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書評『猫だけが見える人生法則』――謎多き現代社会の問題を猫たちが語り尽くす

ライター
小林芳雄

嘘を恥じない日本共産党の危険な体質

 作家で元・外務省主任分析官の佐藤優氏は、その経歴から怖い印象を持つ人もいるかと思うが、無類の愛猫家という一面をもつ。本書は、月刊誌で連載したコラム「猫はなんでも知っている」を内容別に再編集し加筆したもの。シマ、チビ、タマ、ミケという佐藤氏の飼う4匹の猫たちが国内外のさまざまな出来事や問題を分析していく。あるときは飼い主のいない仕事部屋で、あるときは飼い主も交えて、猫たちは人間社会について喧々諤々(けんけんがくがく)の議論をするのであった。

僕は臆病な一匹の猫に過ぎないが、共産党からの攻撃に対しては、飼い主と連帯して命懸けで戦う決意をここで表明する。(本書155ページ)

明らかに旧ソ連や北朝鮮と同じ政教分離観に立っています。飼い主はプロテスタントのキリスト教徒ですが、共産党が権力を獲ると、宗教を信じる人の政治活動が規制される虞(おそ)れを強く感じています。(本書86~87ページ)

 国内政治で猫たちが特に注視するのは日本共産党の動向である。その理由は飼い主が日本共産党に酷い目にあわされことがあるからだ。 続きを読む

書評『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』――単純で複雑なその疑問の本質に迫る

ライター
小林芳雄

読書離れはいつからはじまったのか

 新進気鋭の文芸評論家が日本人の読書離れの原因を探求した、今話題の一書である。
 読書が大好きで大学院では万葉集を学んでいた著者は、本を読み続けるためにはお金が必要だと思い企業に就職した。社会人1年目のせわしないを送っていたある日、全く本が読めていないことに気づく。時間がないというわけではない。スマホを眺めたり、ゲームをする時間はある。それなのに本は読めない。なぜ働くと本が読めなくなるのか。
 著者自身が抱いたこの疑問を徹底的に掘り下げたのが本書である。近代日本の読書と労働の歴史をたどり、各時代のベストセラーをひも解きながら、その答えを見いだしていく。

 なぜ読書離れが起こるなかで、自己啓発書は読まれたのだろうか。というか、読書離れと自己啓発書の伸びはまるで反比例のグラフを描くわけだが、なぜそのような状態になるのだろうか。(本書177ページ)

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書評『シモーヌ・ヴェイユ』――不幸と闘い続けた哲学者、その思想の伝記

ライター
小林芳雄

革命幻想を打ち破り、精神の変革を志向する

 戦争と革命に揺れ、全体主義の台頭と大量虐殺を招いた20世紀。シモーヌ・ヴェイユ(1909年-1943年)はこの暗い時代に誰よりも真剣に向き合い、独創的な哲学を築き上げたことで知られる。徹底した行動と冷静な知性に裏打ちされたその思想は、現代でも大きな影響をもつ。本書は彼女の生きた時代状況と思索の過程を丹念に辿り、その哲学の全体像に迫った「思想の伝記」である。

三四歳で亡くなるまでのほぼ二〇年間に書かれたテクストを通読すると、ヴェイユの思想に根本的な変化はみられない。あるのは熟考と経験のもたらす深化であり重層化である。(本書9ページ)

 ヴェイユはフランスのユダヤ人家庭に生まれ、高校では哲学者・アランの薫陶を受けた。エリート養成機関である高等師範学校を卒業し、教育者となった。
 彼女が社会に踏み出した当時、ロシア革命や経済不況の影響を受け、社会主義革命への期待がかつてないほど高まりをみせた時代であった。
「正しい思考は正しい行動をみちびき、欺瞞と妥協にみちた人生は生きるにあたいしない」という師匠であるアランの教えを実践すべく、高校教師として働きながら社会主義運動にも真剣に取り組む。その過程でソ連が全体主義体制であることを見抜き、損得ずくの主導権争いに明け暮れる労働組合の惨状を知った。 続きを読む

書評『大衆の狂気』――差異へのこだわりが生み出した転倒の思想

ライター
小林芳雄

憎悪と分断を煽り、社会的分断を生み出す

 現在、欧米を中心に、社会的公正やジェンダーや人種間の平等、LGBTQ+の権利保全などを求める「アイデンティティポリティクス」と呼ばれる運動が、学生を中心とした青年層に支持を拡大している。本書は具体的な事例を豊富に挙げ、この運動の理論的根拠を丁寧に検討し、背後にあるイデオロギー的基盤や問題点を明らかにする。

 これらの問題すべてに共通しているのは、いずれもまっとうな人権運動として始まったことだ。だからこそ、ここまで成功を収めることができた。だがある時点で、そのいずれもがガードレールを突き破ってしまった。平等であるだけでは満足できず、「さらなる向上」といった、とても擁護できない立場に居座ろうとするようになった。(本書23ページ)

 著者が「大衆の狂気」と呼ぶこの運動を強く批判する理由は、本来差別を撤廃するために語られてきた言葉が、今や逆差別というべき現象を蔓延させ、社会に憎悪と分断の種を蒔き散らす手段として用いられているからだ。
「同性愛のカップルは異性愛のカップルよりも子育てに向いている」、「黒人は白人よりも優れている」、「女性は男性よりもすぐれている」等々、こうした言説がマスメディアやSNSを通じて日々拡散され、あたかもそれが正論であるかのようにまかり通るようになってしまった。疑義を差し挟もうものなら、テレビの討論番組でもネット空間でも「偏見持ち!」と罵倒される始末である。議論の余地のない問題に疑問を持つことは今やタブーとされ、対話は封殺される。 続きを読む

書評『龍樹と語れ!』――白熱した論争のドラマから龍樹の実像に迫る

ライター
小林芳雄

謎の書『方便心論』

『方便心論』という書物がある。漢訳のみが現存し、著者は大乗仏教の代表的な哲学者・龍樹とされているが、真偽のほどは定かではない。分量は漢字で8000字と短いが、論理学に関することが書かれているということ以外、内容も判然としない。まさに謎の書である。
 著者はインドの正統バラモン思想に属するニヤーヤ学派(論理学派の)研究者であったが、数年かけて『方便心論』に徹底して取り組み、古代インドで繰り広げられた論争の過程を詳細にふまえ、これまで知られることのなかった龍樹像を明るみに出すことに成功した。本書は一般読者に向け、そのエッセンスをわかりやすく伝えたものだ。

 ここで出てくるのが、伝家の宝刀、対機説法という技である。「対機説法」というのは、相手の問いかけにあわせて答える方法である。「言い争う論法」を提示して示すチャラカに対しては、それにあわせて対応させて「言い争わない論法」というのを説いて示す、というアクロバチックな技がくり広げられることになる。(本書97ページ)

 著者は、『方便心論』は龍樹が著した論争の書であり、その相手は主に『チャラカ・サンヒター』という医学書を編纂した医師・チャラカと推定する。だが医師といっても現代とは大きく異なる。病因を正しく推理するための論理学や人間の本質を考える伝統的なバラモン哲学、医師としての名声を得るために相手を徹底的に打ち負かす陰険な論争術など、これらを総合的に身につけていた。
 龍樹はなぜ医師であるチャラカと論争したのか。著者はその理由を龍樹もまた医師であったからと考える。 続きを読む