周恩来首相の強い願い
10月25日の夕刻。北京の人民大会堂で「日中平和友好条約締結40周年」記念式典(主催=中国人民対外友好協会、中日友好協会)が盛大に開催された。(聖教ニュース10月27日付)中国側からは李克強首相、王毅外交部長(外相)、唐家璇中日友好協会会長らが出席。日本側からは安倍晋三首相ほか政財界関係者、日中友好に尽力してきた諸団体関係者らが出席した。
式典に先立って、両首相を中心に、平和友好条約の締結にかかわった人々やその家族が記念撮影。人民対外友好協会の李小林会長、程永華駐日大使、公明党の北側一雄副代表、創価学会の池田博正主任副会長らが写真に収まった。
1972年に国交を正常化した日中両国であったが、平和友好条約の締結までは6年の歳月を要した。米国政府や議会に対する日本政府の配慮や、自民党内での反対論が強かったのである。
74年12月に、入院先の病院で池田大作名誉会長(当時は第3代会長)と会見した周恩来首相は、
池田会長は中日両国人民の友好関係の発展はどんなことをしても必要であるということを何度も提唱されている。そのことが私にはとてもうれしい。(『周恩来と池田大作』/南開大学周恩来研究センター著/日本語版は朝日ソノラマ刊)
と語り、72年の両国政府の共同声明に明記されていた平和友好条約についても
この条約の早期締結を強く切望する、と表明した。(同書)
締結実現に奔走した池田会長
前掲書を刊行した南開大学は周恩来首相の母校である。
周恩来の事績を検証してきた同大の周恩来研究センターは、この74年の会見の翌月、池田会長が日米両政府の要人と会見した事実を、別の書籍で記している。
75年1月、ワシントンを訪れた池田会長は、米国のキッシンジャー国務長官と会見する。
キッシンジャー長官は氏の平和への行動をよく知っており、日米の未来をはじめとする諸問題について意見交換をしていくことに同意した。中日平和友好条約については、キッシンジャー長官も締結に賛成の意を表した。(『周恩来、池田大作と中日友好』/南開大学周恩来研究センター孔繁豊・紅亜光/日本語版は白帝社)
訪米中だった大平正芳蔵相は、同じ日の午後、池田会長をワシントンの日本大使公邸に招く。大平氏は、田中角栄内閣の外相として日中国交正常化の渦中にいた人物だ。
キッシンジャー長官の意向を、大平氏は一刻も早く確かめたかったのだろう。
池田会長はアメリカ訪問を終えて帰国してからも、さらに奔走し努力を続けた。
(中略)
氏はこのように、周総理から託された願いを決して忘れることなく、一日も早い平和友好条約の締結実現のために、世論を喚起し、世界中を奔走し、力の限り闘ったのである。(同書)
1978年8月12日。ようやく北京で同条約は署名され、10月23日に発効する。その前日の10月22日、事実上の最高指導者であった鄧小平副首相が来日し、23日に中国の首脳として初めて昭和天皇と会見した。
日本から中国へのODA(対中政府開発援助)は翌79年からはじまり、今年秋までの40年間、総額3兆円が中国の近代化と改革開放に大きく貢献した。
今回の安倍首相の訪中は、このODAを円満に終了する節目の意義も込められていた。
友情と信義の絆
さる10月27日付の聖教新聞は、人民大会堂での「日中平和友好条約締結40周年」記念式典の終了後、唐家璇会長と李小林会長が池田博正主任副会長と笑顔で記念撮影した1枚を報じている。
唐氏は外交部長、国務委員を歴任した中国外交の重鎮で、流暢な日本語を話す。じつは、池田会長の初訪中で、李先念副首相との通訳を務めたのが若き日の唐氏だった。
その李先念氏は、人民対外友好協会の李小林会長の父である。そして、池田博正氏は池田名誉会長の長男であり、会長の名代としても世界各地を回ってきた。
また、2010年以来、中国の駐日本特命全権大使として赴任し、この間の困難な日中関係を懸命につなぎとめ続けてきた程永華氏は、1975年に新中国の国費留学生第1号として来日し、池田会長自らが身元引受人となって創価大学に留学した。
さらにいえば、李克強首相もまた1985年に全青連(中華全国青年連合会)代表団の副団長として来日し、聖教新聞社で池田名誉会長と会見している。
本年5月の来日時に、池田名誉会長から李首相に友誼の漢詩が贈られると、帰国した李首相は返礼の漢詩を詠んだ。
池田名誉会長が40年以上前から誠実に育んできた友情と信義が、今回の日中関係の劇的な転換を、あらゆる方向から支えてきたといえるのではないか。
50年経て証明された重要性
10月25日、李克強首相と安倍首相は、北京市内で「日中経済貿易協力写真展」を参観した。内閣広報室が写真提供し外務省のサイトに掲載されているその光景は、両首脳と李小林会長が1枚のパネルに見入っている場面だ。
安倍首相が指さしているのは、池田会長の創立した民主音楽協会が主催した上海歌舞団のステージ「舞劇 朱鷺」日本公演の舞台写真である。
じつは、まだ日中間のぎくしゃくした緊張関係が解けていなかった2014年10月、本公演に先立つプレビュー上演会が東京都内で開かれ、中国側からは李小林会長、程永華大使、日本側は三笠宮彬子さま、安倍首相らが鑑賞した。
李会長は同じ「太子党」(中国共産党最高幹部の子弟たち)の一員として、習近平主席と近しいといわれてきた。
芸術鑑賞という機会を通して、中国人民対外友好協会のトップと安倍首相が打ち解けた時間を共有できたことは、日本から中国へのシグナルとなり、両国関係改善の一つの転機となった。
中国最高峰の舞劇「朱鷺」は、15年から日本各地で公演され、約10万人の鑑賞者が訪れている。同公演は2020年にも日本での再演が予定されている。
また、同じく池田名誉会長が創立した東京富士美術館は、日中平和友好条約40周年の意義を込め、9月23日から北京にある清華大学の芸術博物館で「西洋絵画500年展」を開催した。
東京富士美術館が所蔵するルネサンス時代から20世紀までの名品60点が展示され、中国の美術ファンが連日詰めかけている。
平和や友好を語ることはたやすい。大事なことは、何をなしてきたかである。
9月25日、創価学会代表訪中団と会見した王岐山国家副主席は、総団長の原田稔会長との会見でこう語った。
貴会は中日友好の初心を忘れず、時代を貫いて非常に大切にされてきました。
個人であれ、党派・団体であれ、実践こそ真理を検証する唯一の基準です。
実践の真価は、時間や歴史の試練を経なければ分からない。その意味で、名誉会長の国交正常化提言は50年という歴史を経て、その重要性が証明されました。まさに遠見であると思います。(聖教新聞9月27付)
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