第17回 釈名(2)
[1]相待止観②
(2)観の三義
『摩訶止観』には、観の三義について、次のように説明している。
観も亦た三義あり。貫穿(かんせん)の義、観達(かんだつ)の義、不観に対する観の義なり。
貫穿の義とは、智慧の利(するど)き用(ゆう)は、煩悩を穿滅(せんめつ)す。(中略)此れは所破に就いて名を得るにして、貫穿の観を立つるなり。
観達の義とは、観智もて通達して、真如に契会(かいえ)す。(中略)此れは能観に就いて名を得るが故に、観達の観を立つるなり。
不観に対する観とは、語は上に通ずと雖も、意は則ち永く殊なり。上の両(ふた)つの観は亦た通じて生死の弥密に対して貫穿を論じ、迷惑の昏盲(こんもう)に対して観達を論ず。此れは通じて智・断に約し、相待して観を明かすなり。今は別して諦理に約す。無明は即ち法性にして、法性は即ち無明なり。無明は観にも非ず不観にも非ずして、而も無明を喚びて不観と為し、法性は亦た観にも非ず不観にも非ずして、而も法性を喚びて観と為す。(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅰ)236~238頁)