公明党が激怒した背景――自民党都連の不誠実と傲慢

ライター
松田 明

自公の幹事長・選対委員長会談後に取材に応じる公明石井幹事長と西田選対委員長(5月25日)

 5月25日、公明党が「東京における自民党との選挙協力を解消する」というニュースが駆け巡った。
 同日昼、石井啓一幹事長と西田実仁選対委員長が、自民党の茂木敏充幹事長と森山裕選対委員長と国会内で会談。公明党は、この日の党常任役員会で決定した方針を伝えた。

①「東京28区」で公明党として候補者を擁立しない
②公明党が候補を公認した「東京29区」で自民党の推薦を求めない
③東京の小選挙区で公明党は自民党候補を推薦しない
④今後の都議選や首長選などで自公の選挙協力をしない
⑤都議会における自公の協力関係を解消する

というもの。
 石井幹事長は記者団に、会談のなかで「東京における自公の信頼関係は地に落ちた」と伝えたことを明かした。
 茂木幹事長は「持ち帰って検討させてほしい」としたが、石井幹事長は「党の最終方針なので、この方針を変えることはない」と応じた。
 なお公明党は、これは東京に限定した話であり、連立に影響させるつもりも、他の46道府県に影響を及ぼすつもりもないとしている。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第156回 木と話す?

作家
村上政彦

 木と話すそうだ。木とは樹木の木である。大丈夫か? とおもった人は少なくないだろう。僕も、そうだった。特にプロローグの、明治神宮にいる樫の木のスダジイとのやりとりは、これは……と感じた。
 あるとき著者がスダジイに、そこでなにをしているのか尋ねたら、すごいエネルギーが返ってきたのだという。しかも、人間についての辛口な批評がふくまれたメッセージとともに。
 そこからスダジイのモノローグがつづく(これは著者がうけとった植物の思いを言葉に翻訳したものだ)。スダジイが言うには、日本にはいくつか国の錨(アンカー)になる場所があって、植物たちはそこへ地球の強い生命エネルギーを流すことで、自然のバランスを保っている。
 しかし人間はバランスを崩すようなことをする。つりあいを失ったところは蝕まれて、人間や動物が病むこともある。実は、人間も地球の生命エネルギーの場にいるのだが、それを意識することができず、地球の生命エネルギーに同調する力を失っている――。
 などなどとメッセージを伝えてくるのは、「木の魂の中でも、大元の魂」。そして、地球上の植物はすべてが大元の魂とつながっている。木にもいのちが宿っているのだ、という。 続きを読む

書評『夜のイチジクの木の上で』――‶中途半端さ〟で生き残る動物の生態

ライター
小林芳雄

シベットとはいかなる生き物か

「新・動物記」シリーズは、動物の魅力にひかれた若手の研究者が、多くの努力を重ねながら、動物の生態や社会を明らかにするドキュメンタリーシリーズだ。本書はその第4巻にあたる。多くの写真やイラストが収録されており、さらにはQRコードをスマホで読み取ると、現地で収録した動物や鳥の映像や鳴き声などを見たり聞いたりができる。最新の学術成果を一般の読者で学べるさまざまな工夫が凝らされている。
 本書『夜のイチジクの木の上で』の著者は若手の女性の研究者である。「知的好奇心」と「たのしさ」を重視しているだけあって、研究の過程で出会った動物の生態やエピソードなどを小気味のよい、分かりやすい文体で、楽しく紹介している。動物や生態系に興味があれば、高校生や中学生でもじゅうぶんに読み通すことができる内容だろう。
 本書の主役となる動物はシベットである。この耳慣れない名前の動物の姿が思い浮かぶ人はほとんどいないだろう。古くはジャコウネコと呼ばれていたが、同じ食肉目でもネコとは全く違う動物である。読者の誤解を招かないために本書では一貫してシベットと表記されている。 続きを読む

『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第13回 修大行(2)

[1]四種三昧②

非行非坐三昧②

 前回は、非行非坐三昧についての説明の途中で終わった。非行非坐三昧は、諸の経に約す・諸の善に約す・諸の悪に約す・諸の無記(善でも悪でもない性質のもの)に約すという四段落から成る。今回は、後の三段である善・悪・無記の三性の日常心を対境として止観を行ずる段について説明する。智顗(ちぎ)は、かなりの紙数を割いて、この段を説明しているが、議論が複雑で難解な点も多い。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第155回 失踪願望。

作家
村上政彦

 80年代のなかばから90年代にかけて、シーナは僕のアイドルのひとりだった。シーナといっても、林檎のほうではない。誠のほうである。あちこちにあやしい探検隊として旅し、ぐゎしぐゎしビールを呑み、それを昭和軽薄体と称するかろやかな文章で書く。
『さらば国分寺書店のオババ』は、おもしろかったー。ただ、おもしろかったーという印象だけで、内容は、おそろしく本を大切にする、国分寺書店のオババのことしか憶えていない。
 そのころの僕は、まだヌーボーロマンの一味で、日本初のアバンギャルド小説を書くことに励んでいたので、シーナの書く文章は、大袈裟ではなく、衝撃だった。こんなふうに書いてもいいのかと驚かされた。
 それからしばらく、あまり僕はシーナの本を読んでいない。無意識のうちに影響を受けるのが怖かったのかも知れない。しかしあれから30年。シーナの新刊が出たと知ったので、もうそろそろいいだろうと、さっそく注文して読んでみた。
 愕然とした。シーナが77歳の喜寿だと? コロナで死にかけただと? そうか。僕も歳をとったのだから、当然のことか。それにしても、ああ、年月の流れは残酷だ。もう、シーナとは呼べない。ここからは椎名氏とする。 続きを読む