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芥川賞を読む 第39回 『沖で待つ』絲山秋子

文筆家
水上修一

同期入社の男女の友情を爽やかに切なく描いた名作

絲山秋子(いとやま・あきこ)著/第134回芥川賞受賞作(2005年下半期)

純文学に対する見方が変わる

「芥川賞作品にもこんな作風のものがあるのだ」と妙に感心した。純文学と呼ばれるもの、なかんずく芥川賞作品に見られがちなかなり特殊な世界の話ではないし、難しいテーマでもない。多くの人が経験しているであろうことを平易な文章でさらりと描いて見せて、読後に爽やかな感覚を残していく。「ああ、おもしろかった」と思いながら本を閉じると、心の奥がほんの少し温かい。
 選考委員の河野多恵子は、

純文学まがいの小説くらい、くだらない読物はない。そういうものを読んで純文学はつまらないと思い込んできた人たちに、この作品で本物の純文学のおいしさを知ってもらいたくもなった

と絶賛している。
 第134回芥川賞受賞作、絲山秋子の「沖で待つ」が描いているものは、仕事を通して生まれた異性の友情である。なかんずく同期という特殊な人間関係の持つ絆の強さが鮮やかに描かれている。 続きを読む

芥川賞を読む 第38回 『土の中の子供』中村文則

文筆家
水上修一

児童虐待を受け続けた人間が見つけ出す光とは

中村文則(なかむら・ふみのり)著/第133回芥川賞受賞作(2005年上半期)

命に対する肯定感

 2度の芥川賞候補(128回「銃」、129回「遮光」)を経て、第133回芥川賞を受賞した当時27歳の中村文則。「土の中の子供」は、約234枚の作品で『新潮』に掲載されたもの。
 主題は暴力。親に捨てられ、孤児として引き取った養父母から、虐待の限りを尽くされ育ってきた主人公の「私」。成人したあとも、あえて自ら暴力に晒されるような生活を送る。生と死の境の中で、なぜ自分は被暴力の中へと突き進んでいくのか、自問自答しながら物語は進んでいく。
 現在の物語の中に、幼少期の壮絶な体験を入れ込んでいくのだが、初めは表層的なエピソードから始まって、次第に核心的なエピソードが明かされていき、主人公が抱えてきたものの深刻さが姿を現してくる。
 精神科医からは、過去のトラウマによって破滅願望があるのだという診断結果を下されていたが、それに違和感を持っていた主人公は、自分が求めているものは何なのかを執拗に自問自答しながら物語は進んでいく。重く息苦しい物語の中で最後に仄かな明るさが遠くに見えるのだが、それは、人間はどんな状況にあっても困難を克服しようとする意思があるということを暗示するものだった。どん底にあっても、最後に得ることのできた命に対する肯定感には、読み終わった後、少し胸が震えた。 続きを読む

芥川賞を読む 第37回 『グランドフィナーレ』阿部和重

文筆家
水上修一

冷静な文体で小児性愛を描く不気味さ

阿部和重(あべ・かずしげ)著/第132回芥川賞受賞作(2004年下半期)

肩透かしのような感覚

 阿部和重は、平成16年に芥川賞を受賞するまで、群像新人文学賞、野間文芸新人賞、伊藤整文学賞、毎日出版文学賞を受賞しており、芥川賞候補にも三回あがっている。芥川賞受賞は、平成6年に初めて群像新人文学賞を受賞してから10年後になるので、満を持しての受賞ということだろう。
「グランドフィナーレ」の主人公の「わたし」は、小児性愛者の男性。自分の娘を含む幼女たちの膨大な量のいかがわしい写真が妻に発覚したことから、家庭は崩壊。法的に娘に面接することもできなくなった葛藤を丹念に描いている舞台は東京、そして人生から脱落して新しい道を歩み始めるきっかけを模索する舞台が東北の田舎町だ。田舎町を舞台とする後半の展開は、再生の兆しも見えるのだが、「わたし」の前に現れた美しい2人の少女との出会いから別の展開が見えてくる。 続きを読む

芥川賞を読む 第36回『介護入門』モブ・ノリオ

文筆家
水上修一

介護から見えてくる愛情の本質を饒舌体で描く

モブ・ノリオ(もぶ・のりお)著/第131回芥川賞受賞作(2004年上半期)

「YO、朋輩(ニガー)」というフレーズの是非

 モブ・ノリオの「介護入門」は、社会から逸脱した大麻中毒でラッパーの「俺」が、痴呆で寝たきりの実の祖母をかいがいしく介護する物語だ。介護という、いわば人間の善性に頼る部分の大きい営みと、善性などには背を向けたような生き方の「俺」との取り合わせが印象的で、社会的にも話題となった。
 まず最大の特徴がその文体だ。ラッパーが言葉を乱射するような饒舌体で、しかもところどころで筆者はラリっているのではないかと思わせるような非常に混沌として分かりづらい、それでいて感覚鋭い表現が続くことがあり、決して読みやすい文章ではない。また、要所要所でラッパー特有の「YO、朋輩(ニガー)」というフレーズをぶち込んでくるので、読み手によっては嫌味に感じることもあるだろう。しかし、この合いの手のようなフレーズは、言葉が熱を帯びて熱くなりすぎたところに一種の熱さましのように放り込むことで、一呼吸おく役割を果たしている。
 なぜ、あえてこうした文体を選んだのかは想像を巡らすしかないのだが、選考委員の宮本輝は「おそらくこの口調でなければ『介護入門』という小説はごくありきたりな凡庸なものにならざるを得なかったと思う」と述べているように、介護という社会にごく普通に存在する営みを、ラッパーで大麻中毒の息子が実践するという特殊性を強調するためなのだろう。 続きを読む

芥川賞を読む 第35回『蹴りたい背中』綿矢りさ

文筆家
水上修一

高校生の微妙で微細な人間関係の揺れと痛みを描く

綿矢りさ(わたや・りさ)著/第130回芥川賞受賞作(2003年下半期)

まだ破られていない史上最年少受賞

 綿矢りさは、17歳の高校時代に初めて書いた小説「インストール」が文藝賞を受賞して、19歳の早稲田大学在籍中に書き上げた2作目「蹴りたい背中」が芥川賞を受賞。それ以降まだ芥川賞受賞の最年少記録は破られていない。
 第130回の芥川賞は、前回紹介した金原ひとみの「蛇にピアス」とこの「蹴りたい背中」がW受賞し、若い女性2人のW受賞は世間を大いに賑わせた。しかも、授賞式での二人の風貌は、金原ひとみが茶髪に黒いミニスカートと黒いニーハイソックス姿、綿矢りさは黒髪に膝下スカートとカーディガンという、その作風を彷彿とさせる対称的なものだったので、なお一層注目を集めた。
「蹴りたい背中」の舞台は高校生活。上っ面の人間関係構築にエネルギーを割くことに背を向けた女子高生「私」の、周囲に馴染むことへの反発の中で感じる孤立の痛みと恐れは、多くの思春期の子どもたちに多かれ少なかれ共通する感覚だろう。クラスの中でもう一人の浮いた存在が、ある特定のアイドルに異様な執着を見せるオタク男子の「にな川」だ。ある出来事をきっかけとして、まったくタイプの異なる2人が不思議な距離感の中でつながっていく。 続きを読む