高齢化がそうであるように、日本は世界最先端の課題をたくさん抱えている。学校からはじき出された若者たちの存在も、その1つでしょう。アフリカや東南アジアの途上国は、今はまだ詰め込み教育をすべき段階かもしれない。でも、いずれは日本のような問題が起きてくるでしょう。日本が世界に先んじてこの課題を解決できたなら、そのとき蓄積されたノウハウが、やがては世界で役に立つ。それは日本の世界に対する大きな貢献になるでしょう。
 今井さんは今、その課題に先駆的に取り組んでおられる。それは大きな社会的意義を持つ活動ですから、ぜひ頑張ってほしいと思います。

今井 ありがとうございます! 今日のお話で勇気と元気をいただきました。

<月刊誌『第三文明』2013年9月号より転載>

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てらわき・けん●1952年、福岡県生まれ。教育者。東京大学法学部卒業後、文部省に入省。生涯学習局生涯学習振興課長、大臣官房政策課長、文部科学省大臣官房審議官などを経て、2006年退官。在任中は「ゆとり教育」のスポークスマンとして活躍し、「ミスター文部省」とも呼ばれた。07年から京都造形芸術大学芸術学部映画学科教授。映画や落語の評論家としても知られる。教育問題を中心に著書多数。近著に、『「フクシマ以後」の生き方は若者に聞け』(主婦の友社)など。 @ken_terawaki

いまい・のりあき●1985年、北海道生まれ。18歳のとき、イラク・ファルージャ近郊で武装勢力の人質に。9日間の拘束を経て解放される。帰国後、日本で「自己責任」論による大規模なバッシングにさらされる。友人たちに支えられて5年後に復活。2010年、立命館アジア太平洋大学卒業。大阪の専門商社に就職し、同時にNPO法人D×Pの前身である任意団体Dream×Possibilityを設立。12年4月から、NPO法人D×P共同代表に。著書に、『ぼくがイラクへ行った理由』(コモンズ)、『自己責任』(講談社)。 @NoriakiImai NPO法人D×P 今井紀明のブログ