絶妙な時期のサミット
日中韓の3ヵ国が持ち回りで開催してきた「日中韓サミット」の第7回が、5月9日に東京・元赤坂の迎賓館で開催された。
4月27日には板門店で南北首脳会談がおこなわれ、サミット直前の7日、8日には、中国・大連で2度目の中朝首脳会談が開催されている。
6月12日には初の米朝首脳会談も控えており、日本政府はきわめて絶妙なタイミングでの日中韓サミットを無事に実現できたことになる。
日韓、日中の個別の首脳会談もおこなわれ、北朝鮮に関する情報の共有、意思の疎通が首脳同士で図れたことの意義は大きい。
とりわけ、今回は日中関係において注目すべき大きな成果があったと思う。
連絡メカニズムに署名
1つは、長年の両国間の懸案だった「海空連絡メカニズム」の運用開始が、安倍首相と李克強首相の間で合意され、首脳会談後に双方の防衛当局者によって署名されたことだ。
日中関係は、外交能力をまったく欠いていた民主党政権下で〝国交正常化以来で最悪〟という状況まで悪化した。2010年に起きた〝尖閣諸島漁船衝突事件〟の対応に失敗し、中国各地の都市で大規模な反日デモが繰り返され、日系企業の工場やデパートなどが暴徒によって破壊される事態も相次いだ。
さらに2012年に民主党政権は尖閣諸島の国有化に踏み切り、日中間の対立は決定的となってしまう。
尖閣諸島など南西諸島海域では中国の公船や軍用機による領海・領空侵犯が繰り返されるようになり、それに対応する日本側のスクランブル発進の回数も急増した。
じつは、日中の防衛当局の間では偶発的な衝突を回避するための「海空連絡メカニズム」設置のための作業グループ協議が、自公政権下の2008年からはじまっていた。
それが、民主党政権下で事実上、暗礁に乗り上げていたのだ。
民主党政権のかじ取りの稚拙さ、中国の海洋進出政策もあって、南の海ではいつ不測の事態が起きてもおかしくないほど緊張が高まっていた。
公明党が公約に掲げる
2012年12月末に自公連立政権が発足すると、翌月には公明党の山口那津男代表が訪中。国家主席就任が決まっていた習近平氏と会見して、安倍首相の親書を手渡し、その模様が中国でもテレビ放映されるなど、ここから両国関係改善への突破口を開くことができた。
2013年夏の参議院選に向けて掲げた重点政策の中で、公明党は中国、ロシア、韓国など近隣諸国との関係再構築に向けた定期的な首脳会談の実現などとともに、
日中間の偶発的な衝突回避を目的とした「海上連絡メカニズム」の構築など、不測の事態を未然に防ぐシステムづくりを推進します。(「マニフェスト2013/参院選重点政策」)
と、日中間の「連絡メカニズム」を選挙公約に挙げた。
政権交代後、日中関係は改善に向かい、2014年11月のAPECで、初めての日中首脳会談が実現。この「連絡メカニズム」設置でも合意を見る。
2015年1月には日中の防衛当局が3年ぶりに協議を再開。2月の参院代表質問で、山口代表は重ねてこのシステムの早期運用を訴えた。
同年8月に米国国防総省が発表したアジア太平洋地域の海洋安全保障戦略に関する報告書も、日中両政府が不測の軍事衝突を避けるための「連絡メカニズム」早期実現への交渉を進めていることを高く評価している。
こうした長年の忍耐強い努力を経て、今回の日中首脳会談によって両国の「海空連絡メカニズム」が調印されたのだ。
池田名誉会長への感謝
今回の訪日で、李克強首相は自民・公明の与党幹部とも会談した(10日午後)。
自民党からは二階幹事長ら、公明党からは山口代表らが出席。李首相との間で、両国の更なる相互理解を深めるために、若手政治家の交流促進などが約し合われた。
席上、李首相は33年前に公明党創立者である池田大作・創価学会名誉会長と長時間にわたって会談した思い出に言及した。
それは、1985年3月、のちに国家主席となる胡錦濤氏を団長とする全青連(中華全国青年連合会)代表団が、東京の聖教新聞社に池田名誉会長を訪ねた折のことである。
全青連は3億5000万人の会員を持つ中国最大の青年組織で、中国各界のリーダーを輩出している。当時、李首相はまだ29歳の青年であった。
この訪問は、前年に池田名誉会長が提案した両国の青年交流に中国側が応えたもので、学会と全青連は交流の議定書に調印。以来、今日に至るまで双方の交流は続いている。
李首相は、自民党首脳らの前で、若き日の池田名誉会長との邂逅に触れ、「(名誉会長の)日中友好への重要な貢献に感謝申し上げる」と語った。
なお、一連の首脳外交に同席した王毅・国務委員兼外交部長(外相)も、駐日大使だった当時、池田名誉会長とは何度も友誼の語らいを重ねた一人。
また、程永華・駐日中国大使も、池田名誉会長自らが身元引受人となり、新中国から日本への最初の留学生として、若き日に創価大学で学んでいる。
「正常な軌道に戻った」
今回の日中首脳会談でもっとも注目されるべきことは、日中関係が〝新たな段階〟に入ったことが中国側から宣言されたことだ。
9日の首脳会談で安倍首相が「全面的な関係改善を進め、日中関係を新たな段階へと押し上げていきたい」と発言すると、李首相は次のように発言した。
今はまさに、波風が過ぎ去って晴天があらわれはじめました。今回の私の公式訪問により両国関係は正常な軌道に戻った。(日テレNEWS24)
東アジア情勢が歴史的な転機を迎えつつあるなかで、中国首相の口から「正常な軌道に戻った」と明言があった意味は非常に重い。
内閣支持率の下落など内患を抱える安倍政権ではあるが、自民・公明の絶妙な連携を着実に積み重ね、前政権の〝負の遺産〟であった日中関係の行き詰まりを、正常な状態にまで転換できたことは、大きく評価されてよいと思う。
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