なぜ維新の「不祥事」は続くのか――中学生への性的暴行で逮捕者

ライター
松田 明

吉村知事の〝部下〟だった斎藤知事

「大阪以外で初めて誕生した維新系知事」だった斎藤元彦・兵庫県知事。元総務官僚だった斎藤知事は、総務省時代の2018年から大阪府に出向し、府の財務部財政課長をつとめていた。
 吉村大阪府知事とは、いわば〝上司と部下〟の関係。2021年7月の兵庫県知事選挙で、日本維新の会は自民党と共に斎藤氏を推薦し、選挙戦では大阪市長であった松井一郎氏(当時の日本維新の会代表)、大阪府知事の吉村洋文副代表らが兵庫県下に乗り込んで熱烈に支援した。
 だが、その斎藤知事は今や、無所属議員まで含めた県議会の全会派の全議員から「辞職」を求められている。
 斎藤知事が内部告発した元局長を調査結果も待たずに処分した問題で百条委員会が設置されても、日本維新の会の馬場代表は静観の姿勢を崩さなかった。
 しかし、8月の箕面市長選挙で維新所属の現職が惨敗すると、8月31日になって藤田文武幹事長が兵庫維新の会幹部や県議団と協議に入った。世論の読み間違いというよりも、維新に蔓延する〝驕り〟〝ガバナンスの欠如〟のあらわれであろう。 続きを読む

「オール沖縄」また敗北――閉塞感漂う日本共産党

ライター
松田 明

自民・公明推薦の候補が圧勝

 普天間飛行場を抱える沖縄・宜野湾市の市長選挙が、9月8日に投開票日を迎えた。今回の選挙は松川正則・前市長が7月に急逝したことに伴うものだ。
 選挙戦は、自公が推薦した佐喜真淳氏(60歳/無所属)と、オール沖縄勢力が推薦した桃原功氏(65歳/無所属)の事実上の一騎打ちとなった。
 佐喜真氏は、宜野湾市議や沖縄県議を経て2012年に宜野湾市長に当選。2期目だった2018年に沖縄県知事選に立候補するために辞職していた。桃原氏は、宜野湾市議8期目のベテラン。玉城デニー知事を支える「オール沖縄」が擁立を決めた。
 選挙結果は以下の通り。約8000票の大差で自民・公明が推薦した佐喜真氏が当選した。

佐喜真淳(無所属・元) 2万4173票(当選)
桃原功(無所属・新)  1万6195票
比嘉隆(無所属・新)     705票

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『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第59回 正修止観章⑲

[3]「2. 広く解す」⑰

(9)十乗観法を明かす⑥

 ③不可思議境とは何か(4)

(3)十如是——総じて釈す②

 第二に、「如是性」については、

 性は以て内に拠る。総じて三義有り。一に不改を性と名づく。『無行経』に「不動性」と称す。性は即ち不改の義なり。又た、性は性分と名づく。種類の義は、分分同じからず、各各改む可からず。又た、性は是れ実性なり。実性は即ち理性なり。極実にして過無きは、即ち仏性の異名なるのみ……心も亦た是の如く、一切の五陰の性を具し、見る可からずと雖も、無と言うことを得ず、智眼を以て観ずるに、一切の性を具す」(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅱ)、566頁)。

 性は事物の内側を拠り所としていると解釈し、事物の外側を拠り所とすると解釈した「相」との対比を際立てている。この性に三つの意義があるとする。第一には、「不改」、つまり変化しないことを意味している。『諸法無行経』では「不動の性」と呼んでいるといっているが、実際には「不動の相」は頻出するが、「不動の性」は見られない。
 性の第二の意味は、「性分」、つまり生まれつきの性質に名づけたものである。これは「種類」という意義ともいわれている。それぞれの持ち前が異なっており、それぞれ変化させることができないということである。「種類」は、他と区別され、あるまとまりを持ったものの集まりを意味する。性の第二の意味として、「性分」(生まれつきの性質は当然人によって異なる)を取りあげ、それを「種類の義」といっている。次下に出る「種性」も生まれつきの性質の意であるが、この第二の意味である種類としての性を指すものであろう。仏教用語としては、種姓と同じくゴートラ(gotra.血統、家柄などの意)の漢訳語として使われる。また、修行者の素質を意味し、経論によって種々に分類される。 続きを読む

本の楽園 第192回 日付のある文章

作家
村上政彦

 10代のころから日記をつけている。といっても、永井荷風のように戦争中は戦火で焼かれないように風呂敷包みにして避難するほど大切にしたわけではない。「欺かざるの記」と称して、文学青年風の日記をつけて、少しばかり気取っていたのだ。
 高校の入学祝いに、親しい友人から梶井基次郎の全集を贈られて、彼の日記を毎日読んだ。梶井は30歳で亡くなっているのだが、商業誌に書いたことがほとんどなく、作品を発表する媒体はたいてい同人誌だった。けれど、生活は作家そのものだった。
 僕はそれに憧れて、梶井の日記を読んで、作家の生活をまねた。確か、太宰治の『人間失格』に、上京して大学の友人から教わったのは、酒と煙草と女とマルキシズムだった、というようなことを書いていた気がするが、僕は梶井の日記から、文学者の在りようを学んだ。
 日記はおもしろい。日本文学には古くから日記文学の伝統があるけれど、文学者だけでなく、市井の人の書いたものでも、そこに人の暮らしや、時代の空気があって、興味を惹かれる。
 坪内祐三の『日記から 50人、50の「その時」』は、小説家、詩人、学者、政治家、官僚、レーサーなど、さまざまな人物の日記から構成されている。もっともいちばん多いのは文学者だけれど、作家は日記をつけるのが仕事にもなるのだから自然なことだろう。 続きを読む

書評『シモーヌ・ヴェイユ』――不幸と闘い続けた哲学者、その思想の伝記

ライター
小林芳雄

革命幻想を打ち破り、精神の変革を志向する

 戦争と革命に揺れ、全体主義の台頭と大量虐殺を招いた20世紀。シモーヌ・ヴェイユ(1909年-1943年)はこの暗い時代に誰よりも真剣に向き合い、独創的な哲学を築き上げたことで知られる。徹底した行動と冷静な知性に裏打ちされたその思想は、現代でも大きな影響をもつ。本書は彼女の生きた時代状況と思索の過程を丹念に辿り、その哲学の全体像に迫った「思想の伝記」である。

三四歳で亡くなるまでのほぼ二〇年間に書かれたテクストを通読すると、ヴェイユの思想に根本的な変化はみられない。あるのは熟考と経験のもたらす深化であり重層化である。(本書9ページ)

 ヴェイユはフランスのユダヤ人家庭に生まれ、高校では哲学者・アランの薫陶を受けた。エリート養成機関である高等師範学校を卒業し、教育者となった。
 彼女が社会に踏み出した当時、ロシア革命や経済不況の影響を受け、社会主義革命への期待がかつてないほど高まりをみせた時代であった。
「正しい思考は正しい行動をみちびき、欺瞞と妥協にみちた人生は生きるにあたいしない」という師匠であるアランの教えを実践すべく、高校教師として働きながら社会主義運動にも真剣に取り組む。その過程でソ連が全体主義体制であることを見抜き、損得ずくの主導権争いに明け暮れる労働組合の惨状を知った。 続きを読む