『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第10回 発大心(4)

[5]六即①

 五略の第一発大心のなかの「是(ぜ)を顕わす」(顕是)のなかの四諦、四弘誓願(しぐぜいがん)については説明した。今回は、六即(理即・名字即・観行即・相似即・分真即・究竟即)について説明する。
 これは、智顗(ちぎ)が創唱した円教の行位である。湛然(たんねん)『止観大意』には、この六即について「即なるが故に、初後は倶に是なり。六なるが故に、初後は濫(らん)ぜず。理は同じきが故に即にして、事は異なるが故に六なり」(大正46、459下4~5)とわかりやすく要所を押さえた説明をしている。行位を六段階に分けても、すべて同一の真理を証得するので「即」といい、その平等性の上に立って、真理を証得することに浅深の差異があるので「六」というものである。つまり「即」は同一の理を証得するという平等性を意味し、「六」は具体的な位の差異を意味している。 続きを読む

なぜ公明党が信頼されるのか――圧倒的な政策実現力

ライター
松田 明

問われるのは「裏付けと能力」

 4年に1度の統一地方選挙。その後半戦もいよいよ23日(日)に投開票日を迎える。
 前半戦が道府県知事、道府県議、政令指定市議の選挙だったのに対し、この後半戦では一般市議と東京特別区議を選ぶこととなる。私たちの暮らしにより身近な政治家を選ぶ選挙だ。
 1票を投じる判断基準は人それぞれではあろう。ただ、せっかく投票所まで足を運ぶのだから、その1票が何かしらのかたちで暮らしや地域を前に進めるものになってほしい。
 自分の1票なんてあってもなくても同じだなどと思ってはいけない。2022年に実施された地方選挙では、同数でくじ引きとなったケースが2件、1票差で当落が分かれたケースが5件あった。
 当たり前の話だが、候補者たちは誰もが〝耳触り〟のいい主張をする。「あれもやります、これもやります」と口で言うのは簡単なのだ。問われるのは、本当にそれができるのか。その裏付けと能力があるのかどうかである。 続きを読む

共産党「実績横取り」3連発――もはやお家芸のデマ宣伝

ライター
松田 明

公安調査庁の調査対象

 統一地方選の前半戦で、現有議席の4分の1を失うという大敗北を喫した日本共産党。今もなお日本国憲法とは全く相いれない「社会主義・共産主義」への体制転換を党綱領に掲げる〝革命政党〟だ。
 もちろん日本は民主主義国家なので、思想や主義主張は自由である。問題はその主義主張を実現させるための手段なのだ。
 公安調査庁は公式サイトに「共産党が破防法に基づく調査対象団体であるとする当庁見解」を掲載。日本共産党が今なお「暴力革命の可能性」を捨て切っていないと判断し「破壊活動防止法に基づく調査対象」としていることを公表している。
 そして日本共産党と言えば、他党の〝実績横取り〟がもはや常態化している。実際にはやってもいないことを「共産党が実現!」と宣伝する。一般企業なら一発アウト事案だろう。
 やり方はきわめて巧妙で、額面通りに宣伝を見聞きしていると騙されてしまう。では、彼らがどんなふうにやるのか、直近で問題視された3つの例を見てみよう。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第151回 百閒の『御馳走帖』

作家
村上政彦

 内田百閒は、夏目漱石の弟子筋の作家だ。漱石の弟子というと、まず、芥川龍之介の名が挙がるが、百閒にはコアなファンがいる。僕もそのうちのひとりである。小説や紀行もおもしろいが、僕にとって『御馳走帖』は、頭ひとつぬけておもしろい。
 理由は、僕が食べることが好き(グルメとはいわない)だからだが、この随筆には、単においしい料理が並んでいるだけではない。どのような時世に、誰とテーブルを囲んだか――そういうところまで、微細に書かれているので、食を通じて社会の動静や作家の生活が分かる。
 冒頭の「序にかえて」は、昭和二十年七月の日記の抄録だ。たとえば――

七月三十日 月曜日 二十二日ノ朝以来ズット御飯ノ顔ヲ見ズ

 敗戦直前の物資が不足している時期なので、団子にする配給の粉もなくなり、あとには澱粉米と大豆が少しあるばかり。何とか食料を工面しなくてはとおもっていたら、近所の家の子供が誕生日とかで、細君が赤飯のお裾分けをもらってきた。赤飯といっても、小豆がないので、紅の色をつけただけの赤飯。しかし、なんといっても米には変わりない。 続きを読む

書評『生き直す 免田栄という軌跡』

ジャーナリスト
柳原滋雄

死刑台から生還した免田栄に関する記録

 刑事裁判でいったん死刑判決が確定した死刑囚が、その後再審申請が認められて無罪となって帰還したケースは本書で取り上げられた免田栄(めんだ・さかえ 1925-2020)を筆頭に4人いる。いずれも1975年の「白鳥決定」を受けて、83年の「免田事件」、84年の「財田川事件」「松山事件」、89年の「島田事件」の各死刑囚の無罪判決が再審法廷で確定したことによる。
 その後、日本の刑事司法は反動の流れに向かい、5件目はなかなか生まれなかった。ところがここに来て袴田巌(はかまた・いわお 1936-)死刑囚の再審請求が東京高裁で認められ、東京高検が最高裁に特別抗告を行わなかったため、ことし中に再審の審理が始まる予定となった。30数年ぶりの5例目の無罪ケースとなることが予想され、再審のあり方が再び脚光を集めている。日本の司法界に一筋の光がさしたかのようだ。 続きを読む