書評『魏武注孫子』――〝乱世の奸雄〟と学ぶ戦略の極意

ライター
小林芳雄

時代の転換点を生み出した強烈な才能

 中国の歴史小説『三国志』は日本でも多くの愛読者を持つ。登場する英雄のなかでひときわ異彩を放つ人物のひとりが曹操である。小説の曹操は軍事や謀略に長けた乱世の奸雄として描かれる。しかし史実によれば、文学や学術の分野での才能にも長けた多才な人物であった。
 曹操は、さまざまに伝えられて来た孫子の兵法を比較し、黄老思想(伝説上の人物黄帝・老子の説いたとされる教え、後に道教に発展する)との関係の深さに着目し、正しい伝承を選び採り、洗練した文章に書き改め、13篇からなる『孫子』の本文を定めた。さらに自から注を付け、完成させたものが本書『魏武注孫子』(ぎぶちゅうそんし)である。
 本書はその全訳と解説である。さらに読者の便宜を図るために、訳者が『三国志』から選んだ孫子兵法の応用事例を20収録したものである。
 現存する『孫子』は、全てこの版に基づいている。曹操は一級の知識人としても後世に名を残したのである。

(道とは君主が)民たちを教令で導くことをいう。(本書14ページ)

 注は簡潔な文で書かれているが、そのなかにも曹操の考えが強く反映している箇所がある。
「始計篇」では、戦争を始めるにあたって自軍と敵軍の戦力を入念に分析する必要性を説き、着目すべき5つのポイントを挙げる。 続きを読む

『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第68回 正修止観章㉘

[3]「2. 広く解す」㉖

(9)十乗観法を明かす⑮

 ③不可思議境とは何か(13)

 (10)境の功能を明かす

 第六段の「境の功能を明かす」については、短い説明があるだけであるが、不思議の境に大きな働きのあることを次のように示している。

 此の不思議の境に、何れの法か収めざらん。此の境は智を発するに、何れの智か発せざらん。此の境に依って誓いを発し、乃至、法愛無し。何れの誓いか具せざらん。何れの行か満足せざらんや。(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅱ)、598-599頁)

と。不思議境がすべての法を収め、すべての智を生じ、この境によって誓いを生じ、ないし法に対する愛著をなくすと説いている。誓いを生ずることは十乗観法の第二の「慈悲心を起こす」(真正菩提心を発す)に相当し、法に対する愛著をなくすことは十乗観法の第十に相当する。つまり、中略されているが、十乗観法の第二から第十までのすべてを含むというものである。さらに、すべての誓いを備え、すべての修行を備えると述べている。 続きを読む

芥川賞を読む 第45回 『ポトスライムの舟』津村記久子

文筆家
水上修一

ありふれた生活と人間に対する繊細で温かみのある目線

津村記久子(つむら・きくこ)著/第140回芥川賞受賞作(2008年下半期)

ありふれた日常から掬いだすもの

 津村記久子は、平成17年に「マンイーター」で太宰治賞を受賞して、その3年後に「ポトスライムの舟」で芥川賞を受賞。当時30歳。その後、川端康成文学賞、紫式部文学賞など多くの文学賞を受賞し、昨年は谷崎潤一郎賞を受賞するなど息長く活躍を続けている。選考委員の小川洋子が「津村さんはこれからどんどん書いてゆくだろう。それは間違いないことであるし、一番大事なことである」と述べた通りになった。
 受賞作の「ポトスライムの舟」の主人公は、大学卒業後に入社した会社をモラハラで辞めざるをえず、現在は契約社員として町の工場で働く29歳の女性。母と2人、古い民家で慎ましやかに暮らす。薄給生活のなかでひたすら生活のために働くのだが、その中で見つけた仕事のモチベーションとなったのがクルーズ船の世界一周旅行。その費用は163万円。それは、1年間、工場で働いて得る金額とちょうど同じ額。その額を貯めることを夢見ながら生活を切り詰めて暮らす日々。そこに、それぞれ異なる境遇の同級生3人との交流を織り込みながら描いていく。 続きを読む

『人間革命』起稿60周年――創価学会の「精神の正史」

ライター
青山樹人

『人間革命』執筆開始の時代背景

 池田大作先生が、小説『人間革命』執筆の意向を公式に発表したのは、1964年(昭和39年)4月1日のことだった。
 この日、恩師・戸田城聖先生(第2代会長)の七回忌法要が営まれた。席上、あいさつに立った池田先生は、恩師の出獄から逝去までの生涯を綴った小説『人間革命』を「法悟空」のペンネームで執筆し、恩師の業績や指導などを書き残したいと決意を披歴した。

 第1回の東京オリンピックが開催されたのは、その半年後である。創価学会本部がある東京・信濃町に近い国立競技場で、開会式がおこなわれたのが10月10日。
 このとき、池田先生はチェコスロバキア(当時)の首都プラハにいた。海外メンバーの激励のため、第3代会長就任から3度目のヨーロッパ訪問だった。

 10月2日に羽田を飛び立ち、香港、イランを経由して、6日にはイタリアに入っていた。9日にはパリ支部のメンバーと懇談し、10日にプラハに到着した。これが先生にとって最初の社会主義国訪問となった。
 計10カ国を歴訪して帰国したのは10月19日である。1週間後の10月27日に開催された第54回本部幹部会の席上、創価学会の世帯数が500万世帯を突破(505万6千世帯)したことが報告された。

 11月8日には、オリンピックの興奮が冷めやらぬ国立競技場を舞台に、三笠宮崇仁親王殿下、閣僚、各国大公使ら来賓1千人を迎え、出演者・観客の総勢10万人の「東京文化祭」が開催されている。 続きを読む

書評『傅益瑶作品集 一茶と芭蕉』――水墨画で描く一茶と芭蕉の世界

ライター
本房 歩

「恋心」の一茶、「風流」の芭蕉

 著者の傅益瑶は、1947年の中国・南京市生まれ。1979年に来日し、平山郁夫や塩出英雄らに師事しながら、日本に拠点を置いて水墨画家として活躍してきた。
 代表作の1つである、仏教がインドから日本に伝わるまでの歴史を描いた〈仏教東漸図〉は、比叡山延暦寺の国宝殿に常設されている。著者は長年にわたって芸術を通して、日中の文化交流・相互理解を促進してきた。

 本作品集には、江戸時代に活躍した小林一茶と松尾芭蕉の俳句を題材にして描いた情景画が計67点掲載され、1点ずつに著者の言葉が添えられている。 続きを読む