21世紀が求める宗教とは④――人類を結び合う信仰

ライター
松田 明

現代における世界宗教の条件

 スペイン語は世界21カ国で公用語となっており、話者数では中国語、英語に次いで多い(文科省データ「世界の母語人口」)。
 カルロス・ルビオ博士はスペインにおける言語学と翻訳理論の権威で、日本文学・文化研究の第一人者としても知られる。『プエルタ新スペイン語辞典』(研究社)、『クラウン和西辞典』(三省堂)など数多くの書籍の著述編纂に関わってきた。
 東京大学客員教授だった時期に創価学会の書籍の翻訳に携わった経験があり、2004年から2012年にかけてスペイン語版『御書』や『法華経』の総合監修者も務めた。
 博士は、世界宗教の特徴・条件として、①宗教的メッセージの普遍性、②権力から独立して、そのメッセージを伝える力、を挙げる。
 そして、現代における世界宗教のさらなる条件として、③多様な文化への適応性、④その宗教が放つメッセージのなかに「平和」「寛容」「対話」という要素が含まれていること、を挙げている。

 異なる文化を理解し、それに対応することができる創価学会は、メンバー間の交流がさらに増す中で、真の世界宗教に発展するであろうと確信します。(カルロス・ルビオ博士『21世紀の創価学会論 識者が見た未来への希望』潮出版社)

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21世紀が求める宗教とは③――「教団」に属することの意味

ライター
松田 明

スピリチュアルに流れる日本人

 NHK放送文化研究所が1973年から5年ごとに継続して実施(直近は2018年実施)している「日本人の意識」調査が、興味深いデータを示している(第10回「日本人の意識」調査 結果の概要)。
「ふだんから、礼拝、お勤め、修行、布教など宗教的なおこないをしている」「おりにふれ、お祈りやお勤めをしている」という人の割合は総じて減少傾向にあり、73年には合わせて約3割だったのが、18年には約2割になっている。なんらかの信仰を自覚的に持って実践している人の割合は、緩やかに下降しているようだ。
 一方で、「この1、2年の間に、身の安全や商売繁盛、入試合格などを祈願しにいったことがある」「お守りやおふだなど、魔よけや縁起ものを自分の身のまわりにおいている」「この1、2年の間に、おみくじを引いたり、易や占いをしてもらったことがある」(複数回答可)は、45年間を通して増加のトレンドが見られる。
 ちなみに「宗教とか信仰とかに関係していると思われることがらは、何も信じていない」という人は、多少の増減を繰り返しながらも大きな変化はなく、73年も18年も約3割だった。 続きを読む

21世紀が求める宗教とは②――中間団体としての信仰共同体

ライター
松田 明

震災で発揮された学会の真価

 宗教が社会に何を果たし得るのか。そのことが大きく問われた出来事のひとつが、東日本大震災だった。
 被災地の各地では、神社や寺院が地域住民の一時避難所となって多くの命を守った。創価学会の場合も、気仙沼や大船渡では会館の1階まで津波で浸水するなか、人々は2階に逃れて九死に一生を得た。
 会員であるなしを問わず被災者を受け入れた各会館は、同時に救援活動の拠点となり、発災直後からフル回転している。
 通信手段が途絶え、行政の機能がほとんど失われたなかで、創価学会では即座に自発的な救援活動がはじまっている。被災地域(岩手・宮城・福島・茨城・千葉)の創価学会は、42会館で最大5000人の避難者を受け入れた。全国各都道府県の創価学会も、即座に救援物資やボランティアの派遣に動いている。 続きを読む

21世紀が求める宗教とは①――宗教は人間のためにある

ライター
松田 明

人間のもっとも基本的な営み

 旧統一教会の抱える問題がクローズアップされ、「宗教」に社会の目が注がれている。
 宗教が人間を手段化していくことの愚かさと恐ろしさ。連日の報道に接しながら、多くの人がそのことに戦慄しているだろう。
 本来、宗教は人間を幸福にしていくためにあるはずだ。旧統一教会問題は、この「宗教の立ち返るべき出発点」をあらためて社会に問い直している。

 私は、宗教とは、人間がその有限性に目覚めたときに活動を開始する、人間にとってもっとも基本的な営みだと理解している。このような大切な営みに対して、日本人が長年にわたって「無宗教」の一言ですましてきたということは、尋常なことではない。(阿満利麿『日本人はなぜ無宗教なのか』ちくま新書)

 とはいえ、単に反社会的行為を繰り返す教団の異常性をバッシングして留飲を下げるだけに終わっては何の意味もない。21世紀という時代に求められる宗教のすがたとはいかなるものか。宗教が社会に果たすべき役割は何か。今こそ認識を深めなければならない。 続きを読む

芥川賞を読む 第23回『蔭の棲みか』玄月

文筆家
水上修一

在日朝鮮人の集落を舞台に、時代の潮流の中で生きる老人を描く

玄月(げんげつ)著/第122回芥川賞受賞作(1999年下半期)

ありありと描きだされた人物像

 受賞者のなかった前回(第121回)とは打って変わって、第122回はW受賞となった。その一つが、当時34歳だった玄月の「蔭の棲みか」だった。大阪生まれの玄月は、アルバイトや父親の町工場の手伝いをするかたわら、大阪文学学校で創作の腕を磨き、頭角を現し始める。受賞者なしとなった第121回で芥川賞候補となっている。
 在日朝鮮人が暮らす大阪の下町が舞台だ。まるでスラムのような集落に暮らす主人公のソバンは、最古参の住人で、戦争で手首を落として以来68年間この集落に暮らし続けてきた。妻も子どもも亡くし仕事もせず、無為に流れていく日々の中で、街の変遷を見てきた。さまざまな人物や、集落の中で起きる事件や出来事や日常を描きながら、この特殊な集落とそこに住む人間を描いている。 続きを読む