『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第24回 偏円①

 次に、十広の第五章「偏円」について考察する。その冒頭には、

 第五に偏円を明かすとは、行人は既に止観は法として収めざること無きことを知れり。法を収むること既に多ければ、須(すべか)らく大・小、共・不共の意、権・実、思議・不思議の意を識るべし。故に偏・円を簡(えら)ぶ。此れに就いて五と為す。一に大・小を明かし、二に半・満を明かし、三に偏・円を明かし、四に漸・頓を明かし、五に権・実を明かす。(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅱ)335頁予定)(※1)

と述べられている。修行者は止観がすべての法を収めることを知った。法を収めることが多いからには、大・小、共・不共、権・実、思議・不思議の意味を認識する必要があるので、偏・円を区別するという内容である。これについて、大・小、半・満、偏・円、漸・頓、権・実の五つの組合せを明らかにする。
 第四章の標題には偏円とだけあるが、具体的には、大小、半満、偏円、漸頓、権実の五段によって、止観の区別を明らかにしている。区別を越える仏教の真理と、区別を説く五つの組合せとの関係については、

 夫(そ)れ至理(しり)は大ならず、小ならず、乃至、権に非ず、実に非ず。大・小、権・実は、皆な説く可からざるも、若し因縁有らば、大・小等は皆な説くことを得可し。小の方便力を以て五比丘の為めに小を説き、大の方便力を以て諸の菩薩の為めに大を説く。大・小は倶に方便なりと雖も、須らく所以(ゆえん)を識るべし。故に五双(ごそう)を用て料簡し、混濫(こんらん)すること無からしむ。(『摩訶止観』(Ⅱ)335~336頁予定)

と述べている。 続きを読む

それでも「汚染水」と叫ぶ共産党――「汚染魚」と投稿した候補者

ライター
松田 明

「もっとしっかり汚染魚を食べて」

 日本共産党は9月11日、次期衆議院選挙で広島6区の立候補予定者にしていた村井明美氏(元福山市議)の擁立を取り下げると発表した。同日、小池晃書記局長が会見で明らかにしたもの。
 村井氏は9月7日、日本の魚をもっと食べようとX(旧ツイッター)で呼びかけたジャーナリストの投稿に対し、

どうぞ、もっとしっかり汚染魚を食べて、10年後の健康状態をお知らせください。(村井明美氏の9月7日の投稿。現在は削除)

などと投稿。あまりにも心無い言葉に、他の野党などからも厳しい批判を浴びていた。村井氏は翌日になって党からの指示で投稿を削除し、自身のブログで謝罪した。 続きを読む

松田明コラム書籍化のお知らせ――『日本の政治、次への課題』

ライター
松田 明

「ワンコイン」で買える本にしました

 きょうはいつものコラムではなく「お知らせ」です。
 このほど第三文明社から『日本の政治、次への課題』というタイトルで書籍を出させていただきました(9月8日発売)。
 これは、2015年3月から2023年7月まで「WEB第三文明」に掲載された拙文から抜粋したものを、大幅に加筆修正してまとめたものです。複数の記事として公開していたものを一部合体させたり、最新の出来事を書き加えたり、あらためて買っていただく価値があるよう、全面的に手を入れました。
 ちなみに目次はこのような感じになっています。

●民主党政権とは何だったのか――今もうごめく〝亡霊〟
●「チーム三〇〇〇」から生まれたもの
●「災害対策」に強い政党――自治体首長らの率直な評価
●公明党が果たす役割――地方でも国政でも重要な存在
●公明党と「政教分離」――〝憲法違反〟と考えている人へ
●「政治と宗教」危うい言説――立憲主義とは何か
●「革命政党」共産党の憂鬱――止まらぬ退潮と内部からの批判
●「非核三原則」と公明党――「核共有」議論をけん制
●「維新」の〝勢い〟がはらむリスクと脆さ
●維新、止まらない「不祥事体質」
●公明党、次への課題――SNSは宣伝ツールではない

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連載エッセー「本の楽園」 第170回 詩を読んで生きる

作家
村上政彦

 かつてこのコラムで『百冊で耕す』という本をとりあげた。そのなかで、こんなことを書いた。なかなか読書の時間がとれないとこぼす人がいる。すきま時間で読めばいい。

すきま時間で同時並行に読む――偏食ならぬ偏読にならないよう、①海外文学、②日本文学、③社会科学か自然科学、④詩集、を15分ずつ読むというのは、参考になった(WEB第三文明 連載エッセー「本の楽園」 第163回 百冊で耕す

 これは、いまも続けていて、なかなかいい習慣になっている。今回は詩の本について書きたい。
『詩歌を楽しむ 詩を読んで生きる 小池昌代の現代詩入門』は、NHKで放送された現代詩入門の講座をまとめたムック本だ。小池昌代は、詩と小説の両方を書く作家として知ってはいた。けれど、まとまった著作を読む機会がなかった。
 古書店をパトロールしていたら、この本を見つけた。ぱらぱらとめくってみると、おもしろそうだ。ためらわず買うことにした。
 ちょっと脱線するが、本も人と同じで出会うタイミングがある。古書店や新刊書の書店で本を手にして買うかどうするか迷う。こういうときは、買いである。そうでないと、やっぱりほしいとおもって出向いても、すでになくなっていることがある。
 僕は何度か後悔した。それで、迷ったら買い、という原則をつくった。それから後悔はない。ただ、仕事部屋の本が増えるので、妻から小言をいわれることが増えたけれど、小説家の妻なのだから、そこは我慢してください。 続きを読む

『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第23回 摂法②

(3)一切の智を摂す

 第三の「一切の智を摂す」の段は簡潔であり、その全文は以下の通りである。

 三に止観に一切智を摂すとは、諸智の離合は前に説く所の如く、三観もて往きて収むるに、畢(こと)ごとく尽きざること無し。世智は理を照らさざれども、十一智の中に已に摂す。若し広く二十智を明かさば、亦た三観の摂する所と為るなり。(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅱ)317~318頁予定)(※1)

 諸智の離合については、第三章の止観の「体相」において説かれている。そこでは、一智、二智、三智、四智、乃至十一智等、種々の智の分類が説かれているが、いずれも三諦を観察することを明らかにしている。したがって、すべての智は三観に包摂されるのである。ここの引用文に出る十一智については、すでに「体相」の説明のなかで引用した(※2)が、引用文にあるように、世智は十一智のなかに含まれている。
 二十智については、「体相」の章には出なかったが、『法華玄義』巻第三上の「一世智、二五停心四念処智、三四善根智、四四果智、五支仏智、六六度智、七体法声聞智、八体法支仏智、九体法菩薩入真方便智、十体法菩薩出仮智、十一別教十信智、十二三十心智、十三十地智、十四三蔵仏智、十五通教仏智、十六別教仏智、十七円教五品弟子智、十八六根清浄智、十九初住至等覚智、二十妙覚智」(大正33、707上28-中6)を参照されたい。 続きを読む