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連載エッセー「本の楽園」 第152回 文盲

作家
村上政彦

 アゴタ・クリストフは、ハンガリーに生まれて、1956年のハンガリー動乱のとき、赤ん坊をかかえて、夫とともに祖国を脱出し、スイスへ亡命した。当時、彼女は21歳。そこからアゴタ・クリストフという作家が誕生するには、もう少し先のことだ。
 幼いころからアゴタは本を読むのが好きで、お話をつくるのが得意だった。家がまずしかったので、14歳のときに寄宿舎へ入った。そこは「孤児院と少年院を足して二で割ったような施設」。ただし、国が無償で食事と住む場所を与え、学校へもやってくれる。
 アゴタは、この寄宿舎で消灯の時間が過ぎても、街灯の明かりで本を読んで詩を詠んだ。お金を稼ぐために寸劇のシナリオを書いて、授業の合間に学校で見世物をやった。それはみなに歓迎されて、彼女は人を笑わせることがうれしかった。
 祖国がソ連に占領されて、ロシア語が学校で義務づけられ、教師たちは生徒たちに教えるため、ロシア語の速習を強いられた。しかし彼らにロシア語を教える気持ちは生まれない。アゴタたち生徒も学ぶ気がなく、「国を挙げての知的サボタージュ」という「消極的レジスタンス」をした。
 亡命先のスイスの町で使われていたのはフランス語だった。アゴタは読み書きはもちろん、しゃべることもできない、文盲となった。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第151回 百閒の『御馳走帖』

作家
村上政彦

 内田百閒は、夏目漱石の弟子筋の作家だ。漱石の弟子というと、まず、芥川龍之介の名が挙がるが、百閒にはコアなファンがいる。僕もそのうちのひとりである。小説や紀行もおもしろいが、僕にとって『御馳走帖』は、頭ひとつぬけておもしろい。
 理由は、僕が食べることが好き(グルメとはいわない)だからだが、この随筆には、単においしい料理が並んでいるだけではない。どのような時世に、誰とテーブルを囲んだか――そういうところまで、微細に書かれているので、食を通じて社会の動静や作家の生活が分かる。
 冒頭の「序にかえて」は、昭和二十年七月の日記の抄録だ。たとえば――

七月三十日 月曜日 二十二日ノ朝以来ズット御飯ノ顔ヲ見ズ

 敗戦直前の物資が不足している時期なので、団子にする配給の粉もなくなり、あとには澱粉米と大豆が少しあるばかり。何とか食料を工面しなくてはとおもっていたら、近所の家の子供が誕生日とかで、細君が赤飯のお裾分けをもらってきた。赤飯といっても、小豆がないので、紅の色をつけただけの赤飯。しかし、なんといっても米には変わりない。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第150回 庭という楽園

作家
村上政彦

 一言いわせてください。僕は本書『derek jarmann`s garden』を探していたら、アマゾンで1900円の新品を見つけた。そこでカートに入れて、ほかの本といっしょに買うつもりでいたら、それが残りの一冊だったのか、あっという間に、この本は入手できません、というコメントが現われた。
 どうしても欲しい本だったので、ずっと探し続けていたら、ある日、古書が売りに出されたのだが、7000円超! しかし僕は迷わずにポチッた。
 実は、かつてジャン・ジュネの『恋する虜』を買おうとしたら、古書で8000円ほどの値がついていて気おくれした。そこで版元に問い合わせたら、近々、増刷する予定で、その半値で買えるという。僕は、新品を安く手に入れた。
 だから、このときも、同じようにならないかとおもったのだが、最初に買いはぐれてしまったので、我慢ができなかった。そうです。僕は、とてもせっかちな人間である。
 さて、デレク・ジャーマンは、イギリス出身で、映像作家、画家、舞台美術家として活躍した。1986年にHIVの感染が判明し、1994年にエイズで亡くなっている。
 本書は、1986年からデレクが、イギリス・ケント州・ダンジェネスの原子力発現所に面した土地で造りはじめた庭の様子が、彼の言葉と友人の写真家ハワード・スーリーが撮った写真によって記録されている。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第149回 小説を書くことの分からなさ

作家
村上政彦

 人は、なぜ、小説を書くのだろうか。僕は、かつてある新聞社のカルチャー教室で小説の書き方を教えていたことがあった。受講生は、だいたい中高年が多い。男女の比率は同じぐらいだ。
 そのなかでも、印象に残っている人が何人かいて、その一人が80代もなかばの女性Aさんだ。子供のころから本を読むのが好きで、小学生のときには大人の読むような文学を手にしていて、母親からとがめられた。
 本当は、ずっと小説を書きたかったのだが、機会がなくて年老いてしまい、このままでは死ねない、とこの教室を訪れたという。

先生、私の書いた小説を棺桶に入れてくださいますか?

 この言葉は忘れられない。
 プロの小説家と言われる人でも、小説を書くのが楽しくてしようがない、という話は、あまり聞かない。逆に苦痛だ、辛い、という人のほうが多い。デビューする前は、どうしても書きたかった小説が、書かなければならない仕事になると、そうなる。
 でも、本当に筆をおいてしまう人は、ごく稀だ。嫌だ、嫌だ、と言いながら、一作書き終えると、次の小説に取りかかっている。ある小説家は、そういう性なのだ、と言っていた。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第148回 書こうとしない「書く」教室

作家
村上政彦

 なんとなく気になる小説家がいる。作品を読んでもいないし、会ったわけでもない。いしいしんじ――みなさん、知っていますか? 僕は、書店をパトロールしているときに、彼の本を見つけて(手には取らなかったけれど)、いつか読むことになるだろうと直感した。
 ある日、なんのきっかけだったか、アマゾンで数冊、いしいの小説を買った。読んでみると、なぜか懐かしい。むかし読んだ気のするような作品ばかりだった。それから僕は、いしいしんじの隠れファンになった(きょう初めて発表しました!)。
 新刊が出たことを新聞のインタビュー欄で知った。『書こうとしない「書く」教室』。さっそく買って読んでみた。出版社のオンライン講座として収録した話をもとにしているので、とても読みやすい。
 午前の部は、1時間目から3時間目まで。ここで語られるのは、いしいの来し方だ。会社員だったとき、処女作の出版が決まって、二足の草鞋を履いた、と喜んでいたら、急に胸が苦しくなって、見たら、おばあちゃんが乗っていて、2本の指を出している。
 二足の草鞋はだめなんだとおもって、その日、会社を辞めた。それから専業作家になって、読んでいるとき以外は、いつもノートになにか書いている。理由は、「かゆみ」。自分と世の中の境界が、かゆい。それをかきむしるのは、文字であり、言葉だ。 続きを読む