閉塞感から脱け出せなかった日本の障害分野で新たな2つの道が開かれる。
死亡率2倍の背景に何が
障害のある人(以下、障害者)にとって、衝撃的な数値が明らかになった。それは、あの東日本大震災と障害者の関係をめぐってである。障害者の死亡率が、全住民の死亡率の2倍に達したことが確定的になったのである(宮城県当局、主要メディアの調査によって)。高齢者の犠牲率の高さと合わせて、「2倍の死亡率」に込められている意味はきわめて重いものがあろう。
人の死というのはそれぞれに事情が異なり、統計的な扱いそれ自体が今ひとつ釈然としない。しかし、「2倍」のインパクトはあまりに大きく、その実態や本質を社会全体として共有してもらいたく、あえてこの数値を用いることにする。問題は、その背景をどう見るかである。より正確には、国による精緻な検証を待たなければならないが、すぐさま浮かんでくることがいくつかある。
その1つは、障害者に対する防災政策の不十分さがあげられる。あのような事態でなお、個人情報保護法制が立ちはだかり、救命・安否確認に多大な支障をもたらしたことは典型的な事例と言える。2つ目は、地域の構造や仕様が、いざという時に障害者には不都合が少なくなかったということである。社会の標準値、中央値がいわゆる健康な人を、否、屈強な大人を前提としていたことが露呈したと言えよう。このことは、高齢者や子どもなど「災害弱者」に共通する問題でもある。3つ目にあげられるのが、平時の障害者に対する支援水準との関係である。地域によって、被害の度合いや復興の速度に差異が著しい。このことと、震災以前の支援水準が相関していることは間違いなかろう。
背景の全体を通して言えるのは、天災だけでは論じ難く、そこには人災という要因がもう1つ重なっていたということである。「どの部分が人災であったのか」の視点で、あらためて「2倍の死亡率」に深い思いを寄せるべきである。
異常に低い所得水準
自然災害などの極限状態はその社会の実相を丸裸にすると言われるが、ここで障害者が置かれている実態(実相)に迫ってみたい。かつて国連決議は「障害者をしめ出す社会は弱くもろい」と言い放ったが、障害者の生活水準の好転は、災害時への備えだけではなく、日本社会のあり方を問いただす重要な社会的なテーマと言えよう。
まずは実態の基本となる、障害者の実数について見ておく。米国では人口の20%とされ、世界保健機関(WHO)は15%を定説とし、EU(欧州連合)もこれを踏襲している。日本の最新の発表では6%余(約790万人)に留まっている。このことは、障害者施策の対象に含まれないいわゆる「制度の谷間」に存在する者が少なくないことを表している。「最大のマイノリティー」と称されていた障害者であるが、もはやマイノリティーとは言えまい。メインストリーム(主流)政策に位置づけるべきである。
次に、実態をとらえる視座を考えてみたい。関連の政策水準を推し量る物差しと言ってよかろう。これについて、私は以前から①障害のない市民の生活水準との比較②日本と経済面で同水準にある国々との比較③過去の実態との比較④障害当事者や家族のニーズとの比較――の4点を提唱してきた。これに照らせば実態が浮き彫りになるはずである。
紙幅の都合上、実態の詳細までは難しいが、ごく象徴的な事例を紹介する。最初にあげたいのは、所得の低さである。福祉的就労事業所に通所する者の実態調査(福祉的就労事業所関連団体による共同調査で、対象は1万人余、2012年2月公表)によると、相対的貧困線(すべてを合算した年収が112万円程度)以下が85%にのぼる。国民全体では16%であり、実に障害者は5倍も多いことになる。経済面での厳しさは単独での自立生活を困難にし、勢い親との同居生活を当たり前にしているのである。親を中心とした家族との同居率は、20代で90%、30代で80%、40代でなお65%と、異常な高さを示している。
制度改革に新たな兆し
閉塞感から脱け出せなかった日本の障害分野であるが、ここにきて2点で新たな道が開かれようとしている。これらの動きをいかに加速し、いかに本物の動きにできるか、障害分野にとっての大きなターニングポイントとなろう。
動きの1つ目は、障害関連政策に関わって新鮮な審議システムが構築されたことである。2010年1月に始まった内閣府所管の「障がい者制度改革推進会議」がそれである(2012年7月より、障害者政策委員会へ改称)。新たな審議システムの最大の特徴は、幅広い障害当事者団体の代表の参加が成ったことである。障害当事者の委員が構成員全体の過半数を占めるなどは、新たな時代の到来を予感させるものがある。
既に、障害分野の憲法とも言われている障害者基本法の改正や障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律(障害者差別解消法)の制定などで成果が表れている。今、次の障害者基本法の改正で注目すべきは、「障害者」の定義が改められたことである。これまでの障害観は、「本人が有する障害(機能障害)」に重心が置かれていたが、今般の改正は、本人の機能障害に加えて、「本人を取り巻く環境との関係で障害は重くもなれば軽くもなる」という考え方を明確にしたことである。こうした環境要因重視の障害観を、「障害の社会モデル的なとらえ方」と言い、WHOや国連では以前から示されていた。また、聴覚障害者が用いている手話について、これを日本の法律上、初めて言語に含むことを明言したことも歴史的な改革である。
政策というのは不思議なもので、帰属の度合いが、施行後の愛着や活用に影響し、政策の成長を左右することも少なくない。まだまだ試運転の域を出るものでないが、始動した制度改革の今後が楽しみである。
権利条約の批准で新たな社会づくりを
もう1つの動きは、障害者権利条約(権利条約)の批准(国会での可決成立)である。権利条約の水準からみて、その効力は計り知れない。本格的な施行となれば、文字通り障害分野のパラダイムシフトとなろう。2006年12月の第61回国連総会で採択された権利条約であるが、日本は批准を焦らなかった。熟成させるかのように、関連法制を整えながら批准の機をうかがってきたのである。
権利条約は①前文②本則(50ヵ条)③選択議定書――から成り、今般の批准の対象は前文と本則である。権利条約のすばらしさは枚挙にいとまがないが、ここでは2点に絞って紹介する。第1は、制定過程での障害当事者の参加である。国連議場の壁に染み入るようにくり返されたフレーズが、〝Nothing About Us Without Us〟(私たち抜きに私たちのことを決めないで)であった。政府間交渉でありながら、要所でのNGO代表の発言が受け入れられたのである。この影響は、前述した日本の制度改革にも着実に反映している。
第2は、何と言っても内容面である。特筆すべきは、「他の者との平等を基礎として」のフレーズが34回くり返されていることである。新たな権利や特別の権利という観点は全く見当たらない。もっぱら障害のない市民との平等性を希求しているのであり、本格的に「障害」の視点から人権や権利に焦点を当てているという点で、画期的な国際規範と言えよう。批准した条約は一般法律の上位に位置するとされ、今後の効力が期待される。
社会のみんなが障害をわが身の問題としてとらえるのは至難であろう。しかし、人生の終末期までを含めると障害を有する可能性は少なくないはずである。障害のある人に思いを馳せ、第一人称の問題としてイメージできる時、新たな社会が近づいてくるに違いない。今般の条約批准が、社会全体の想像力増幅の新たな契機になることを願ってやまない。
<月刊誌『第三文明』2014年1月号から転載>