『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第27回 偏円④

(5)権・実を明かす①

 この段は、釈名(しゃくみょう)と料簡の二段からなる。釈名の冒頭には、権実の意味と、権と実との関係について説いている。すなわち、

 五に権実を明かすとは、権は是れ権謀(ごんぼう)、暫(しばら)く用いて、還(ま)た廃す。実は是れ実録、究竟の旨帰(しき)なり。権を立つるに、略して三意と為す。一に実の為めに権を施す。二に権を開きて実を顕わす。三に権を廃して実を顕わす。『法華』の中の蓮華の三譬の如し、云云。諸仏は即ち一大事を以て出世す。元(も)と、円頓一実の止観の為めに、三権の止観を施すなり。権は本意に非ざれども、意も亦た権の外に在らず。秖(た)だ三権の止観を開きて、円頓一実の止観を顕わすなり。実の為めに権を施すに、実は今已に立てり。権を開きて実を顕わせば、権は即ち是れ実にして、権の論ず可きもの無し。是の故に、権を廃して実を顕わすに、権は廃して実は存す。暫く釈名を用うるに、其の義は允(まこと)と為す。(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅱ)354~356頁予定)(※1)

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維新の不祥事は平常運転――横領、性的暴行、除名、離党

ライター
松田 明

候補者から45万円を受領

 NHKの月例の世論調査で、5月以来、立憲民主党を抜く状態が続いてきた日本維新の会の支持率が、10月になって立憲民主党を下回った。連日のように噴出する日本維新の会の不祥事が知れ渡り、バブルも冷めてきたのだろうか。
 その日本維新の会、あいかわらず不祥事のニュースが多過ぎてあきれる。

 9月21日――
 日本維新の会の上野蛍・元富山市議が21日、富山市内で記者会見を開いた。
 今年4月の県会議員選挙で、上野氏は日本維新の会の公認候補・福島陽介氏(落選)の選対本部長を務めた。その際、上野氏は福島氏から現金45万円を受け取っており、公職選挙法違反の疑いで富山地検に告発されていたのだ。

 4月の富山県議選を巡り、日本維新の会の上野蛍・元富山市議が公認候補に現金を要求し、計45万円を受け取っていたことが富山維新の会の調査でわかった。(「読売新聞オンライン」9月9日

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書評『創学研究Ⅱ――日蓮大聖人論』――創価学会の日蓮本仏論を考える

ライター
本房 歩

世界宗教化と日蓮本仏論

 創学研究所(松岡幹夫所長)から『創学研究Ⅱ――日蓮大聖人論』(第三文明社)が刊行された。
 創学とは「創価信仰学」のこと。創学研究所は、創価学会の信仰に基づいた学問的な研究をめざし松岡所長が個人として設立した。言うなれば創価信仰学とは創価学会にかかわる「神学」であり、その意味では学問としての仏教学や宗教学とはアプローチがまったく異なる。概略は『創学研究Ⅰ』(2022年刊)の書評(「書評『創学研究Ⅰ』)を参照していただければ幸いである。
 松岡所長は今回の『創学研究Ⅱ』の「発刊の辞」のなかで、創価学会の信仰には三つの柱があると思うとし、御書根本、日蓮大聖人直結、御本尊根本を挙げている。
 そして、『創学研究Ⅰ』では一つ目の御書根本の視点から現代の仏教学や宗教学の見解、近代以降の日蓮研究の成果を論じたのに対し、今回の『創学研究Ⅱ』は日蓮大聖人直結の信仰に立って、現代の学問的な日蓮論をどう解釈すべきかを論じたと綴っている。
 創価学会は、会の最高法規である「会憲」のなかで「教義」として、

この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、根本の法である南無妙法蓮華経を具現された三大秘法を信じ、御本尊に自行化他にわたる題目を唱え、御書根本に、各人が人間革命を成就し、日蓮大聖人の御遺命である世界広宣流布を実現することを大願とする。(「創価学会会憲」第1章 第2条

と明記している。
 今や創価学会は世界192カ国・地域に広がり、世界宗教化の段階に入った。遠からず日本の会員数よりも諸外国の会員数のほうが多くなる時代も視野に入れ、この「日蓮本仏論」をどのように捉え表現していくべきなのかという議論は不可避であろう。
 もとより、教団の「教学」としての内実は教団内部で議論し決定することではあるが、創学研究所のような教団外部の存在が受け皿となって、一級の知性たちと闊達な議論を交わしていくことはきわめて有益であり健全なことだと思う。 続きを読む

書評『アートの力』――「新しい実在論」からがアートの本質を考える

ライター
小林芳雄

 著者であるマルクス・ガブリエルは、ドイツの大学史上、最年少で哲学教授に就任したことで話題になった。「天才」や「哲学界のロックスター」としてマスメディアで取り上げられることも多く、インタビューをまとめた書籍やテレビ番組も放送され話題を呼んだ。
 本書『アートの力』は「アートとは何か?」という問題に哲学的に取り組んだものである。彫刻や映画、文学などさまざまな実例を挙げ、「新しい実在論」の立場からアートの本質を考える野心的な試みである。

私はここで、美的構築主義の暗黙の諸前提に代えて、ラディカルに異なる代案を提示したい。その代案とは、新しい実在論を芸術哲学に応用すること、つまり新らしい美的実在論を考えることだ。(本書48ページ)

現代の芸術哲学の主流=美的構築主義

 現代、美術哲学の主流となっている考え方の前提には根本的な誤りがある。それはアートの価値は観察者の目に宿るというものだ。これによれば、芸術作品を鑑賞し美しいと感じる経験は対象となる美術作品から生み出されるものではなく、私たちの心によって構築されたものになる。こうした考え方をガブリエルは美的構築主義と名づけている
 さらにこの立場を突き詰めていくと現代的ニヒリズム(虚無主義)に陥る。 続きを読む

『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第26回 偏円③

(4)漸・頓を明かす②

(d)教・行・証の人と因果

 蔵教・通教の二教の止観は、因のなかには教・行・証の人がいるが、果には教だけがあって、行・証の人はいないとされる。その理由については、因のなかの人は、身を灰にして小乗の涅槃に入り、空に沈んですべて消滅し、果としての仏を成就することができないからであると説明されている。
 別教の場合も同様に、因のなかには教・行・証の人がいるが、果には行・証の人はいない。これは、先に述べた通り、別教において無明を破して初地の位に登るとき、この位はそのまま円教の初住の位となり、修行者は円教に進むからである。したがって、別教の果には、人(仏)がいないことになり、これを果頭無人(かずむにん)という。
 円教の場合は、因のなかの教・行・証の人は、すべて因から果に到達するので、果にも教・行・証の人がすべて備わるとされる。 続きを読む