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連載エッセー「本の楽園」 第142回 奇跡の本屋

作家
村上政彦

 僕は小説家として生きているが、町の本屋がなければ、いまとは違った生涯を送っていたかも知れない。本屋は、僕にとって広い世界に開かれた窓であり、広い世界に続く扉であり、このような生き方もあると指し示してくれる道標だった。
 町の本屋が次々に店を閉めてゆくとニュースで見聞きし、この原稿を書くのに調べてみたら、2000年に21654店あった本屋が、2020年現在で11024店になっている。売り場面積を持つ店舗に限ると、9762店。この20年で半分以下になってしまった。
 率直にいって驚いた。何となく、本屋が減少しているとは分かっていたが、ここまでとはおもわなかった。町の本屋に育てられ、生きる道標を示された身としては、狼狽するばかりだ。
 そんなとき、『奇跡の本屋をつくりたい』の著者・久住邦晴さんを知った。北海道の札幌で親子二代70年にわたって「くすみ書房」を営んだ人だ。この著作のどのページにも本への愛が満ちている。こんなに本を愛した本屋は珍しいのではないだろうか。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第141回 ポストという接頭辞

作家
村上政彦

 ポストという接頭辞をやたら眼にするようになったのは、いつのころからだろうか? 僕の記憶では、ポスト・モダンが最初だったか。いまでもポスト・モダンは眼にするが、いっときほどではなくなった。最近はポスト・トゥルースか。何だか人々はポストという接頭辞で、新しい情報を得た気分になっているようにおもえる。
 ポスト・モダンにしても、ポスト・トゥルースにしても、僕が仕事にしている文学と無縁ではないので、そのことについて考えてみる。とりあえず今回はポスト・モダンについてだ。僕は使わないが、ポスト・モダンをポモと略す人がいる。言葉の使い方は人の好き好きなので、別に略してもらってもいいのだが、僕はそういう言葉は使わない。きちんとポスト・モダンという。
 ポスト・モダンの意味は、文字通り、モダンの次だ。しかしこういう流行(思想などにも流行はある!)を追いかけていると、つい、では、その次は何だろうとおもいがいたる。ある高名な批評家に「ポスト・モダンの次は何でしょうね?」と訊いたら、その人は笑いながら、ポスト・ポスト・モダンといった。これは半分が皮肉で、半分が真面目な回答だとおもった。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第140回 川崎洋の詩と言葉

作家
村上政彦

 さまざまな言葉がある。信仰の言葉は生死の軸になる。人を救う言葉だ。哲学の言葉は世界を探求するために役立つ。人を聡明にする言葉だ。では、文学の言葉は、どうか? 分かりやすい言い方をすれば、人の心を表現するから、人間を知ることができる。そして、生きるための知恵を与えてくれる言葉だ。
 僕は小説家なので、小説書くために、ほかの小説家の書いた小説を読む。これはマーケティングだ。どのような小説が書かれていて、どのような小説が書かれていないか、知っているといないとでは、大いに自分の書く小説が違ってくる。
 誰もが書いている主題や物語や人物など書いても、おもしろくない。誰も書いていないものを見つけなければ、小説家として生き残ることはできないのだ。そこがビジネスの世界と文学・芸術が違うところだ。
 どれだけ村上春樹が読まれていても、世界に村上春樹は2人もいらない。1人で十分だ。大学やネットの通信講座で小説の書き方を教えていると、必ず、その時期に流行している小説に似た作品を書いてくる人がいる。
 最初から小説の書き方が分かる人はいない。だから、自分が好きな小説家の真似をする。それは仕方のないことだ。ただ、世に出て行く人と、足踏みをしている人の差は、その先にある。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第139回 昭和の名短篇

作家
村上政彦

 僕がいちばん最初に買った個人全集は、『ドストエフスキー全集』だ。中学の2、3年生ごろだったおもう。行きつけの小さな書店に注文して、届いたという報せを受け、自転車で出向いた。
 帰りは荷台に、全集の詰まった段ボールの箱を載せて、自転車を押してゆるりゆるりと家路をたどった。何から読み始めたのだったか。すっかり忘れてしまったが、ともかく全部読んだ。そして、いまでは、一部を除いて、ほとんど忘れてしまった。
 ドストエフスキー最大の長篇『カラマーゾフの兄弟』(通称・カラ兄)の新訳を出して、古典新訳がベストセラーになるという「事件」を起こした亀山郁夫さんと、つい最近になって話す機会があった。
 亀山さんはカラ兄を訳しているときも、訳し終わったあとも、ずっとカラ兄のことを周囲の人に話した。文学にとっては、読んだら人に伝えることが、とても大切なのだ、そうしないと読者がいなくなってしまう、と亀山さんは静かに力説されていた。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第138回 新型コロナ下の思考

作家
村上政彦

 コロナ禍は、なかなか終わりそうにない。ワクチンや服用薬が開発され、インフルエンザのようなものになっていくという予想もあるが、強毒性の変異株が現れる可能性も否定はできない。
 外出するときにはマスクをすること、手洗いや消毒は、日常の一部になった。COVID-19というウイルスは明らかに僕らの生活を変えたのだ。こういうとき、知識人の役割は、明晰な知性の力を使って、僕らがこのウイルスとどのように向き合えばいいのかを考えることだろう。
 すでに2020年、世界的な思想家であるスラヴォイ・ジジェクは、邦訳『パンデミック 世界をゆるがした新型コロナウイルス』という本を送り出している。このなかで彼は、我々はハグや握手の機会を奪われてしまったが、互いに眼を見つめることで、じかに触れ合うよりも心を開くことができる、親しい人と距離を取らなければならないが、そのためにこそ、彼らの重要さを体験できる、と述べている。 続きを読む