書評『公明党はおもしろい』――水谷修が公明党を応援する理由

ライター
本房 歩

両親は共産党の活動家

「夜回り先生」として有名な著者。本書ではまず、著者自身の「自分史」について正直に綴っている。
 1956年、横浜生まれ。父は大学教員、母は小学校教員。ともに共産党系の組織で活動しているなかで知り合って結婚した。父親は過激な活動家になって指名手配され、著者が3歳の頃に失踪したという。
母親の影響で著者は中学生時代から共産党系の活動に加わり、高校生の時には共産主義系セクトの幹部になっていた。
 だが、そうした活動が社会から共感されないことに限界を感じて撤退する。共産主義セクト運動から抜けることを告げると、木の椅子に針金で縛られて暴行された。
 その後、横浜のカトリック山手教会の神父に出会ってカトリック信仰の道に入る。共産主義運動の時代に仲間が4人も自死していたことも、信仰の道に入る動機のひとつだったと書いている。
 カトリック系の上智大学に進学し、神父になることを目指してドイツにも留学した。だが、ほどなく教会の聖職者の実態に絶望してカトリック信仰から離れた。
 上智大学を卒業後、横浜市内の高校の社会科教員になった。共産主義運動にもキリスト教にも理想を見出せず、「教育からこの国を変えていく」しかないというのが、教員を目指す動機だった。 続きを読む

『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第22回 摂法①

 今回は、まず十広の第四章「摂法(しょうほう)」について紹介する。「摂法」とは、法を包摂するという意味であり、止観がすべての仏法を具足する(完備する)ことを明らかにする章である。その冒頭には、

 第四に摂法を明かすとは、疑う者は、止観の名は略にして、法を摂すること周(あまね)からずと謂う。今は則ち然らず。止観は総持して、遍く諸法を収む。何となれば、止は能く諸法を寂し、病に灸(やいと)するに穴(つぼ)を得れば、衆(もろもろ)の患(わずら)いは皆な除くが如く、観は能く理を照らすは、珠王を得れば、衆の宝は皆な獲るが如く、一切の仏法を具足す。『大品』に百二十条有り、及び一切の法に皆な当に般若を学ぶべしと言う。般若は秖(た)だ是れ観智なるのみなれども、観智は已に一切の法を摂す。又た、止は是れ王三昧にして、一切の三昧は悉ごとく其の中に入る。(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅱ)308~309頁予定)(※1)

とある。止観という名称は簡略であるが、止は諸法を静寂にすることができ、病に灸をする場合、つぼを得れば、多くの悩みがすべて除かれるようであり、観は理を照らすことができ、宝石の王を得ると、多くの宝がすべて獲得されるようなものであり、すべての仏法を完備すると説明される。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第168回 黄色い家

作家
村上政彦

 先のこのコラムでは、中島京子の『やさしい猫』を紹介した。今回は、川上未映子の『黄色い家』である。
 川上未映子は、詩人としても活躍している。この小説の文章にも印象に残る表現が散見される。うまいなあ、とおもう。嫌味ではない。率直な感想だ。僕が去年だした『結交姉妹』という小説の帯に、吉本ばななちゃんが、「政彦くんはあいかわらず文章がうまいなあ」と書いてくれて、うれしかった。
 でも、僕より川上未映子のほうが、文章はうまいとおもう。やはり、詩が書ける人は、いい文章が書けるのだ。
 さて、『黄色い家』は新聞に連載された小説だ。僕は月刊誌の連載しか経験がないけれど、新聞連載はむずかしいとおもう。1回の文章量が少ないのに、次も読みたいとおもわせる引きがないといけない。毎回、それを工夫しながら書くのは大変だろう。
 生前の中上健次が新聞小説を書いて痩せた、という話を聞いて、あの豪傑がそれほど苦労するのだったら、自分はもし注文があっても、新聞小説は書かないでおこう、とおもった。 続きを読む

沖縄伝統空手のいま 特別番外編⑧ 印刷会社として〝空手発祥の地〟をPRする 池宮商会社長・池宮城拓さんインタビュー

ジャーナリスト
柳原滋雄

沖縄で聖教新聞を印刷する会社

印刷会社として空手に貢献する池宮城社長

 沖縄空手4団体の1つ、沖縄県空手道連盟でパンフレットの作成(大会事務局兼務)を長年担当する印刷会社・池宮商会。1950年に祖父が新聞の輸入販売業の会社として創業し、現在、3代目として社長業務にあたる。
 モノレール「県庁前」駅から徒歩2分。久茂地交差点の沖縄タイムス本社ビルの手前を右折すると屋上に「SEIKYO SHIMBUN」の看板が出た池宮商会久茂地ビルが見える。5階建てビルの1階で毎日県内で宅配される聖教新聞が印刷されている。
 沖縄が本土と切り分けられて米軍政下にあった時代。外国である日本本土から朝日、毎日、読売などの邦字新聞を輸入し、沖縄で売る資格を得てスタートしたが、本土復帰(1972年)のころ新聞の印刷に関心のあった創業者が新聞印刷機を購入した。いずれ新聞を刷る機会があるかもしれないという淡い考えからだったというが、その後、米軍基地の新聞印刷などを手掛けた。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第167回 やさしい猫

作家
村上政彦

 近年、日本の女性作家がすごく活躍している。海外に翻訳されて、賞まで受けるのは、男性作家では村上先輩ぐらいだが、女性は何人もいる。これは男性作家が衰えてきたのか、それとも女性作家がたくましくなってきたのか――まあ、もっともこの国の最古の小説『源氏物語』を書いたのが、紫式部という女性作家なのだから、当然のことか。
 というわけで、今回と次回は、とてもおもしろかった女性作家の小説を紹介したい。
 まずは、中島京子の『やさしい猫』。語り手の「わたし」=マヤ(18歳)は、早くに父を亡くして、母のミユキさんと二人暮らしを続けている。いわゆるシングルマザーの家族だ。
 物語は、2011年5月、ミユキさんが突然、東日本大震災の被災地へボランティアにいくと言い出したことから始まる。彼女は保育士なので、現地の保育園で活動するという。それも一週間。マヤは慌てる。
 当時、まだ8歳だから、小学生になって間もない子供である。家事などできない。ミユキさんは、おばあちゃんに来てもらうから、というけれど、マヤは自分の子供よりよその子供のほうが大切なのか、と怒った。結局、ボランティアの期間は5日間になった。 続きを読む