東日本大震災から4年。不安を煽るのではなく、不安を払拭するために必要な科学の目を通して、被災地に寄り添ってきた物理学者・早野龍五氏に、話を聞いた。
何が起きているのか
震災当日は、帰宅難民でした。深夜、ようやく動いた電車に乗って帰宅すると、家のテレビは地震で破損していて、震災の状況を把握することができませんでした。翌日、インターネットで、自然界には存在しないはずのセシウム137が、東京電力福島第1原発の敷地内で検出されたことを知り、重大な問題が起きていることに初めて気がつきました。
私は物理の研究者として、日ごろからデータをグラフで表すことが習い性になっています。初めは、自分自身が、福島第一原発で何が起きているのかを知りたいという気持ちから、公表されたデータを基にグラフを作り、それをツイッターで発信しはじめました。
グラフを公開すると、ツイッターのフォロワーが3000人から最大で15万人まで急増し、世の中でも、こうした情報が必要とされていることがわかりました。
ちょうど当時は、大学も春休みで時間に余裕がありましたので、それならばと、グラフを作っては公開するようになったのです。当初は3月いっぱいの期間限定で関わるつもりでしたが、いくつかの偶然が重なって、現在まで形を変えながらも活動は続いています。
お母さんたちの気持ちに応えるために
それまで、専門家同士で専門用語を使う世界にいた私にとって、ツイッターのようなSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)を用いて、広く社会とコミュニケーションを取るのは、未知の体験でした。当然、慣れないうちは苦労した面もあります。
一方で、グラフを公開するうちに、福島からのツイートで、今現地でどんな情報が求められているのかというリクエストが集まってくるようになりました。このとき浮かび上がってきたのが、「子どもの内部被曝の状況を知りたい」というお母さんたちの声です。そこで思いついたのが、大勢の子どもたちが食べている給食を調べれば、コストをあまりかけずに内部被曝を測定できるのではないか、ということでした。
給食の調査に関しては、もともと1950年代後半から「陰膳(かげぜん)調査」として存在していました。皆が食べている給食をもう1食分用意し、ミキサーにかけて数値を測るというものです。事業仕分けによって、数年前に廃止されていましたが、それを復活させようと考えたわけです。
さっそく文部科学省に掛け合いましたが、最初は万が一、セシウムが検出された際の対応が難しいという理由で断られました。さらにこの調査は、提供された給食を測るもので、セシウムの混入を未然に防ぐものではありません。それを踏まえたうえで、ツイッターのフォロワーを対象に、それでもこの検査をやることに意味があるかどうかを問うアンケートを実施したところ、2日で7000人が回答を寄せてくれ、そのうち9割の賛成を得ました。それで再度、文部科学省に掛け合ったのです。
その結果、この案は採択されることになりましたが、予算がおりるのは2012年度(12年4月)からでした。お母さんたちの気持ちを考えると、そこまで待つことはできず、12年1月にまず第1回の調査を、南相馬市で自腹で実施しました。このような活動をツイッターで報告していたところ、多くの方からご寄付の申し出があり、4月までの陰膳調査や内部被曝検査の経費などにも使わせていただきました。
ここでわかったのが、内部被曝は、想像していたより少なく、年間1ミリシーベルト以内という基準値を超える人は、ほとんどいないということでした。
不安に寄う添うベビースキャン
数値のうえでは、日ごろ口にしている食品に問題がないことがわかってきても、特に小さなお子さんを抱えたお母さんたちの不安はぬぐいがたいものがあり、心情的に納得してもらうのはそう簡単なことではありません。
私は医者ではないので、「健康には影響がない」といった、データの先にある結論を語ることはなるべく避けてきました。それでもやはり、データから明らかになってくる事実は存在します。
もともと、体内に残留するセシウムを計測するホールボディカウンターは2011年の夏から導入されていましたが、これはある程度以上の身長の人が立って測るタイプのもので、乳幼児の計測はできませんでした。
そこで、「どうしてもわが子の放射線量を計測してほしい」というお母さんたちの要望にこたえる形で、子どもの放射線量を測定する機械を開発するプロジェクトを13年2月に立ち上げました。「ベビースキャン」の始まりです。
それまでのデータから、問題になる数値が検出されないことは予想がついていましたが、あくまでも安心してもらうためのコミュニケーションツールとしての開発です。大事なお子さんを計測する際に、あまりものものしい外見の箱では気が引けるだろうと考え、Suica改札機のデザインを手がけた、工業デザイナーの山中俊治先生にデザインをお願いしたところ、ご快諾いただくことができました。
ベビースキャンはこの年(2013年)の2月に完成し、それ以降、福島県内3ヵ所で14年末までに2000人分測定しています。コミュニケーションの場という意味もあり、計測時には1人20分程度かけて、じっくりお話をうかがうようにしています。
ベビースキャンは、非常に精度の高い機械なのですが、これまで問題になる数値が検出されたことは1度もありません。検査を受け、胸に抱えた思いを打ち明けることで、お子さんの心配で身の縮むような思いをしていた親御さんが、少しでも平穏な気持ちを取り戻していただければ本望です。
根拠がある安全性
福島県の三春町(みはるまち)では、2011年から町内の小中学生を対象に、放射線量の測定をしています(ベビースキャン完成後は、身長130センチ以下の子どもはベビースキャンで測定)。事前アンケートから、水道水や井戸水の利用が8割、産地を気にせず食品を取る人が8割というデータがありますが、それでも11年度を除いて、数値は検出されていません。
やはり同じ時期から小中学生を測定してきた南相馬市では、逆に全体の4分の3がペットボトルの水しか飲まず、福島産の米や野菜も食べないというアンケート結果があり、こちらも不検出です。
体内に蓄積された放射線量について、安全そうな人ばかり選んで検査しているのではないか、などの疑いの声はなかなか消えませんが、この対照的な2つの群の結果からも、見えてくるものがあるのではないかと思います。
私は科学者として、実名も所属も公表して発信してきた手前、公にするデータはそれだけの信ぴょう性のあるものを吟味してきました。ですから、もし危険性を指摘するのであれば、同じ質・同じ厚みのあるデータを背景に比較検討してほしいと思います。
メディアの伝え方にも問題があります。「悪いデータは出ていません」ではニュースにならず、わずかな問題が生じると大きく報じられます。また、両論併記といって、データや根拠がある意見と、ない意見が同じように扱われてしまいます。
本当に必要なのは、何となく危なそう、怖そうという不安を科学的な根拠をもって払拭し、固定された思考を柔軟にしていくことでではないでしょうか。
実は昨年(2014年)、国連の科学委員会が、福島原発の事故における放射線の影響に関してのリポートをまとめました。そのリポートは今後、今回の事故の評価の基準として重要な位置づけになるのですが、そもそもリポートの参考となる査読付きの論文(複数の専門家が論文の正当性をチェックした論文)が、国内に1本しかないという状況でした。このままでは、ホールボディカウンターでの測定によって、内部被曝の少なさが判明した貴重な事実が埋もれてしまいかねない、ということで、急きょ、3万人を超えるデータを基に査読付き論文をまとめました。専門外の論文なのですが、福島の真実を偏ったイメージによらずにリポートしてもらうためには、どうしても欠かせないものでした。
高校生とひらく未来
福島には、震災関連の活動で毎月のように通っていましたが、たまには本業の話もしたいと言ったところ、2013年10月に福島高校で講演をする機会をいただきました。そのときは放射能の話は一切せずに、たまたまノーベル物理学賞発表直後ということもあり、関連するヒッグス粒子を話題に、1時間、英語で講義をしました。
これが大変盛り上がったことがきっかけとなり、翌年(14年)明けにはフランスの高校生とのビデオ会議をセットしたり、春にCERN※で開かれるヨーロッパの高校生が集まる原子力教育のワークショップに、福島高校の代表生徒3人を引率していくことになったのです。予算がおりなかったので、このときは給食調査で集まった寄付金を、用途を示したうえで使わせてもらいました。
福島高校の生徒たちには、「D―シャトル」という1時間ごとに個人が受けた外部被曝量を測定する携帯用線量計を渡し、データを集めたものを発表してもらうことにしました。ヨーロッパ各国から集まった高校生たちは、福島から来た高校生に興味津々で、発表後も彼らを取り囲んで質問が絶えませんでした。
このプロジェクトは現在も進行しています。D―シャトルによるデータ測定を、福島のみならず全国の高校生にもやってもらい、夏に合宿して討論会を開いてデータの比較検討を行います。さらには、ヨーロッパの高校生にもD―シャトルを送り、データをまとめて論文にしてもらう予定です。
自分たちがどんな環境に生きているのか、自分たちで調べ、発信するお手伝いを通して、マイナスをゼロにする復興から、ゼロをプラスに変えていく復興へとつなげていけたら、と思います。
幸いにも、福島第1原発の事故による内部被曝は、チェルノブイリでの原発事故とは比べものにならないほど軽微なものでした。しかし、福島に住む人々の心のなかには、多かれ少なかれ不安が残っているのを感じます。
だからこそ、自身の歩み・生活にしっかりとした根拠があることに自信を持っていただく一手段として、科学的根拠のあるデータを入手できる環境づくりに奔走してきました。
とりわけ、子どもたちが成長して、県外に出たときに、福島出身であることに負い目を持たないよう、言われなき差別で苦しむことのないよう、大人が手を貸す必要性があるのです。
起きてしまったことは変えられませんが、科学的アプローチを通して問題を解決し、明るい未来への道筋を作ること、自ら生きる力を育むことが、今後の復興につながると信じています。
※CERN――欧州合同原子核研究所。スイス・ジュネーブにある・世界最大級の規模を誇る素粒子物理学の研究機関。
<月刊誌『第三文明』2015年4月号より転載>