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連載エッセー「本の楽園」 第132回 人間と自然

作家
村上政彦

 東京というメガロポリスに住んでいると、自然と接する機会が少ないようにおもわれる。人間以外の生物といえば、烏と鼠。あとはゴキブリだ。ペットもいる。犬と猫は、人間の生活に同化しているので、なかば人間のようにおもわれがちだが、やはり、内部には野生=自然をかかえている。自然との共生がいわれるが、本来、人間も自然の一部である。いくら医療技術や科学が進んでも、僕らの身体が自然から切断されることはないだろう。
 おもしろい短篇集を読んだ。『赤い魚の夫婦』。作家はメキシコ人の女性で、グアダルーペ・ネッテルという。「赤い魚の夫婦」「ゴミ箱の中の戦争」「牝猫」「菌類」「北京の蛇」と5篇の短篇小説が収められている。
 どの作品にも、人間ではない生物が登場する。金魚、ゴキブリ、猫、菌類、蛇――それぞれが登場人物と関り、独自な世界を築き上げていく。なかでも、「菌類」は秀逸だ。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第131回 アメリカ版「雨ニモ負ケズ」

作家
村上政彦

 デヴィッド・フォスター・ウォレスという作家は知らなかった。重い精神疾患を患っていて自死したという。その3年前、アメリカのオハイオ州で最古の、ケニオン・カレッジの卒業式に招かれ、20分ほどの短いスピーチをした。
 アメリカ、大学の卒業式、スピーチというと、スティーヴ・ジョブズが思い浮かぶ。彼は2005年にスタンフォード大学に招かれ、卒業生にスピーチをした。「Stay hungry. Stay foolish」(ハングリーであれ。愚かであれ)というフレーズは、巷間に広まったものだ。
 ウォレスのスピーチは、このジョブズのスピーチを抜いて、2010年の『タイム』誌で全米ナンバー1に選ばれた。僕は大学に入学したものの、卒業していないので、卒業スピーチとは縁がない。
 ウォレスが何を話したのか、いろいろ想像を巡らせながら読み始めた。一読して思い出したのは、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」という文章だった。そういう印象を受けたのはレイアウトの作用が大きいかも知れない。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第130回 懐かしい小説家

作家
村上政彦

 小説家になる者は、誰でも「自分の作家」を持っているとおもう。分かりやすい言い方をすれば、好きな作家だ。僕は、あちこちで言っているが、最初に個人全集を買ったのはドストエフスキーだ。次に、友人から梶井基次郎の全集を、ある祝いに贈られた。
 ドストエフスキーも、梶井基次郎も、「自分の作家」だった。しかしどちらも亡くなっていた。生存していて、いままさに小説を発表して活躍している作家として、これは「自分の作家」だとおもったのは、中上健次だった。
「岬」という中篇を読んで、彼が描く世界に惹かれた。荒々しく、禍々しく、しかしどこかに温かな優しさがある。舞台になった紀州の路地は、のちに被差別部落だと知ったが、僕の身の回りにも、同じような土地があって、そこに住んでいる人々とは親しくつきあっていた。だから中上の描く世界は、とても身近に感じられて、自分の生きているこの世界が小説になりうるのだという発見に繋がった。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第129回 読まされてしまった物語

作家
村上政彦

『弱さの思想』、『雑の思想』に続く『あいだの思想』を取り上げるつもりが、まんまと読まされてしまった本があるので、先にそれを取り上げたい。
 僕は野球少年だった。小学校に入る前後は、少し空き地があると、三角ベースで遊んだ。これは、ホーム、一塁、二塁だけでやる野球で、ゴムボールを使い、手で打つ。選手はひとつのチームで数人だから、すぐゲームが成立する。陽が暮れてボールが見えなくなるまで、夢中で走り回っていたものだ。
 小学校の高学年になると、誰もがマイ・バット、マイ・グローブを持っていた。特にチームをつくるわけではないのだが、いつのまにか選手が集まって、野球が始まった。王・長嶋が憧れのスターで、僕の周りはみな、巨人のファンだった。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第128回 雑の思想

作家
村上政彦

 先回のこのコラムで『弱さの思想』を取り上げた。実は、この『――の思想』は3部作で、最初が『弱さの思想』、次が、『雑の思想』、最後に、『「あいだ」の思想』となる。3冊ともすごくおもしろかったので、順にこのコラムで取り上げていきたい。
 今回は、『雑の思想』である。この本も対談集となっている。小説家と研究者の立ち話を聴くつもりで、気軽に読んでもらいたいとおもう。しかし中身は濃い。そこがこのシリーズのいいところだ。
 さて、「雑」というと、一般的にあまりいい意味で使われない。いい加減な仕事をすると、雑な仕事だといわれる。あるいは、部屋の中が散らかっていると、雑然としているといわれる。明らかに否定的なニュアンスを含んだ言葉だ。
 ところが、小説家の高橋源一郎と人類学者の辻信一は、「雑」に肯定的な意味、価値を見出そうとする。高橋が触れているなかで印象的なのは、小説家の言葉だ。 続きを読む