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連載エッセー「本の楽園」 第107回 アジアをつなぐ本屋たち

作家
村上政彦

 僕の作家としての出発は、小学生のとき、町の本屋で始まった。小さな本屋の文学書がなければ、小説家になろうなっておもわなかっただろう。そして、この本屋は、地方の片隅から、広い世界に開かれた窓だった。
 僕は、この窓から、フランスやイギリスを見、ロシアを知り、アメリカに行った。小さな本屋の、小さな棚には、ヨーロッパやアメリカの、多様な文学書があった。僕はそれを手に取って、それぞれの国の人々と出会い、その国の歴史や風土を学んだ。
 いまはインターネットがある。ノートの大きさほどの端末さえあれば、さまざまな情報が手に入る。グーグルアースを使えば、書斎にいて、世界のどこでも見ることができる。しかしそれは本を読むことでもたらされる体験とは、別のものだ。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第106回 ニートの覚悟

作家
村上政彦

 今の世の中は生きづらすぎる。自分がわかいときはものはなかったが、こんなに窮屈じゃなかった。
 人にはそれぞれ、自分に合った履き物がある。
 なのに、今は既製品の靴に、無理に足を押し込んで履いている。
 だから、歩いているうちにすぐ足が痛くなる。それじゃダメだ。
 靴に足を合わせるんじゃなく、足に靴を合わせなきゃいけない。
 昔わらじを自分で編んだように、自分に合わせた履き物を作る。
 そうすれば、足は傷つかず、どこまでも歩いていける。
 自分専用のわらじをじっくり作る、そのための時間と場所が必要だ

 これは和歌山県の山中にニートやひきこもりの居場所をつくったNPO法人『共生舎』の代表・山本さんの言葉だ。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第105回 痛みと物語

作家
村上政彦

 朝日カルチャーセンターでの対談をまとめた本というので、読みやすいだろうとおもって手に取った。確かに読みやすい。しかし分かりやすくは、ない。この本をきちんと紹介するには、この本についての本を、もう1冊書かなければならない。
 ホストは、熊谷晋一郎。生まれたときの後遺症で、脳性麻痺の障害を持つ。車椅子での生活を送りながら、東大の医学部を出て、医師になった。「当事者研究」の研究、実践もしている。
「当事者研究」とは、医療などの専門家と病をかかえた患者が共同研究者となって、当事者が、「知の消費者」から「知の生産者」になり、知の領域にも関わっていくことだ。おもに精神病や依存症の自助グループから始まった。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第104回 unlearn(アンラーン)の手引き

作家
村上政彦

 薄い本である。内容も分かりやすい文章で書かれているから、30分もあれば読めてしまう。これは著者の意図したところだろう。
『ゆっくり小学校』――副題に、「学びをほどき、編みなおす」とある。表題からすると、教育書かと思うが、生き方の本だ(生き方について説かれているので、広義の教育書とみることもできるかも知れない)。
「ゆっくり小学校」とは、小学生のための学校ではない。「スロー・スモール・スクール」のことをいう。校長は著者の辻信一。実在する学校ではない。この本そのものがゆっくり小学校の「育ってゆく場所」であり、読者は、ただ受動的に著者の考えを受け止めるだけでなく、読みながらゆっくり小学校の理念を練る作業に参加する。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第103回 原発ラプソディー

作家
村上政彦

 僕は、「脱原発社会をめざす文学者の会」の事務局長をしている。会長は、日本文壇の長老・加賀乙彦さんで、昨年90歳を迎えられた。しかし思考もシャープだし、昨年だけで3冊の著作を刊行するという健筆ぶりで、この人のように歳を重ねたいとおもう尊敬する先輩だ。
 この会は、名称はいかめしいが、活動は、けっこうゆるい。それを不満におもう人もいるぐらいだ(なにしろ、だらしないこの僕が、事務局長が務めていられるのだから)。まず、政治活動はやらない。
 では、なにをやるかといえば、福島の被災地を視察したり、話を聞きたいとおもった人を招聘して講演会をやったり、会員がおもいおもいの文章を書いて会報を出したり、なにより文学者としていちばん大切な作品を書く作業に努める。 続きを読む