東日本大震災」タグアーカイブ

シリーズ:東日本大震災10年~「防災・減災社会」構築への視点 第1回 「3・11伝承ロード」構想(上)

フリーライター
峠 淳次

 東日本大震災から9年以上が経過した。被災地では復旧・復興が進み、東北の太平洋沿岸には「新しい街」が相次ぎ誕生している。だが一方で、あの日の出来事は日々に後景へと引き、記憶の風化が懸念されている。〝次なる災害〟に向け、私たちは「千年に一度の大災害」に何を学び、その経験や教訓をどう生かしていくべきか。シリーズ「『防災・減災社会』構築への視点」と題し、発災10年目を迎えた被災の現場から考える。第1回は産学官民一体で取り組む「3・11伝承ロード」構想から。 続きを読む

「忘れない」の誓い、今こそ――東日本大震災から9年 被災地の今を歩く(下)

フリーライター
峠 淳次

もう一つの風景~福島発~

 原発事故で今なお4万人を超える人々が県内外に避難する福島県。原発周辺の市町村を歩くと、そこには岩手、宮城両県の被災地とは異なる〝もう一つの風景〟が広がっていた。
 3月4日に一部地域の避難指示が解除され、9年間続いていた全町避難の制約からほんの少し解き放たれた双葉町。14日のJR常磐線の全線開通に合わせて再オープンした双葉駅には、先祖のお墓参りで避難先の同県相馬市内から訪れたという母と娘の姿があった。

久しぶりに踏んだ故郷の土だけど、風景は荒れ果てたままで、人もいなくて……

と2人の表情は冴えない。実際、新駅舎の裏に回ると、壁が崩れ、瓦がめくれ、庭に雑草が生え放題の家々が続く。壊れたガレージが風に揺れる地元消防団の建物の姿も痛々しく、壁には地震が発生した午後2時46分を指したまま止まっている時計が掛かっている。 続きを読む

「忘れない」の誓い、今こそ――東日本大震災から9年 被災地の今を歩く(上)

フリーライター
峠 淳次

 かつて仮設のプレハブ住宅が立ち並んでいた宮城県石巻市の「追波川(おっぱがわ)河川運動公園」。ようやく仮設暮らしに別れを告げ、今は隣接する災害公営住宅(復興住宅)に暮らすお年寄りが寂しげにつぶやく。「何だか忘れられ、置き去りにされていくようでね。それが、一番つらく悲しい」――。東日本大震災から9年が過ぎた東北三陸沿岸の街々。道路や堤防などハード面の復興が進み、新しい街の形が姿を現しつつある中、「災後」を生きる人々は何を思い、どう暮らしているのだろうか。光と影が交錯する被災地の今を歩いた。 続きを読む

軽減税率で見せた公明党の現場感覚――『いま、公明党が考えていること』を読む(下)

ライター
松田 明

公明党が押し切った軽減税率

 2017年4月から、消費税が10%に引き上げられる。消費税の増税は、民主党政権時代の2012年6月に、「社会保障と税の一体改革」として自公民の三党合意で決まっていたことだ。
 公明党が導入を主張してきた軽減税率は、自公が政権に復帰した後、消費税10%時の導入が税制改正大綱に盛り込まれた。
 自民党や財務省は税収が減るとして、対象品目を「生鮮食品」のみに限定するという考えを打ち出した。公明党は、子育て世代や共働き世帯、高齢者は加工食品を利用する頻度が高いとして、加工食品も対象とすべきだと抵抗した。 続きを読む

書評『陸前高田から世界を変えていく 元国連職員が伝える3.11』

ライター
松田明

街そのものが消えた陸前高田

 陸前高田市は岩手県の東南端の街。太平洋に向かって広田湾が開け、隣は宮城県気仙沼市になる。山間から流れる気仙川が森の養分を広田湾に注ぎ、極上の牡蠣やワカメを育てている。
 だが、あの東日本大震災では高さ10メートルを超す大津波が市街地に襲いかかった。「日本百景」だった高田松原の7万本の防潮林は1本だけを残して壊滅。一部4階建ての市役所も屋上までのみ込まれ、111人の職員が帰らぬ人となった。 続きを読む