10代のころから日記をつけている。といっても、永井荷風のように戦争中は戦火で焼かれないように風呂敷包みにして避難するほど大切にしたわけではない。「欺かざるの記」と称して、文学青年風の日記をつけて、少しばかり気取っていたのだ。
高校の入学祝いに、親しい友人から梶井基次郎の全集を贈られて、彼の日記を毎日読んだ。梶井は30歳で亡くなっているのだが、商業誌に書いたことがほとんどなく、作品を発表する媒体はたいてい同人誌だった。けれど、生活は作家そのものだった。
僕はそれに憧れて、梶井の日記を読んで、作家の生活をまねた。確か、太宰治の『人間失格』に、上京して大学の友人から教わったのは、酒と煙草と女とマルキシズムだった、というようなことを書いていた気がするが、僕は梶井の日記から、文学者の在りようを学んだ。
日記はおもしろい。日本文学には古くから日記文学の伝統があるけれど、文学者だけでなく、市井の人の書いたものでも、そこに人の暮らしや、時代の空気があって、興味を惹かれる。
坪内祐三の『日記から 50人、50の「その時」』は、小説家、詩人、学者、政治家、官僚、レーサーなど、さまざまな人物の日記から構成されている。もっともいちばん多いのは文学者だけれど、作家は日記をつけるのが仕事にもなるのだから自然なことだろう。 続きを読む
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本の楽園 第191回 迷子になりたい人のためのガイドブック
迷子になった経験のない人はいるのだろうか? 僕は臆病者なので、子供のころの迷子体験が、いまも忘れられない。小学生になるかならないかのとき、近所の年上のたっちゃんと遊んでいて、夢中で走り回っているうちに、不意に見たこともない風景のなかにいた。
帰り道がわからない。僕は不安で泣きそうになった。いや、実際に泣いた。すると、たっちゃんは、泣くな、まあちゃん(子供のころ僕はそう呼ばれていた)、俺が助けたる、とスーパーヒーローのようなポーズをして、あたりを素早く見回し、あちこちの道に踏み込んだ。
しばらくして、こっちや! と声が聞こえて、彼が姿を見せて手招きしている。そっちへ走っていくと、馴染んだ町の風景が見えた。このときほど、たっちゃんがかっこよくおもえたことはなかった。僕は、ほっとして家に帰った。
このあいだ、行きつけの本屋をパトロールしていたら、『迷子手帳』という本を見つけた。作者は、歌人の穂村弘。あとがきに、こうある。
……いつまでも迷子であり続ける人のための手帳です。
自分の道がしっかりわかっている人も心配しなくて大丈夫。
これ一冊あれば、貴方もきっと迷子になれる。
本の楽園 第190回 ツユクサナツコは幸せだったのか?
漫画読みになったのは小学校に入るころだった。当時は漫画雑誌の創刊が相次いで、『少年マガジン』『少年サンデー』『少年キング』『少年ジャンプ』『少年チャンピオン』と週刊誌だけで5誌もあった。
僕はすべて購読していた。発売日には、学校から帰ってまっすぐに本屋へ。すると1台のトラックが店先に停まって、荷台からビニール紐で結んだ漫画雑誌の束を下ろす。馴染みの本屋のおじさんが鋏で紐を切って、1冊手に取ると、ぱんぱんと埃を払う。
「はい、村上君」
「ありがとう」
僕は掌ににぎりしめて温かくなっている硬貨を渡して、漫画雑誌を受け取る。表紙をめくる。ぷんとインクの匂いが立つ。歩きながらページを繰ると、指先が青いインクで染まる。僕は家にたどりつくまでに、連載の一話を読み終わっている――。
いまでもそのころのことは、よく憶えている。あんなに夢中になって漫画のなかへ入っていけたのは、名作がそろっていたからだろうか。それとも子供だったからだろうか。その後、だんだん関心が文学に移って、あまり漫画は読まなくなった。 続きを読む
本の楽園 第189回 言葉から言葉つむがず
びっくりした。俵万智が還暦を過ぎたという。僕からしたら、昨日まで大学生だった親戚の姪が、いきなりけっこう大人な姿で現れたようなものだ。俵万智は、いつまでも『サラダ記念日』の歌人である。
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
しゃきしゃきの生野菜のような言葉の味わい。作者の印象もそうだった。その俵万智が還暦を過ぎた? 61歳? いやー、歳月の流れは速い、といかにも凡庸な物書きらしからぬことをおもった。
『アボカドの種』は、この4年ほどの作品を収めた歌集だ。読んでみると、確かに俵万智は大学生ではない。ひとり息子を大学へやり、けっこう重いらしい病気にもなり、韓流ドラマにはまっている。これは、もはや立派な大人の女性である。しかも、そう若くはない。
『サラダ記念日』は、ひたすら眩しかった。きらきらしていた。ヒカリモノだった。けれど、新作はさまざまな経験を経て、磨きこまれて鈍い艶を出している木斛のようだ。 続きを読む
本の楽園 第188回 制服なんて大嫌いだ
このあいだ衣替えをしていた妻が、いきなり仕事部屋のドアを開けて、いらない服はすてます、といった。ちょっと待ってよ。置いてあるんだから、全部いるでしょ。でもさ、もう5年も着てない服があるわよ。それだけ着なかったら、もう、いらないでしょ。
5年のあいだ着ていない服は捨てる――これは妻が実行している5年ルールらしい。結婚して30年以上になるけれど、初めて知った。彼女はそうして持ち物を整理しているのだ。
でも、5年のあいだ着ていなくても、突然に着ようとおもうことだってあるかもしれない。そんなこといってるから、どんどん服が溜まっちゃうのよ。じゃ、自分でやってね。その日から僕は捨てられない人の烙印を押された。
確かに妻のいうことも一理はある。仕事部屋を見ても、僕は書類がなかなか捨てられない。本は増えてゆくばかり。いつか、資料として使うかもしれない、とおもうからだ。やはり僕は、捨てられない人なのか。
そんなことを考えながら本屋をぶらぶらパトロールしていたら、『一年3セットの服で生きる』という本を見つけた。 続きを読む