銃殺された警察本部警備課課長
戦後史に刻印されている「白鳥事件」について、今ではどれくらいの人が知っているだろうか。
1952年1月21日午後7時42分。札幌市のススキノに近い南6条西16丁目の路上で、自転車で帰宅途中だった札幌市警察本部警備課課長の白鳥一雄(しらとりかずお)警部が背後から何者かにピストルで銃撃され死亡した。
犯行は強盗目的ではなかった。この日にもらったばかりの給料袋は、手つかずのまま白鳥の上着の内ポケットに入っていた。
その後、静岡県内で行倒れとなって保護されていた共産党員の情報提供がきっかけとなり、8カ月後の10月1日になって日本共産党札幌軍事委員会委員長だった村上国治が事件の首謀者として逮捕される。だが、拳銃を発射した実行犯ら4人は、密航船で国外逃亡する。
犯行の準備にかかわったなどとして逮捕された日本共産党員のうち、3人が全面自供に転じたことから、札幌地裁は村上を首謀者と認定して無期懲役の判決を下す。札幌高裁は懲役20年とし、1963年、最高裁は高裁判決を支持して村上の上告を棄却した。
なぜ、村上ら日本共産党員は警備課長の射殺というテロにおよんだのだろうか。本書のサブタイトルには〈「五一年綱領」に殉じた男たち〉とある。 続きを読む