『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第23回 摂法②

(3)一切の智を摂す

 第三の「一切の智を摂す」の段は簡潔であり、その全文は以下の通りである。

 三に止観に一切智を摂すとは、諸智の離合は前に説く所の如く、三観もて往きて収むるに、畢(こと)ごとく尽きざること無し。世智は理を照らさざれども、十一智の中に已に摂す。若し広く二十智を明かさば、亦た三観の摂する所と為るなり。(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅱ)317~318頁予定)(※1)

 諸智の離合については、第三章の止観の「体相」において説かれている。そこでは、一智、二智、三智、四智、乃至十一智等、種々の智の分類が説かれているが、いずれも三諦を観察することを明らかにしている。したがって、すべての智は三観に包摂されるのである。ここの引用文に出る十一智については、すでに「体相」の説明のなかで引用した(※2)が、引用文にあるように、世智は十一智のなかに含まれている。
 二十智については、「体相」の章には出なかったが、『法華玄義』巻第三上の「一世智、二五停心四念処智、三四善根智、四四果智、五支仏智、六六度智、七体法声聞智、八体法支仏智、九体法菩薩入真方便智、十体法菩薩出仮智、十一別教十信智、十二三十心智、十三十地智、十四三蔵仏智、十五通教仏智、十六別教仏智、十七円教五品弟子智、十八六根清浄智、十九初住至等覚智、二十妙覚智」(大正33、707上28-中6)を参照されたい。 続きを読む

書評『戦後日中関係と廖承志』――中国の知日派と対日政策

ライター
本房 歩

新中国最高峰の知日派

 1949年10月1日に毛沢東が天安門広場で中華人民共和国の建国を宣言してから、1972年9月29日に田中角栄と周恩来の両氏が日中共同声明に調印するまで、日本と中国の間では国交が結ばれていない状態が続いていた。
 日中国交正常化以降の日中関係史を知る人はいても、それ以前の約23年間の歴史を詳しく知る人はそれほど多くないだろう。
 本書では、特に日中の国交が断絶状態にあったこの期間において、新中国きっての知日派であった廖承志(りょうしょうし)と、彼を中心として結成された対日タスクフォース組織が行った対日業務について、8人の執筆者が多角的に分析している。
 本書で取り扱われるテーマを見ると、廖承志の携わった対日業務の範囲の広さに驚かされる。
 戦後の日本人引揚問題、LT貿易をめぐる交渉、日本の政界、財界、民間団体などとの人脈構築、日中国交正常化への道筋の整備など、実に多岐にわたる分野で廖承志は中心的な役割を果たしてきたのだった。
 加えて巻末には、当時廖承志の側近として働いた人たちへのインタビューも掲載されている。廖承志の軌跡を丹念に追うことで、本書自体が国交断絶下の空白の日中関係史を埋める格好の資料となっている。 続きを読む

芥川賞を読む 第31回『パーク・ライフ』吉田修一

文筆家
水上修一

「現代」という時代の、所在のない希薄性を描く

吉田修一(よしだ・しゅういち)著/第127回芥川賞受賞作(2002年上半期)

何も起きない淡い色彩の物語

 第127回芥川賞は、当時33歳だった吉田修一の「パーク・ライフ」が受賞。『文學会』に掲載された122枚の作品だ。同氏の作品はそれまで4回芥川賞候補となっている。
 物語は淡々と進む。舞台は東京の日比谷公園。主人公が暮らす部屋も勤務先もその周辺で、仕事の空き時間などにぼんやりとした時間をそこで過ごす。そこで一人の女性と知り合うのだが、大きな出来事は何も起きない。色に例えるならば、透明に近い淡い色彩の物語だ。何か特別なことを強く訴えようとする気配もないわけだが、それが逆に都会で暮らす若い人たちの感覚をうまく描いている。
 例えば、住む場所。主人公が生活する場所は、知り合い夫婦のマンションで、2人が不在期間、ペットの猿の面倒を見るという名目でその部屋で寝起きしている。そこは決して自分の世界ではない。例えば、人物。公園で知り合った女性との間には性的なものは皆無だし、他の登場人物を見ても手製の小さなバルーンを空にあげて公園の全体像を知ろうとする老人程度しか出てこない。そこにモチーフとして度々挟み込まれるのが、「死んでからも生き続ける臓器」を謳った臓器移植の広告や人体解剖図などの他人事のような希薄な肉体感覚だ。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第169回 グレープフルーツ・ジュース

作家
村上政彦

 世界でいちばん有名な反戦歌はなんだろう、と考えることがあって、ジョン・レノンの『イマジン』かな、とおもった(統計をとったわけではないので、あくまでも印象です)。
「想像してごらん」と始まる歌詞。

国なんてない。
難しいことじゃない。
人を殺す理由も、
死ぬ理由も、
ない。
そして、
宗教もない。
想像してごらん。
すべての人が、
平和に暮らしてるって。

 人が想像できることは、たいてい現実になる。僕らは、まず、想像する。そして、それを現実にするために、いろいろと工夫し、努力する。やがて想像は現実になる。人間の歴史は、そういうことをくりかえしてつくられてきた。 続きを読む

「風評加害者」は誰なのか――〝汚染水〟と騒ぎ続ける人々

ライター
松田 明

「放射線の影響は無視できるほど」

 8月24日午後1時、東京電力は福島第一原子力発電所に溜まるALPS処理水の海洋放出を開始した。
 福島第一原子力発電所では事故によって溶け落ちた核燃料(デブリ)を大量の水で冷やし続けてきた。この冷却水や建屋に入る雨水、地下水など、放射性物質を含んだ水が1日あたり90トン発生する。
 この水は多核種除去設備(ALPS)を使って放射性物質の量を国の基準値以下に下げたうえで、1070基を超える敷地内のタンクに保管されてきた。
 ただ、既に貯蔵可能な容量の限界に近付いていることと、なにより将来の廃炉時点ではこれらタンクもゼロになっている必要がある。
 そこで2021年4月に日本政府は海洋放出を選択した。WHO(世界保健機関)の飲料水基準のさらに7分の1程度にまで希釈して今後30年かけて放出する。
 この決定を受けてIAEA(国際原子力機関)は原子力安全・核セキュリティ局のグスタボ・カルーソ調整官ら6人の職員、アルゼンチン、フランス、米国、ロシア、英国、ベトナム、韓国、中国などの専門家を現地に派遣し、約2年を費やしてALPS処理水について検証してきた。
 2023年7月4日、IAEAのグロッシ事務局長は11カ国の専門家の助言を受けた包括報告書を岸田首相に提出。「ALPS処理水の放出は国際基準に適合して実施されており、人および環境に対し放射線の影響は無視できるほどになる」との評価を公表した(ALPS処理水の安全性に関する「包括報告書」)。 続きを読む