連載エッセー「本の楽園」 第165回 大人が絵本を読んで悪いか

作家
村上政彦

 僕の妻は、子供たちみなに絵本の読み聞かせをして育てた。いま事情があって7歳の男の子を育てているけれど、彼女はその子にも読み聞かせをする。幼いころからやってきたので習慣になって、寝るときに子供が本を選んで妻のもとへ持って来る。
 たまたま僕が疲れて横になっているときは、僕も妻の読み聞かせの声を聴きながら眠りにつく。これが、ものすごく心地がいい。僕の母は、酒場でママさんと呼ばれる仕事をしていたので、読み聞かせをしてもらった記憶はない。
 父が早くに亡くなったので、母が外で働いて、祖母が家事や子育てを担って、僕の家庭は営まれていた。だから、祖母が読み聞かせをしてくれたかというと、彼女は尋常小学校中退で、ほとんど文字の読み書きができなかった。読み聞かせをするどころではない。せいぜい、子守唄を歌ってくれるぐらいだった。
 読み聞かせの効果があってか、3人の子供たちは本を読むことが苦にならないようで、長男は建設現場で稼ぎながらバンドをやっているのだが、哲学書などを読む。長女は保育士をしていた母の背を見て育ったからだろう、就活を1カ月で諦めて保育の専門学校へ入って保育士になった。職場では子供たちに率先して絵本や童話などの読み聞かせをしていた。 続きを読む

『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第18回 体相①

 次に十広の第三章「体相」の章では、本体としての真理の奥深いことを認識するために、第一に教相、第二に眼智、第三に境界、第四に得失の四段によって「体」を明らかにする。この四段が示される理由については、次のように説明されている。

夫れ理は教に藉(か)りて彰わる。教法は既に多ければ、故に相を用て顕わす。入理の門は同じからざるが故に、眼・智を用て顕わす。諦に権実有るが故に、境界を用て顕わす。人に差会(しゃえ)有るが故に、得失を用て顕わす。(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅰ)254頁)

 理=体は教によってあらわれるが、教法は多いので、教相によって理をあらわすこと、理に入る門は相違するので、眼・智によってあらわすこと、諦(理)に権・実があるので、境界によってあらわすこと、人に差違性・同一性があるので、得失によってあらわすことが示されている。以下、順に紹介する。 続きを読む

「維新」の強さ。その光と影(下)――〝強さ〟がはらむリスクと脆さ

ライター
松田 明

「日本維新の会」公式ホームページより

「電車の本数を減らせ」と同じ

 急速に勢力拡大を図る日本維新の会。全国紙の大阪本社に在籍するベテラン記者は、「今の維新はほんまに強いで。クロースアップ・マジックの名人なんや」と語った。クロースアップ・マジックとは、観客のすぐ目の前で見せる手品のことだ。
 たとえば維新の代名詞ともなっている「身を切る改革」。
 維新は、「まず議員が身を切る改革を実践し覚悟を示す」として、議員定数の削減、議員報酬の削減を掲げる。馬場代表は最近、国会でも衆参を合併して一院制にして議員を半分にするとまで語っている。
 ここで描かれている〝物語〟は、旧来の政治が政治家自身の既得権益を守っていて、庶民がムダな負担を強いられているというものだ。「古い政治」に対して維新が「新しい民意」で挑むという図である。
 少子高齢化で現役世代の社会保障費の負担が大きな課題になり、あるいはコスパやタイパがトレンドになるなか、まずは政治家や政党自身が〝わが身を切れ〟というメッセージは有権者の心情に響きやすい。
 しかし、日本の国会議員の数は欧州諸国と比べてもかなり少ない。しかも議員定数削減や報酬カットで得られる財源は、大阪市でも年間2億円程度。全国でも数十億円にとどまるだろう。浮く財源は国民1人あたり年間で何十円か。定数や報酬を減らしたからといって減税ができるような話ではない。 続きを読む

「維新」の強さ。その光と影(上)――誰が維新を支持しているのか

ライター
松田 明

「日本維新の会」統一地方選特設ページ

「維新はリベラル」という認識

 このところ日本維新の会の支持率が立憲民主党を抜いている。潮目の変化が起きたのは今年4月9日。統一地方選挙の前半戦で、大阪府知事選挙と大阪市長選挙の両方をふたたび維新が大差で勝ち抜き、府議会と市議会で単独過半数を獲得したところからだ。
 維新の支持率が瞬間的に立憲を抜いたことは過去にも何度かあったが、4月半ば以降はどの社の調査でも逆転が固定されている。
 過去40年ほどのあいだに、いくつもの「新党」が生まれ、「第三極」と呼ばれる勢力も伸びながら、いずれも長くは続かなかった。この点、維新は母体でもある大阪維新の会の結成までさかのぼれば、すでに13年も命脈を保っている。
 なぜ維新がこれほど強くなってきたのか。〝極右〟〝ポピュリズム〟〝在阪メディアを牛耳っている〟という維新への批判は、そもそも的確なのか。
 政治学的に各党の政策を分析評価した指標と、一般有権者の目に映っている各党のカラーは、必ずしも一致しない。そればかりか、世代によっても映り方は全く違う。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第164回 弱さのちから

作家
村上政彦

 この数年、「ケア」という言葉をよく見かけるようになった。文学、アート、音楽、さまざまなシーンで、ケアにかかわる作品の制作や、ケアを軸に作品を論じる批評を見聞きした。ケアとはなにか? 哲学者の鷲田清一は、すでにずいぶんとまえから、この問いを発してきた。
『〈弱さ〉のちから ホスピタブルな光景』は2001年に出版されている。

ケアについて考えれば考えるほど、不思議におもうことがある。なにもしてくれなくていい、とにかくだれかが傍らに、あるいは辺りにいるだけで、こまごまと懸命に、適切に、「世話」をしてもらうよりも深いケアを享けたと感じるときがあるのはどうしてなのか

 そういう経験は、僕にもある。それは実存そのものの息吹や体温と関係しているとおもう。もう、だめだ、この先、生きてゆけない、と脱力し、坐りこんでいるとき、よけいな言葉をかけることなく、そっと隣に坐って、ともに時を過ごしてくれた人がいた。 続きを読む