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芥川賞を読む 第9回 『犬婿入り』多和田葉子

文筆家
水上修一

独特の文体で、奇妙でリアルな世界を描き出す

多和田葉子著/第108回芥川賞受賞作(1992年下半期)

引き込まれる独特の文体

 第108回芥川賞を受賞した多和田葉子は、「村上春樹よりもノーベル賞に近い」とも言われる作家だ。実際、2016年にはドイツの文学賞「クライスト賞」を受賞し、2018年には米国で最も権威のある文学賞のひとつとされる「全米図書賞」を受賞している。国内でも、2000年に「泉鏡花文学賞」、2003年に「伊藤整文学賞」と「谷崎潤一郎賞」、2011年に「野間文芸賞」、2013年に「読売文学賞」を受賞し、2020年には「紫綬褒章」を受章している。
 そんな彼女が32歳の時に芥川賞を受賞した作品が「犬婿入り」だ。『群像』(1992年12月号)に掲載された77枚の短編である。 続きを読む

芥川賞を読む 第8回 『運転士』藤原智美

文筆家
水上修一

ひとりの地下鉄運転士の内面を徹底して描き切る

藤原智美著/第107回芥川賞受賞作(1992年上半期)

無機質な運転士の変貌

 第107回芥川賞を受賞したのは、当時36歳の藤原智美の『運転士』だった。『群像』(1992年5月号)に掲載された127枚の作品だ。

 主人公には名前はなく、「運転士」と表記されるだけだ。この無機的な表現方法は、主人公の内面とうまく共鳴し合う。主人公が地下鉄の運転士を仕事に選んだ理由は、時間と方法が確立されていて、いい加減なものが入り込む余地のない明確な仕事だからだ。彼にとって曖昧さは不自由さと同じ意味を持つ。あえて地上の電車ではなく地下鉄を選んだのは、天候によって運航が乱されることも昼夜の光量の差もなく、常に一定の条件で運転できるからだ。 続きを読む

芥川賞を読む 第7回 『至高聖所(アバトーン)』松村栄子

文筆家
水上修一

孤独と痛みの癒しを求めるキャンパス小説

松村栄子著/第106回芥川賞受賞作(1991年下半期)

筑波学園都市が舞台

 第106回芥川賞を受賞したのは、当時30歳だった松村栄子の「至高聖所(アバトーン)」だった。『海燕』(1991年10月号)に掲載された123枚の作品だ。
 ――舞台となっているのは、(おそらく)筑波学園都市。整然と区画整備されたエリアに近代的な学部棟や研究施設が建ち並び、そこを行き来するのは学生と研究者と大学関係者などのごく限られた階層の人たちだけで、人間臭い市井の人々や労働従事者などの姿はない。いわば特殊なコロニーだ。 続きを読む

芥川賞を読む 第6回 『背負い水』荻野アンナ

文筆家
水上修一

嫌みに感じるほどの「才気」は、否定しようがない

荻野アンナ著/第105回芥川賞受賞作(1991年上半期)

選考委員の酷評

 第105回の芥川賞は、前回取り上げた辺見庸の『自動起床装置』と萩野アンナの『背負い水』がダブル受賞となった。『文学界』(1991年6月号)に掲載された126枚の作品。
 さて困った。ちっともいいと思えないのだ。自らの精神の居場所を探し求めながら、男関係のなかで揺れ動く独身女性の心情を描いているのだが、読後、「だから、どうした?」と、ため息をついてしまったのだ。
 確かに、才気あふれる作家であることは、読み始めればすぐ分かる。けれども、例えば、そばに近づいて見ると確かにキラキラと部分的には輝いているのだが、離れて全体を見ようとすると、いったいどのような形状で何を表現しようとしているのかがつかめず、戸惑ってしまうのだ。 続きを読む

芥川賞を読む 第5回 『自動起床装置』辺見庸

文筆家
水上修一

「眠り」という素材のおもしろさが、読む者を作品世界に引き込む

辺見庸(よう)著/第105回芥川賞受賞作(1991年上半期)

誰も描いたことのないものを描く

 第105回芥川賞を受賞した辺見庸の『自動起床装置』の最大の魅力は、〝眠り〟という素材のおもしろさだろう。誰もが毎日体験し、人生の約三分の一を占める眠りという、あまりにも身近な素材を、レム睡眠とか生体リズムなど医学的な方法ではなく、直観的な洞察によって文学的にアプローチし、徹底して描いていることに驚く。 続きを読む