連載エッセー「本の楽園」 第176回 朝のあかり

作家
村上政彦

 10代のころ、詩らしきものを書いていた。好きな詩人は、立原道造、中原中也。立原の詩は、いまでも好きな一節を暗唱できる。あるスーパーマーケットでごみ処理のアルバイトをしていたとき、小雨の降るなか、ごみを運ぶトラックが来るのを待つあいだ、その詩を口ずさんでいた。いつかプロの文筆家になったら、このことを書いてやろうとおもったことを、はっきりと憶えている(ついに書きました!)。
 ここでその詩を引きたいところだけれど、とりあげる本が詩人・石垣りんの『朝のあかり』というエッセイ集なので、やめておく。
 率直に言うと、その当時、僕は石垣りんを読んだことがなかった。いまや日本を代表する詩人のひとり。でも、僕は読んだことがなかった。名前は知っていたとおもう。そのころ『現代詩手帖』という現代詩の専門誌を読んでいたので、見かけたことはあったはずだ。
 それが読んだことがないというのは、つまり、関心が持てなかったわけだろう。僕は、立原道造や中原中也の抒情に魅せられていて、自分もそういう詩を書いていた。石垣りんの詩は、彼らの抒情詩とはちがう。 続きを読む

世界はなぜ「池田大作」を評価するのか――第3回 民主主義に果たした役割

ライター
青山樹人

「政教一致」体制と戦ったのが創価学会

――池田名誉会長が2010年5月を境に公の場に出ることを控えたことについて、さまざまな人間や媒体が勝手な憶測を書き散らしてきました。今般の逝去に際しても、あいかわらず単なる憶測や出所不明の話を書いている論者が見受けられますね。

青山樹人 なかには学者やジャーナリストを名乗りながら、名誉棄損になるような話を平然と書いたり語ったりしている人物もいます。池田先生は2015年も創価大学で居合わせた学生たちを激励していますし、16年も埼玉や八王子を訪問しています。17年も創価大学や神奈川、東京牧口記念会館を訪問しています。18年に長野研修道場で『新・人間革命』を脱稿した折は、研修道場内で何十人もの会員と間近で会っています。その様子は聖教新聞でもカラー写真で報じられています。
 19年には長野研修道場の他、落成した世界聖教会館を2度訪問して勤行されました。21年10月には修学旅行に来ていた関西創価小学校の6年生たちと、創立者として都内で会っていますね。22年に入っても夫妻で恩師記念会館を訪問して勤行されています。
 そういえば、『第三文明』2月号で作家の佐藤優氏が、『週刊新潮』に寄せた宗教学者の島田裕己氏のコメントについても痛烈に批判していました。島田氏は〈池田氏は最期まで宗教の本質である〝死〟についての解を提示できなかった〉〈死について掘り下げることがないまま、表舞台から去っていった。そこに宗教者としての限界があった〉等とコメントしていたのです。
 佐藤氏は、ハーバード大学での講演や『法華経の智慧』で展開された先生の死生観に触れ、〈宗教学者であり、創価学会についての著作も少なくないにもかかわらず、島田裕己氏は最重要著作の1つである『法華経の智慧』すら読んでいないのでしょう。底の知れたものです。〉と一刀両断しています。 続きを読む

『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第35回 方便⑥

[3]具五縁について④

(4)懺浄を明かす②

②事懺の逆流の十心

 前項では、煩悩、業、苦が連鎖し、ついに一闡提(いっせんだい)にいたるまでを明かしている。この順流の十心を対治して悪法を除くものが逆流(罪の流れに逆らうこと)の十心である。順流の十心は、事懺(じせん)と理懺(りせん)に共通であり、逆流の十心については、事懺と理懺のそれぞれについて別立てで説明されている。
 第一は、仏法の因果を信ずることによって、一闡提の心を破ることである。第二は、自分で自分を恥じ、天に恥じ、他人に恥じることによって、慚愧(ざんき)のない心を破ることである。第三は、悪道を恐れることによって、悪道を恐れない心を破ることである。第四は、自分の罪を隠蔽しないことによって、罪を覆い隠そうとする心を破ることである。第五は、連続して悪をなす心を断ち切ることによって、常に悪事を思う心を破ることである。第六は、菩提心を生ずることによって、すべての場所に広く行きわたって、悪を起こす心を破ることである。第七は、功徳を修めて過失を補うことによって、身口意の三業を放縦にする心を破ることである。第八は、正法を守護することによって、随喜(他人の幸せを喜ぶこと)のない心を破ることである。第九は、十方(四方、四維、上下の方向)の仏を念ずることによって、悪友に従う心を破ることである。第十は、罪の本性が空であることを観察することによって、無明(むみょう)の暗闇を破ることである。 続きを読む

芥川賞を読む 第33回『ハリガネムシ』吉村萬壱

文筆家
水上修一

暴力性の生まれる暗部の構造を描く

吉村萬壱(よしむら・まんいち)著/第129回芥川賞受賞作(2003年上半期)

不気味な寄生虫「ハリガネムシ」

 第129回の芥川賞受賞作は、『文学界』に掲載された吉村萬壱の「ハリガネムシ」だった。
 受賞作のタイトルにもなっているハリガネムシについて、作中では詳細には解説されてはいないが、調べてみると実に薄気味悪い生物だ。くねくねと動く細長いひものような寄生虫で、乾燥すると針金のように硬くなることが名前の由来らしい。本来は水生生物で、カゲロウなどの水生昆虫に捕食されそれをカマキリなどの陸上生物が捕食すると、その陸上生物に寄生し成長を続ける。最終的には、ある種の神経伝達物質を使ってカマキリを酩酊状態にし、川などに入水させた後にカマキリの尻からにゅるにゅると出て行って水の中へと帰っていく。この作品の不気味さをうまく象徴しているタイトルである。
 平凡な教師だった主人公の〈私〉が堕落・変質していくきっかけとなったのは、ソープ嬢のサチコと出会いだった。社会の底辺を這いつくばるように生きてきたサチコとの交流の中で、自らの中にある肉欲を含む暴力性に徐々に目覚めていく様は、実に見事でありスリリングでもある。 続きを読む

世界はなぜ「池田大作」を評価するのか――第2回 世界宗教の要件を整える

ライター
青山樹人

「創価学会は正典化を完成した」

――前回は、池田名誉会長が80歳以降の展望として「随筆 新・人間革命」第1回で綴った「妙法に説く不老不死のままに、永遠に広宣流布の指揮をとることを決意する」について、それは後継の弟子が陸続と登場することによってのみ実現されるのだということを確認しました。名誉会長は早い時期からはるか未来までを見通して、あらゆる手を打ってきたわけですね。

青山樹人 池田先生がこの随筆を発表されたのは1998年1月4日付の聖教新聞でした。これが、どういう時期であったかを確認しておきたいと思います。
 1990年の暮れに、当時の日蓮正宗法主らが奸計をめぐらせて、いわゆる第二次宗門事件が惹起します。池田先生を総講頭から罷免して創価学会を動揺させて解体し、黙って供養を差し出す従順な信徒だけを囲い込もうと謀ったわけです。その目論見のなかで91年11月に宗門は創価学会を〝破門〟します。
 ところが、学会はビクともしなかった。もともと学会は1952年9月に宗教法人の認証を得ている団体です。むしろ怪しげな「法主信仰」に教義を変質させた宗門のほうから袂を分かってくれたことは、その後の創価学会が一気に世界宗教化する好機となりました。 続きを読む