世々代々の中日友好のために――池田名誉会長初訪中40周年特別記念講演会

中国日本友好協会理事
殷蓮玉

 1974年9月30日、創価学会の池田大作会長(現・名誉会長)は、初めて中国を訪問し、以来10度の訪中によって、日中友好の道を切り開いてきた。その初訪中から40年を記念する特別講演会が、2014年10月1日に長野県松本市で開催された。登壇した中国日本友好協会の殷蓮玉理事の講演要旨を紹介する。

忘れ得ぬ懇談のひと時

 本日の皆さんの心温まる歓迎に、まるで長く離れて暮らしていた家族と再会するような懐かしさを感じております。とともに、40年前にお目にかかった池田大作名誉会長の慈愛に満ちた笑顔が、私の心にあざやかによみがえってきます。
 私は1970年に北京外国語大学の日本語学科を卒業しました。当時は文化大革命の嵐が中国全土に吹き荒れ、若い学生らで組織された紅衛兵がいたるところで暴れまわっていました。
 混乱のさなか、日本語をほとんど勉強できずに大学を卒業した私でしたが、中日国交回復を願う周恩来総理の指示があり、大学を3年延長して語学習得に励みました。73年には中日友好協会に奉職することになり、翌74年5月に池田名誉会長の訪中団をお迎えすることになったのです。
 中日間に直行便がなかった当時、訪中団一行は、まず香港に到着され、九竜地区から鉄道で川ひとつへだてた広東省深圳市へと向かわれました。一方、深圳駅で出迎えに立った当時の私は、中日友好協会で働きはじめたばかり。初めてお迎えする中国政府の賓客を前に、とても緊張したことを覚えています。
 しかし、その緊張もすぐにほぐれました。広州市へと向かう列車内で懇談のひと時を持ってくださった池田名誉会長は、車窓から見える木々や中国の歴史、文化についての質問を投げかけられ、和やかで打ち解けた雰囲気を作ってくださったのです。
 また小説『人間革命』の主題をそらんじた私に対して、「すごい! 作者の私でも覚えていないんですよ」とユーモアで応じられるなど、真心の励ましも重ねてくださいました。あれから40年、私が中日友好の道を歩み続けることができたのも、この時の出会いによるものと感謝しております。

国交回復がもたらした国益

 私たちの生きる世界は人間によって構成されています。よって全ての物事の出発点は、「人間尊重」に定められるべきだと私は考えております。たとえば国益といっても、「人間の幸福」を根本としなければ、物事の本質を見失ってしまうのではないかと思うのです。
 池田名誉会長の思想と行動には、常に人間尊重の精神が表されています。中日両国友好の歴史に不滅の足跡を残された「日中国交正常化提言」もそのひとつの証しだと思います。
 1968年、池田名誉会長は、両国人民の願いを代弁される形で中日国交正常化を提唱されました。この提言がきっかけとなって歴史の歯車が大きく回転し、両国の平和友好条約の締結へとつながっていきました。池田名誉会長の勇気ある提言によって、中日両国に万代にわたる友好の「金の橋」がかけられたのです。
 さらに池田名誉会長は、訪中団をみずから幾度も組織され、両国の文化交流や青少年交流のお手本を示されました。民衆と民衆が手を取り合うことを友好の基本姿勢とされるその理念には、多くの中国人の信頼と尊敬が寄せられております。現に中国各地には、周恩来総理の母校・南開大学の「周恩来・池田大作研究会」をはじめ、池田名誉会長の哲学思想を研究する団体がたくさんあります。DSC0721
 中日の国交正常化は、両国人民に計り知れない利益をもたらしました。両国の貿易額の推移を明らかにした各種統計では、現在の貿易額が40年前に比べて約300倍に達しています。また年々増え続ける訪日中国人観光客(留学生なども含む)は、年間100万人を突破し、彼らの旺盛な購買力が両国経済の成長に大きく貢献しています。
 つい先日も、日本の大手企業のリーダーらで構成される一般財団法人「日中経済協会」の訪中団が中国の副首相と会談し、両国のハイレベル経済交流を通じて中日の友好交流を一層深めていくべきだとの合意がなされております。

中国人は日本人が嫌いなのか

 中日両国の経済的な結びつきが強まると「中国脅威論」を唱える人々がいます。また両国の外交関係の緊張が高まると、「本当は、中国人は日本人が嫌いなのではないか」と心配される方々もいます。
 しかし、その認識は正しいものではありません。多くの中国人は高品質の日本製品に愛着を抱いていますし、日本から戻ってきた中国人観光客は口々に「日本は親切で礼儀正しい人が多く、安心して旅行できる。ぜひまた行きたい」と語ります。年間100万人を超える中国人観光客がその雄弁な証しだと思います。
 一方、中国を訪れる日本人観光客は年々減少を続けています。これは別に日本人が中国人を嫌っているということではないと思います。
 私は日本の皆さんが、中国の歴史や文化に親しみを抱いてくださっているのをよく知っています。一部のマスコミが両国関係の悪い部分を大きく報道してしまうために、日本の皆さんが不安感を抱いてしまうのでしょう。中日両国のマスコミは、報道のための報道に終始するのではなく、両国人民の本質的利益につながる報道に努力すべきだと考えています。
 国交正常化から約40年の歳月が流れ、かつての熱気ある時代は過ぎ去りました。両国関係が成熟期に入りつつある今こそ、私たちは中日友好の原点に立ち返るべきだと思います。
 中国と日本は「一衣帯水の国」です。争えば双方が傷つき、力を合わせれば車の両輪のように進んでいくことができます。平和は、空気や日光のような存在です。あまりにも身近であるために、その大切さを忘れてしまいがちなのです。かつての戦争が両国人民をどれほど苦しめたか。その歴史的事実を忘れてはならないと思います。

「草の根」の交流から友好の大道を

 よく日本の皆さんから「日中友好のために私たちは何をしたらよいでしょうか」と質問されることがあります。私は、国家を構成するのはその国に暮らす人民なのだから、民衆と民衆の心の交流なくして真の両国友好はない、とお伝えすることにしています。
 とりわけ未来を担う青年世代の交流が何よりも大切です。やはり、どれほど遠回りな道に感じられたとしても、地道でねばり強い民間交流を重ねていくしかないのだと思います。自分の目の前にいるひとりの人間には、友人・家族・職場の同僚など、実に多くの「関係者」がいます。つまり、ひとりの人間の印象を変えることは、多くの人々のイメージを変えることでもあるのです。
 私たち「中国対外友好合作服務中心」では、日本語を専攻する中国人大学生を対象に、日本の企業で働くインターンシップ(企業研修生)の機会を提供しています。中国各地には日本語を学ぶ学生が約90万人おり、彼らを対象に、日本の経済や文化、そして庶民の暮らしに親しむ機会を提供し、日本に対する理解を深めてもらおうと考えているのです。
 同制度では、長野県の皆さんが熱心に応援してくださっており、例年約200人の留学生を受け入れてくださっています。うれしいことに、学生たちも日本の皆さんの優しさにふれて、中日友好への決意を新たにしているようです。 私たちはこれからもさまざまな交流を企画し、中日友好の大道を開いてくださった池田名誉会長にお応えしていきたいと考えています。創価学会の皆さんと力を合わせながら共々に頑張りたいのです。
 最後に、池田名誉会長が関西創価学園の「蛍保存会」の友に贈られた御歌を紹介し、講演の結びといたします。

 ほたる飛ぶ
  源氏も平家も
   ともどもに

<月刊誌『第三文明』2014年12月号より転載>


いん・れんぎょく●1946年、中国大連生まれ。北京外国語大学日本語学科卒。73年に中国日本友好協会に奉職し、翌74年、初訪中した池田名誉会長を深圳駅頭で出迎える。以降、周恩来夫人・鄧穎超氏の通訳兼秘書を務めるなど中国政府指導者の国際外交を支えた。85年には王震国家副主席の指示にもとづき「中国対外友好合作服務中心」を設立。日系企業の中国市場進出をサポートし、中日両国経済の交流に貢献を重ねた。また96年には、中国外交部(外務省)から派遣され、財団法人「日中友好会館経済交流部」を設立するなど、一貫して中日友好に尽力している。