書評『訂正可能性の哲学』――硬直化した思考をほぐす眼差し

ライター
本房 歩

コミュニケーションの奇妙な本質

 ITやAI技術の飛躍的な発展によって、私たちの生活はあらゆる面で最適化されるようになった。たとえば、あなたが動画配信サイトで動画を視聴したとする。すると、ビッグデータをもとに類似する他のユーザーとの比較がおこなわれ、自分の好みの傾向が導き出され、視聴する可能性が高いと思われる「おすすめ動画」がサジェストされる。
 ネットショッピングでのおすすめ商品や、SNSに現れる他のユーザーによる投稿なども、同様の手法に基づいて、自身の興味や関心に近い内容が優先的に表示される。
 こうした技術の進歩によって、私たちはおそらく歴史上、かつてないほど合理的で、より誤りの少ない選択ができる環境に身を置くようになった。しかし、こうした合理性の追求は、私たちの人生を真に豊かにするのだろうか。
『訂正可能性の哲学』は、〝正しさ〟の時代にあって、誤ることの価値について論じ、さらには普遍的な正しさを疑う「訂正」の重要性を説いた一冊だ。

 ぼくたちはつねに誤る。だからそれを正す。そしてまた誤る。その連鎖が生きるということであり、つくるということであり、責任を取るということだ。(本書)

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連載エッセー「本の楽園」 第172回 パレスチナ

作家
村上政彦

 もう4、5年ほどになるだろうか。ジャン・ジュネの『恋する虜』というパレスチナをめぐるノンフィクションを見つけて、買おうとおもったら、中古書しかなく、3万円を超える値段がついていた。
 僕にとって本は商売道具でもあるので、できるだけの投資はする。でも、3万円は高い。どうするか考えあぐねたあげく、版元に電話してみたら、近々、重版の予定があるというではないか。
 たしか1ヵ月か2ヵ月で新刊を手にした。7千円。普通の小説本よりは高いけれど、3万円よりはずっと安い。その日から付箋を貼りながら読み始めた。この作品はジュネの晩年に書かれたもので、『シャティーラの四時間』とならんで、パレスチナを描いたすぐれた文学だ。
 ただ、ほかのジュネの作品と同じく、なかなか読むのが難しい。分かりにくいのではない。彼に固有の詩的な文章に慣れるための時間がかかるのだ。でも、慣れてしまえば、この力作に圧倒される。
 僕はジュネの導きでパレスチナ問題について考えるようになった。そして、眼につく本があると手にとるようになった。そのうちの一冊が、ジョー・サッコの『パレスチナ』だった。 続きを読む

維新「二重報酬」のスジ悪さ―まだまだ続く不祥事

ライター
松田 明

日本維新の会 藤田幹事長

税理士で党の会計監査人

 ほとんど数日おき、酷いときは同じ日に何件も重なって不祥事が発覚する日本維新の会。正直、あまりにも多過ぎてコラムを書く筆が追い付かないので困っている。
 9月18日、毎日新聞が衝撃のスクープを報じた。日本維新の会の池下卓衆院議員(大阪10区)が、選挙区である地元・高槻市議だった2人を市議任期中に公設秘書として採用していたのだ。
 2人は市議としての報酬と公設秘書としての給与を二重に受け取っていた。どちらも原資は税金である。
 池下卓氏はもともと税理士。2011年の大阪府議会議員選挙に大阪維新の会から出馬して当選。府議を3期務め、2021年10月の衆議院選挙で立憲民主党の辻本清美氏らを破って初当選した。日本維新の会の会計監査人を務めている。
 だが池下議員をめぐっては2022年1月、地元事務所を自身の父親から無償提供されながら、少なくとも2018年から20年までの3年間も政治資金収支報告書に記載しておらず、政治資金規正法違反(不記載)の疑いがあると朝日新聞や週刊文春に報じられていた。 続きを読む

『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第25回 偏円②

(3)偏・円を明かす

 十広の第五「偏・円」は五段に分けられているが、偏・円を明らかにする第三段では、偏という概念の範囲が広く、小乗から大乗までの広い範囲に適用されることを述べている。結論としては、三蔵教の析法(しゃくほう)の止観から別教の止観までをことごとく偏と規定し、円教の止観の一心三諦だけを随自意の語であるという理由から円とするのである。したがって、偏円の区別は、大小、半満(半字は小乗、満字は大乗をそれぞれ指す)の区別と一致しないので注意を要する。

(4)漸・頓を明かす①

 この段は、さらに細かく項を分けていないが、理解しやすいように、いくつかの項に分けて説明する。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第171回 兵器としての物語

作家
村上政彦

 小説を読む読者がもっとも楽しいのは物語を味わうことだろう。僕自身、20代の前半までアバンギャルドをやっていたけれど、あるとき物語の愉楽を思い出して、小説のコースを大きく変えた。形式の巧みさや美よりも、物語の愉楽を選んだのだ。
 ただ、物語は楽しいだけではない。諸刃の剣だ。読み手を楽しませて、励まし、生きるための力を与えるのは、いい側面だ。しかし、わるい側面もある。人心をあやつって、あやうい世論をつくることもできる。
 今年(2023年)の2月に神奈川近代文学館でシンポジウムを催した。ロシア・ウクライナ戦争を、林京子の文学から読み解こうとする試みだった。プーチン大統領は、何度か核兵器の使用を示唆した。そこで、核戦争を描いた林京子の文学を選んだのだ。
 シンポジウムのファシリテーターは、僕が務めたのだけれど、そこでこんな発言をした。

ロシア・ウクライナ戦争は物語の戦争でもあります。ロシア側は、ファシストから同胞を救う解放者の物語、ウクライナ側は侵略者から祖国を守る英雄の物語。文学者は二つの物語を越え、グランド・ストーリーを語ることができるのか?

 このシンポジウムを終えて、一冊の本とめぐりあった。『人を動かすナラティブ なぜ、あの「語り」に惑わされるのか』(毎日新聞編集委員・大治朋子著)。ざっくり言ってしまうと、テーマは兵器としての物語についてである。 続きを読む