僕は、いい短篇小説が書けたら小説家として一人前だとおもってきた。若いころからかなりの数の短篇小説を読んだ。西洋の小説家は、まず、詩人として出発して、やがて小説を書くようになることが多い。
僕もそれに倣おうとおもって、数編の抒情詩らしきものを書いたが、すぐ詩人になるのを諦めた。詩は書けない。がっかりしていたとき、川端康成の『掌の小説』を見つけた。読んでみると、これは詩ではないかとおもった。川端は詩の代わりに掌(たなごころ)の小説を書いたのだ。
日本の小説家で詩人として出発して、小説家になった例はあるが、西洋の作家ほど多くはないとおもう。それは日本の短篇小説が詩の代わりをしているからだと僕は見立てた。400字詰原稿用紙で20枚ほどの短篇小説――それは詩でもあり、小説でもある。 続きを読む
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連載エッセー「本の楽園」 第121回 個人のたたかい
詩人・茨木のり子が1967年に出版した『うたの心に生きた人々』は、与謝野晶子、高村光太郎、山之口獏、金子光晴を取り上げた本だった。それが童話屋から1人ずつの分冊として刊行された。本作のタイトルは、『個人のたたかい――金子光晴の詩と真実』。評伝である。
僕は、金子光晴の詩を、ほとんど読んでこなかった。詩人の生涯も知らない。かつて彼が制作した家族詩集をこのコラムで取り上げたが、あのときに読んだのが、ほぼ初めてといっていいかも知れない。
そして、大切な詩人を読み落としていたとおもった。著者は、結びの言葉として、こんなふうにしるしている。
皆にまだはっきりとは意識されてはいないけれども、この人の存在そのものが、日本を深いところで支える大きな手の一つであることを、時は次第に解明してゆくだろう
連載エッセー「本の楽園」 第120回 カズオ・イシグロの新作
カズオ・イシグロの名を知ったのは、もう30年近くも前になる。『日の名残り』という長篇小説が、イギリスのブッカー賞を受けて邦訳され、僕も手に取ってみた。ブッカー賞の受賞作ということより、日系イギリス人で、同世代の作家であることのほうに関心が向いた。
一読して、なかなかの書き手だと思った。人物造形がうまい。ストーリーテリングが巧みだ。主題よく吟味されていて興味深い。これは手強いライバルだな、と思っていたら、次々と発表して、2017年度のノーベル文学賞を受けてしまった。
あれ? ついこのあいだまでライバルだと思っていたのに、いつの間にかえらく差をつけられてしまった。人生は難しい。文学は、もっと難しい。悔しくないといったら噓になる(思い上がるな、といわれてもいいです)。 続きを読む
連載エッセー「本の楽園」 第119回 100年読まれるライターの教科書
大学のクリエイティブ・ライティングのクラスで教えるようになって6年が過ぎた。そのあいだ、大手出版社の新人賞を受けた学生を2人輩出した。どちらも女子学生で、世の中は女性作家の活躍が話題になっているが、大学も例外ではない。
僕は、この2人の女子学生に特別なことを教えたわけではない。もともと高い能力を持っていた。だから、少し助言をしただけで、自力で作品を書いて、受賞に結びついた。例年、このような原石は2~3人いる。僕は彼らを見い出し、励まし、作品が完成するのを見守るだけである。
クリエイティブ・ライティングのクラスで教えるにあたって、いちばん難題だったのは教科書だった。僕は今年で作家デビュー33年になるが、それまで人に小説の書き方を教えた経験がなかった。 続きを読む
連載エッセー「本の楽園」 第118回 文学とマーケティング
文学にマーケティングは必要か?
まず、マーケティングとは何か?
本書によれば、
マーケティング=稼ぐ力
である。さらに言い換えると、
マーケティングとは、需要に対して、供給すること。
そして、マーケティングの目的は、
その集団、あるいは個々人の〝理想の状態〟を維持すること。
〝理想の状態〟とは、分かりやすくいえば「幸せ」のことだ。本書は、このマーケティングを1枚のシートで理解して極めるために書かれた。 続きを読む