僕は小説に救われた。小説がなかったら、いまの僕はない。これは本に救われたということでもある。本がなかったら、いまの僕はない。
『病と障害と、傍らにあった本。』は、文字通り、病や障害をかかえながら、本に支えられ、救われた人々のエッセイを収録している。
感音性難聴、潰瘍性大腸炎、筋ジストロフィー、全身性エリテマトーデス(膠原病)、鬱病、てんかん、双極性障害、脳梗塞による高次機能障害、原田氏病、頸髄損傷の妻の介護をする夫、ALSの母親の介護をする娘――いずれも当事者にしか分からない苦しみをかかえた人々の言葉が並んでいる。
僕も家族に障害者がいるし、自分にも持病があるので、少しは執筆者の気持ちが分かるつもりだ。
先日、勤務している大学の、今期の最終講義で、この本から、岩崎航という詩人のエッセイを取り上げた。岩崎は1976年に宮城県で生まれた。3歳のころ、筋ジストロフィーを発症する。 続きを読む
「本の楽園」タグアーカイブ
連載エッセー「本の楽園」 第111回 バイトやめる学校
僕は小説家としてデビューするまで、かなりいろいろなバイトをやった。雇うほうはバイトだとおもっていないかもしれないが、働いている僕は、小説を書くために生活費を稼いでいるのだから、それは正業ではなく、バイトでしかなかった。
だから、数日でやめた仕事もあったし、やりだしたらおもしろくて1年半続いた仕事もあった。
小説家としてデビューして、編集者から「3年頑張れば専業作家になれる」といわれた。まだ出版業がなんとか成り立っていた33年前のことである。いま作家デビューすると、編集者は最初に、「仕事を辞めてはいけない」と助言する。これは出版界の現在を見れば、当然のことだ。
好きなことを仕事にして、生活費を稼いで生きていくことは、誰もが見る夢。しかし夢を現実にするのは、そーとー難しい。僕の場合、小説を書くことと、そこから発生することが仕事になっているので、夢を叶えているといっていい。感謝をささげる人がいれば、素直に感謝したい。 続きを読む
連載エッセー「本の楽園」 第110回 小川洋子の小説
僕は1987年に福武書店(現ベネッセ)主宰・『海燕』新人文学賞をもらって作家デビューした。同時受賞者が吉本ばななだった。その数回あとの受賞者に小川洋子がいた。当時、お世話になっていた編集者の寺田博さんが、ある文壇酒場で、「ダイヴィングプール」という短篇を褒めていた。
僕はそれで小川洋子という作家を知ったのだが、何かのパーティーで遠くから見かけただけで、面識はない。それでも僕が信頼している編集者が褒めていたこともあって、ずっと注目していた。
彼女はやがて芥川賞を受けて、ベストセラーも出し、人気作家となった。最近では国際的な文学賞の候補にも名を連ねている。『海燕』新人賞の同窓としては(彼女はそうおもっていないかもしれないが)、慶祝である。 続きを読む
連載エッセー「本の楽園」 第109回 楽しい生物学
若いころから、僕は典型的な文系だった。理数系はまったくだめだった。からだが受け付けない。数字や化学式などを見ると、自然に思考が停止する。小学校のころの理科は、少しおもしろかったけれど、中学に進んで、算数が数学と呼ばれるようになると、理系の授業も嫌になった。
ともかく、おもしろくない。僕の興味を惹いてくれない。教科書に、学ばせるための努力をしろよ、と言いたかった。教師への不平ではない。少なくとも僕を教えてくれた教師は、生徒が関心を持つように、いろいろと授業を工夫してくれた。だから、教科書と、こちらの問題である。
国語は好きだった。教科書を手にすると、すぐに全部読み終えた。詩でも、小説でも、エッセイでも、短歌や俳句でも、論説文でも、なんでもおもしろいとおもった。言葉で表現されたものは、広告のコピーすらおもしろかった。
長い歳月を経て、小説を書くようになって、30年以上が過ぎた。つい最近、尊敬している作家の先輩から、あなたは理数系が嫌いでしょう、といわれた。その通りである。だめだよ、あんなおもしろい世界はないよ。そうですか? そうだよ。 続きを読む
連載エッセー「本の楽園」 第108回 一汁一菜というシステム
朝は味噌汁がないと調子が出ない、という人がいた。いまはパン食が増えて、トーストとコーヒーだけという人も少なくない。しかし、あの、朝の味噌汁の匂いは、いいものだ。僕にとっては、育ての親だった祖母の思い出にもつながっている。
僕は、カレーが好きだ。パスタも好きだ。ラーメンも、ハンバーガーも好きだ。ついでにソース焼きそばも好きだ。だから、僕の家の食卓には、さまざまメニューが並ぶ。いつも味噌汁が出るとは、限らない。
ところが、ときどき白い炊き立てのご飯、納豆、焼き鮭、具沢山の味噌汁がセットになって並ぶことがあり、これを食べていると、なぜか、食養生という言葉が思い浮かぶ。食事をしているだけでなく、体を整えている、という感じになるのだ。 続きを読む