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書評『動物のひみつ』――動物の生態を学び、人間への理解を深める

ライター
小林芳雄

「社会的動物」は人間以外にも存在する

 古代ギリシャの哲人アリストテレスは、人間と他の動物を隔てる特徴は社会生活にあると考え、「人間は社会的動物である」と定義した。しかし動物の研究が進むにしたがい、他の動物も社会的であることが分かってくる。特にこの半世紀は観測技術が向上し、生態の解明が急速に進んだ。さらに動物たちは言葉はもたないが、声や分泌物、身振りなどを使い、複雑なコミュニケーションを行っていることも明らかになった。
 本書『動物のひみつ』は社会的動物研究の第一人者が、近年の研究成果を一般の読者に分かりやすく紹介したものである。
 本文だけで約700ページあるが、明快でユーモアに溢れた筆致で綴られており、読む人を飽きさせない。

 このような協力行動は、「社会的動物」の特徴の一つだ。(中略)最も基礎的なレベルの協力は、「社会的緩衝作用」と呼ばれている。
 これは、オキアミから人間にいたるまで、あらゆる社会的動物が、ただ同種の動物のそばにいて関わり合うことだけで確実に生じる利益のことだ。社会的動物は、単に集団でいるだけで、集団によって支えられるのである。(本書7ページ)

 動物はなぜ社会をつくるだろうか。著者は、単独で成しえない多くのことが可能になるからだと考える。簡単にいえば、その方が〝得〟ということだ。
 多くの動物は、集団を作ることによって危険から身を守る。その規模が大きいほど、捕食者から逃げられる確率は格段に上がるという。 続きを読む

書評『デューイが見た大正期の中国と日本』―時代を見通す哲学者の透徹した視点

ライター
小林芳雄

日本の軍国主義に警鐘を鳴らす

 ジョン・デューイは20世紀前半のアメリカを代表する哲学者ある。また日本とは深いつながりがあり、第二次世界大戦後に制定された日本国憲法の不戦条項や民主主義化には彼の考え方が強く反映されている。いわば日本で生まれ育ったすべての人が関わりを持つ人物でもある。
 本書は、日本と中国を旅行したデューイとその妻アリス・チップマンが米国にいる子供たちへ書き送った手紙をまとめたものだ。1919年1月から6月まで、日本発27通、中国発37通が収録されている。デューイの著作は難解で読みにくいといわれているが、本書は両国を訪問した際の印象が率直に綴られていて、とても読みやすい。これまで彼の著作を読んで挫折した人こそ、ぜひ手に取ってほしいと思う。 続きを読む

『ルネ・ジラール』――異能の思想家が築いた独自の「人間学」

ライター
小林芳雄

模倣(ミメーシス)的欲望論

 ルネ・ジラールは学際的な視点から独自の人間学を唱えたことで知られる。その研究は文芸批評からはじまり、人類学、神話学、最後には宗教哲学にまでおよぶ。まさに現代が生んだ知の巨人の一人である。翻訳書は多数あるが、従来の学問の枠組みに収まらない研究であるためか、一般的にはあまり知られていない。本書は彼の学説と生涯を簡潔にまとめた一書である。

欲望とは、世界や自己への関係である以前に、他者への関係である。欲望される客体とは、たとえそれが「〔意識から独立して存在している等の〕客体的な」質を備えているとしても、まずは「模範」と目される〈他者〉によって所有ないし欲望されている客体なのである。(本書58ページ)

 はじめに、ジラールの思想でまず注目しなければならないのは「模倣的欲望論」である。初期の著作『欲望の現象学』で示されたこの理論を、彼は生涯にわたって深めていく。
 欲求と欲望はことなる。欲求は生理的なもので限界があるが欲望には限度がない。欲求が欲望に変わる際に決定的な役割を果たすのは他者である。モデルとなる人物を模倣することによって、はじめて欲望を抱くようになる。ジラールは近代の文学的遺産に向き合うことにより、模倣が欲望を生み出すということを発見する。 続きを読む

書評『仏教の歴史』――仏教の多様な歴史と文化を簡潔に伝える入門書

ライター
小林芳雄

言語を軸として仏教の歴史を描く

 フランスの仏教研究の泰斗が、一般読者に向けて書き下ろした仏教の入門書である。非常にコンパクトで平易な言葉で書かれているが、対象としている範囲は極めて広い。
 他の入門書が主にインド、チベット、中国、日本に絞って書かれていたのに対して、本書ではこれまであまり触れられたことがない中央アジア、韓国やモンゴル、さらにはタイやミャンマーの仏教史も解説されている。伝統教団を中心としながらも、現代の仏教に関する記述もあり、この一冊で約2500年にわたる仏教の歴史と思想が概観できる貴重な入門書である。

残念ながら、その意味の「フィロロギー」を翻訳するのに、満足できるような和語がない。ただの「文献学」ではなく、むしろ、文字通りの「言葉を愛する」という根本の意味を表す単語、例えば、「愛言学」あるいは「愛語学」というような表現があれば、と思う。いずれにせよ、私が仏教の思想とその伝播の勉強に乗り出したのは、ある愛言語学的な冒険を始める気構えからであった。(本書12ページ)

 本書の特色をさらにいえば、特定の時代や国や文化に重きを置かず、言語を軸に仏教史を俯瞰した点にある。 続きを読む

書評『日本のコミュニケーションを診る』――共感と勇気の対話が日本社会の幸福を生み出す

ライター
小林芳雄

心の痛みを伝えることが苦手な日本人

 著者はイタリア出身の33才の精神科医である。18才まで故郷のシチリア島で過ごし、ローマの大学で学び医師となる。その後、幼い頃より主にアニメを通して憧れを持っていた日本に留学し、医師免許と医学博士号を取得した。史上初めて日本とイタリア両国で医師国家試験に合格した稀にみる秀才である。日本の文化に造詣が深いだけでなく、見事に日本語を使いこなす。それは本書の冒頭を読むだけでも分かるだろう。現在はその能力を活かし、医療現場だけでなくコメンテーターや著述家としても活躍の場を広げている。
 本書はコロナ禍の日本で医師として過ごした経験をもとに執筆された。その間、自身が感じた疑問や違和感を精神科医の観点から深く掘り下げ、現代の日本社会の問題にメスを入れる。医学者としての〝冷静な視点と〟日本人を深く愛する〝暖かな眼差しが〟が両立している。ここに本書の大きな魅力の1つがある。

 肥大化した自己を引きずったまま、負の感情の扱い方や伝え方がわからないという、外傷コミュニカビリティの未熟な人が大勢いる。彼/彼女らは心の痛みを自覚できず、他者に助けを求めることができない。一方、健全なトラウマを体験してきた人は外傷コミュニカビリティを備えており、他者に「自分はこういう風に苦しい」と伝えられる。(本書26ページ)

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