環境問題を学術的アプローチからみる「四日市学」とは。
環境優先の価値観に転換すべき
地球上に存在する生物は3000万種といわれ、現在、確認されているだけで178万種。そのうち毎年約4万種、1時間あたりにすると4種が消滅しています。その要因は人類がつくり出している環境汚染です。地球は人類だけのものではありません。人間さえ良ければという勝手な行動で、ほかの生物の命を奪っていいわけがありません。知らずに環境を悪化させている私たちの日常を知り、自然環境の大切さを学んでほしいと日々、願っています。
2013年に発生した台風の数は、31個(13年11月末現在)と例年より多く、ゲリラ豪雨を含め局地的な大雨や竜巻など異常な気象現象が発生しています。原因の1つとして、二酸化炭素(CO2)など温室効果ガスによる海面温度の上昇があります。
地球全体の平均気温は、この100年の間に約0.8度、海面水位は約20センチ上昇しています。しかも21世紀末には、地球全体の平均気温は4.8度も上昇するといわれています。地球は温暖化と寒冷化を繰り返していますので、現在は温暖化に向かっているだけという指摘もありますが、1万年単位で考えればそれも間違いではないのかもしれません。しかし、産業革命以降の短期間で、これほどの上昇はやはり異常です。
問題解決のためには、CO2削減を推進しなければなりません。しかしそれは、牛にゲップをさせない(牛のような「はんすう動物」のゲップはメタンガスとなる)ようにすることではなく、私たち人類が自然環境を守ることの大切さを知り、実行することが重要です。
地球温暖化をもたらすCO2の排出は、産業活動だけではありません。私たちの生活の中で排出されるCO2は、CO2排出量全体の約20%以上を占めています。大量に消費し廃棄する従来型の暮らしから、環境を優先させる生活へと価値観を変換していかなければいけません。
環境と経済のバランスが大事に
三重県四日市市は、高度経済成長期に石油コンビナートから排出された硫黄酸化物などにより、大気汚染が発生し住民がぜんそくを患う公害が起きました(四日市ぜんそく)。水俣病、イタイイタイ病、新潟水俣病と合わせ、日本の4大公害病といわれています。
私は大気汚染を専門としていたので、韓国の大学にいたときから四日市の公害を学んでいました。ただ、科学的な資料やデータが少なく、汚染源は特定できているが、どの程度の汚染があり、どのくらいの人がぜんそくになったのかが明確にわからない。日本に留学したのも四日市の公害を調べたかったことがあります。その後、米国で学び、再び日本に戻り三重大学に赴任してから、「四日市学」立ち上げを考えはじめました。
公害問題を考えるとき、一地域の大気汚染と限定して考えるのではなく、人びとや企業のマインドはどうだったのか、国や地域の政策はどう変化したのか、など多面的に捉える必要があります。これが体系化できてこそ四日市公害から多くのことを学ぶことができるのです。
赴任から6年後の2001年に立ち上げた「四日市学」は、4つの学問の柱で構成しています。最初は「人間学」です。これは命のこと。確かに住民は裁判で企業に勝ちましたが、命の価値はいったい誰が決めるのか。それを考える「命の学問」でもあります。
2番目は「未来学」。花形企業の進出により、当時の住民は町が潤うと思っていました。ところが、思いもよらぬ公害を出し住民への深刻な健康被害をもたらしてしまった。環境と経済のバランスをとる考えがなかったからです。ならば、環境と経済のバランスはどのように考えればよいのか。これは「持続可能な社会学」ともいえます。
3番目は「実践環境学」です。同じような間違いを2度と起こさせないためにも、環境教育が重要です。過去を知らない子どもたちに、実践を通して教えていかなければいけません。最後の柱が「アジア学」です。日本が四大公害病を通して学んだノウハウを韓国、中国、さらにアジア諸国へ伝えていくことが大事です。
地域に根差した生涯学習を
第57回国連総会で決議された「ESD(持続可能な開発のための教育)の10年」が、2014年に最終年を迎えます。ESDとは社会で起きている諸問題を、自分たちの暮らしに結びつけ、解決策を見いだすための学習や活動を促す取り組みです。この「ESDの10年」の終了にあたり、池田SGI会長は提言(2012年6月に発表)の中で、次の新たな取り組みとして、地域を足場にした教育を進めることが大事だと述べていますが、私も同感です。
世界に目を向けるといいますが、世界とはどこなのか。遠い国のことだけではなく、今いるこの場(地域)も世界なのです。地域を愛せない人は世界も愛せないでしょう。そして地域を愛するからこそ、地域を守ろうと思う。その心が環境保護にもつながっていくのです。
2002年のESD採択後、環境の概念は大きく広がりました。言葉が浸透した半面、あまりに広範囲になったことで、わかりにくくなっています。また、持続可能(サスティナビリティー)という言葉が注目されたのもこのときからです。環境と経済は相反するものではなく、車の両輪でありバランスがとれなくては走ることができません。
次の10年で、さらに環境の範囲が拡大していくでしょう。言い換えれば、どんな問題にも環境が関わってきます。従って、これからの10年は教育のあり方自体を変えていかなければなりません。これから求められる教育とは、学校で教わる教育だけではなく、生涯学習の考え方が必要です。
「四日市学」の中の実践環境学でもうたっていますが、高度経済成長期を生きてきた方たちが、60歳を過ぎ、定年になったことをよい機会と捉え、自ら学びの場を求め、経験してきたことや思いを、次の世代に伝えていくことが大切です。この生涯学習も環境のカテゴリーに入れていくべきだと考えています。
現在、日中韓の3ヵ国は、ぎすぎすした関係になっています。お互いを尊重し合う気持ちをいかにして醸成していくのか、これもまた生涯学習の中で培われるのではないでしょうか。
「環境」は国の利害を超えていけるテーマだと考えています。日本には環境問題を乗り越えてきた歴史と知恵があり、ぜひそれをアジア地域に還元することで、友好の基礎を築いてほしいと思います。
<月刊誌『第三文明』2014年2月号より転載>