もう4、5年ほどになるだろうか。ジャン・ジュネの『恋する虜』というパレスチナをめぐるノンフィクションを見つけて、買おうとおもったら、中古書しかなく、3万円を超える値段がついていた。
僕にとって本は商売道具でもあるので、できるだけの投資はする。でも、3万円は高い。どうするか考えあぐねたあげく、版元に電話してみたら、近々、重版の予定があるというではないか。
たしか1ヵ月か2ヵ月で新刊を手にした。7千円。普通の小説本よりは高いけれど、3万円よりはずっと安い。その日から付箋を貼りながら読み始めた。この作品はジュネの晩年に書かれたもので、『シャティーラの四時間』とならんで、パレスチナを描いたすぐれた文学だ。
ただ、ほかのジュネの作品と同じく、なかなか読むのが難しい。分かりにくいのではない。彼に固有の詩的な文章に慣れるための時間がかかるのだ。でも、慣れてしまえば、この力作に圧倒される。
僕はジュネの導きでパレスチナ問題について考えるようになった。そして、眼につく本があると手にとるようになった。そのうちの一冊が、ジョー・サッコの『パレスチナ』だった。 続きを読む
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連載エッセー「本の楽園」 第171回 兵器としての物語
小説を読む読者がもっとも楽しいのは物語を味わうことだろう。僕自身、20代の前半までアバンギャルドをやっていたけれど、あるとき物語の愉楽を思い出して、小説のコースを大きく変えた。形式の巧みさや美よりも、物語の愉楽を選んだのだ。
ただ、物語は楽しいだけではない。諸刃の剣だ。読み手を楽しませて、励まし、生きるための力を与えるのは、いい側面だ。しかし、わるい側面もある。人心をあやつって、あやうい世論をつくることもできる。
今年(2023年)の2月に神奈川近代文学館でシンポジウムを催した。ロシア・ウクライナ戦争を、林京子の文学から読み解こうとする試みだった。プーチン大統領は、何度か核兵器の使用を示唆した。そこで、核戦争を描いた林京子の文学を選んだのだ。
シンポジウムのファシリテーターは、僕が務めたのだけれど、そこでこんな発言をした。
ロシア・ウクライナ戦争は物語の戦争でもあります。ロシア側は、ファシストから同胞を救う解放者の物語、ウクライナ側は侵略者から祖国を守る英雄の物語。文学者は二つの物語を越え、グランド・ストーリーを語ることができるのか?
このシンポジウムを終えて、一冊の本とめぐりあった。『人を動かすナラティブ なぜ、あの「語り」に惑わされるのか』(毎日新聞編集委員・大治朋子著)。ざっくり言ってしまうと、テーマは兵器としての物語についてである。 続きを読む
連載エッセー「本の楽園」 第170回 詩を読んで生きる
かつてこのコラムで『百冊で耕す』という本をとりあげた。そのなかで、こんなことを書いた。なかなか読書の時間がとれないとこぼす人がいる。すきま時間で読めばいい。
すきま時間で同時並行に読む――偏食ならぬ偏読にならないよう、①海外文学、②日本文学、③社会科学か自然科学、④詩集、を15分ずつ読むというのは、参考になった(WEB第三文明 連載エッセー「本の楽園」 第163回 百冊で耕す)
これは、いまも続けていて、なかなかいい習慣になっている。今回は詩の本について書きたい。
『詩歌を楽しむ 詩を読んで生きる 小池昌代の現代詩入門』は、NHKで放送された現代詩入門の講座をまとめたムック本だ。小池昌代は、詩と小説の両方を書く作家として知ってはいた。けれど、まとまった著作を読む機会がなかった。
古書店をパトロールしていたら、この本を見つけた。ぱらぱらとめくってみると、おもしろそうだ。ためらわず買うことにした。
ちょっと脱線するが、本も人と同じで出会うタイミングがある。古書店や新刊書の書店で本を手にして買うかどうするか迷う。こういうときは、買いである。そうでないと、やっぱりほしいとおもって出向いても、すでになくなっていることがある。
僕は何度か後悔した。それで、迷ったら買い、という原則をつくった。それから後悔はない。ただ、仕事部屋の本が増えるので、妻から小言をいわれることが増えたけれど、小説家の妻なのだから、そこは我慢してください。 続きを読む
連載エッセー「本の楽園」 第169回 グレープフルーツ・ジュース
世界でいちばん有名な反戦歌はなんだろう、と考えることがあって、ジョン・レノンの『イマジン』かな、とおもった(統計をとったわけではないので、あくまでも印象です)。
「想像してごらん」と始まる歌詞。
国なんてない。
難しいことじゃない。
人を殺す理由も、
死ぬ理由も、
ない。
そして、
宗教もない。
想像してごらん。
すべての人が、
平和に暮らしてるって。
人が想像できることは、たいてい現実になる。僕らは、まず、想像する。そして、それを現実にするために、いろいろと工夫し、努力する。やがて想像は現実になる。人間の歴史は、そういうことをくりかえしてつくられてきた。 続きを読む
連載エッセー「本の楽園」 第168回 黄色い家
先のこのコラムでは、中島京子の『やさしい猫』を紹介した。今回は、川上未映子の『黄色い家』である。
川上未映子は、詩人としても活躍している。この小説の文章にも印象に残る表現が散見される。うまいなあ、とおもう。嫌味ではない。率直な感想だ。僕が去年だした『結交姉妹』という小説の帯に、吉本ばななちゃんが、「政彦くんはあいかわらず文章がうまいなあ」と書いてくれて、うれしかった。
でも、僕より川上未映子のほうが、文章はうまいとおもう。やはり、詩が書ける人は、いい文章が書けるのだ。
さて、『黄色い家』は新聞に連載された小説だ。僕は月刊誌の連載しか経験がないけれど、新聞連載はむずかしいとおもう。1回の文章量が少ないのに、次も読みたいとおもわせる引きがないといけない。毎回、それを工夫しながら書くのは大変だろう。
生前の中上健次が新聞小説を書いて痩せた、という話を聞いて、あの豪傑がそれほど苦労するのだったら、自分はもし注文があっても、新聞小説は書かないでおこう、とおもった。 続きを読む