池田先生の苦闘時代――嵐の日々と、師弟の「戸田大学」

ライター
青山樹人

次の価値創造の源泉となろう

 1969年5月に毎日新聞社から刊行された『私はこう思う』に、「私はこうして苦闘をのりきった」と題する池田大作先生の随筆がある。もともとはその2年前に雑誌に寄稿したものだ。

 嵐がこようが、怒涛が押し寄せようが、つねに汝自身が、厳然として光り輝いていればそれでよいのだ。私は、現在、幾多の苦難と闘っている若い人々に言いたい。今の苦難は、君たちの態度いかんで、君たちを飾る至宝にさえなるのだ、と。
(『池田大作全集』第18巻所収)

 一度や、二度の失敗でくじけることはまことに愚かだ。人生は、長い長い旅路である。(同)

 そして、その失敗の原因を、冷静に判断していく心のゆとり、それがつぎの価値創造の源泉となろう。(同)

 仏法に巡りあってからの先生にとって最初の「苦闘」。その烈風が吹きつけてきたのは、75年前の秋のことだった。 続きを読む

維新・西田薫候補(大阪6区)が謝罪会見――他人の後援会や故人が「推薦人」に

ライター
松田 明

解散した団体や死亡した人が「推薦人」に

 選挙戦最終盤の10月24日、驚くような報道が出た。
 日本維新の会公認の西田薫候補(大阪6区/大阪市旭区、鶴見区、守口市、門真市)の陣営が、実際には推薦を受けてもいない団体や亡くなった人の名前を「推薦人」と記載した選挙運動ハガキを有権者に送っていたというのだ。
維新公認の候補者「推薦受けてない」後援会を「推薦人」と記載――「カンテレNEWS」10月24日

 ハガキには「私たちは西田薫さんを応援・推薦します!」とあり、「私も推薦します」という欄に「西端後援会」と印字されている。
 これは、前・守口市長だった西端勝樹氏の後援会のことだが、既に後援会そのものが解散している。実在しない後援会である上、維新の西田氏を推薦した事実もない。
 西端前市長は日本維新の会に所属していたが、政策をめぐって府議である西田氏と対立していた。
 後援会の元会長は関西テレビの取材に対し、

無断で名前を使われると非常に迷惑している。(「FNNプライムオンライン」10月24日

と怒り心頭だ。 続きを読む

「維新」の主張、それ本当ですか?――有権者をあざむいてはいけない

ライター
松田 明

 いよいよ27日に迫った衆議院選挙。衆院選は「政権選択選挙」だが、選挙後の政権の枠組みを示しているのは自民・公明だけで、対する野党は単独過半数を占められる見通しの政党が1つもないなか、ではどのような政権枠組みを考えているのか明らかにしていない。
 なかでも相次ぐ不祥事で支持率が急降下している日本維新の会は巻き返しに必死だが、選挙戦を通じて見えてきたその主張には、有権者を欺いているとしか思えない「ゴマカシ」が目立つ。

(写真は「日本維新の会」公式ページ)
 

【その1】維新は企業・団体献金を受け取っていない?⇒ウソ
「今、企業・団体献金を受け取っていないのは数ある政党の中でも維新の会だけ」(馬場伸幸代表/10月16日東京都内の街頭演説)。「維新は結党以来、企業団体献金を受け取っていない」(日本維新の会公式Xが10月22日にポストした新実彰平・参院京都支部長の演説)

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『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第64回 正修止観章㉔

[3]「2. 広く解す」㉒

(9)十乗観法を明かす⑪

 ③不可思議境とは何か(9)

(7)化他の境を明かす①

 「不可思議境を明かす」段は、七段から構成されているが、今回はその第三段の「化他の境を明かす」から説明する。
 前段の「自行の境を明かす」の結論部分は、一念三千については、言語表現の方法はなくなり、心の働く範囲は消滅するので、思議を超えた対象界と名づけられるというものであった。しかし、言葉も心も超えて表現できない(不可思議)というばかりでは、他者を教化することはできないので、四悉檀という理由があれば、さまざまに説くことができることを、『摩訶止観』は、

 『大経』に云わく、「生生も説く可からず、乃至、不生不生も説く可からず。因縁有るが故に、亦た説くことを得可し」と。四悉檀の因縁を謂うなり。四句は冥寂(みょうじゃく)なりと雖も、慈悲もて憐愍(れんみん)して、名相無き中に於いて、名相を仮りて説く。(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅱ)、582-584頁)

と示している。 続きを読む

書評『ネットリンチが当たり前の社会はどうなるのか?』――忍び寄る全体主義の罠に警鐘をならす

ライター
小林芳雄

旧統一教会とホスト問題の共通点

 著者は、政治思想やドイツ文学を専門とする研究者で、現在は金沢大学の教授を務めている。また難解な古典を分かりやすく読み解くことでも定評がある。本書は2020年から2024年まで雑誌に不定期に掲載していた論考をまとめたものだ。
 本書が執筆された4年間は、激動の時代であった。新型コロナウイルスの世界的な流行から始まり、安倍元首相の暗殺や旧統一教会問題など、大きな問題が次から次へと噴出していた時期である。それらの問題に対して、著者は政治哲学の古典や現代思想をふまえた独自の着眼点から切り込んでいる。

 政治を巻き込んで国を挙げての大騒動に発展した、今年(二〇二三年)の二大社会問題といえば、統一教会問題とホスト問題であろう。宗教と風俗という全く異質な領域に属するように思える両者だが、実は、一番中核にある問題は共通している。(本書44ページ、本文ママ)

 旧統一教会とホスト売掛金問題は一見すると関係のない問題に思えるが、個人の「自由意志」「自己決定権」の問題であるという点では共通している。さらに、被害者はまともな判断ができない状態に置かれマインドコントロール(MC)され、多額の金銭を支払ってしまったとする点も同じである。だがマインドコントロールには学術的な定義がない。こうした曖昧な言葉をもとに判断の正常・異常を決めてしまうと、都合の良い時にマインドコントロールを持ち出して契約の無効を訴えることが可能になってしまう。
 宗教や風俗業に対する偏見も共通しているのではないか、と著者はさらに指摘する。両者に共通するのは経済的合理性とは違う行動原理を持つ点だ。こうした人たちは合理的判断のできない下等な人間だと、多くの日本人はどこかで思っていないだろうか。 続きを読む