草創期の主な弟子たち
戦前、まだ庭先など屋外で稽古するのが普通だった空手の世界で、長嶺が泊(とまり、那覇市)に建てた屋内道場は当時としては珍しいものだった。戦後は牧志(まきし、同市)の仮道場で「松林流」の看板を初めて掲げ、1954年に久茂地(くもじ、同市)に戦後沖縄で初となる大規模な空手道場を開いた。
終戦直後に師事した弟子たちの多くは戦前から稽古を共にした間柄だった。その筆頭格の一人が久志助恵(くし・じょけい 1909-1978)で、長嶺とは同じ那覇商業学校の同期生だった。沖縄角力(すもう)の名手で、新聞などへの執筆活動も行った。長嶺道場の「右腕」となった人物である。
一方、「左腕」といえるは、古武道に優れていた喜屋武真栄(きゃん・しんえい 1912-1997)だ。久志と同じく、長嶺道場の脇士として長嶺を支えた。教職員組合のリーダーで、沖縄の本土復帰時には参議院議員に当選し、政治的にも活躍した。 続きを読む