『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第29回 偏円⑥

(5)権・実を明かす③

(c)接通に約して、以て教理を明かす②

 蔵教・通教・別教・円教の四教の存在以外に、被接(ひしょう)を問題とする理由については、利根の修行者が飛躍的に修行を前進させる可能性を理論的に組み込むために、三種の被接を考案したと思われる。一般化していうと、宗教の修行における超越の可能性に席を用意したというわけである。この三被接は、『法華玄義』の境妙(迹門の十妙の第一)のなかの七重の二諦説(真諦と俗諦について、七種類の定義を施している)においてよく示されている。というのは、七重とは、四教と三被接を合わせたものであるからである。
 ここでは、最初に、一実(円教)のために三権(蔵教・通教・別教)を施す場合、ただ蔵教・通教・別教・円教の四種の止観があるだけであるが、別によって通を接する(別接通〈べっせつつう〉)止観に関しては、(1)権であるのか、実であるのか、(2)どのような意味で四という数に関与しないのか、(3)どのような意味でただ通教だけを接するというのか、(4)どのような位において接せられるのか、(5)どのような位に接せられて入るのか、という五つの質問が設けられている。初めに教に焦点をあわせて五問に答え、次に諦(真理)に焦点をあわせて四問(第二問を除く)に答えている。 続きを読む

書評『宗教を哲学する』――政治と宗教を考えるための画期的論考

ライター
小林芳雄

日本における宗教理解の浅薄さ

 2022年7月、安倍晋三元総理が凶弾によって倒れた。逮捕された容疑者の犯行動機が旧統一教会への恨みであったことから、政治と宗教の問題がにわかに注目を浴び、大きな問題としてとりあげられた。ワイドショーでは旧統一教会と政治家の関係性を追求し、そこにジャーナリストや研究者が登場し、さまざまな議論を繰り広げた。また国会でもこの問題がとりあげられた。
 しかし、それらの発言には時局迎合的なものが多く、国家と宗教という問題を真面目にとりあげ議論を深めていこうとする人は、ほんの一握りでしかない。
 本書は副題に「国家は信仰をどこまで支配できるのか」とある通り、国家と宗教の関係性というテーマを真正面からとりあげている。
 同じ問題をあつかった本がこれまで出版されてきたが、憲法や法解釈の観点から論じたものが大半を占めていた。しかし本書は哲学という観点から問題の本質に迫ろうとする画期的な論考といえるだろう。 続きを読む

万博でアタマを抱える維新――国への責任転嫁に批判強まる

ライター
松田 明

横領した金をギャンブルで使い果たす

 統一地方選挙で大躍進したものの、連日のように不祥事が噴出してきた日本維新の会と、その母体である大阪維新の会。あいかわらず大阪を中心とした近畿圏では存在感を放っているが、支持率に陰りも見え始めている。

 10月22日――
 任期満了に伴う奈良県橿原市の市長選挙がおこなわれた。奈良県は日本維新の会奈良県総支部代表・山下真氏が知事を務める。
 結果は、自民党が推薦する無所属で現職の亀田忠彦氏が、日本維新の会公認の元市長・森下豊氏を大差で破って2度目の当選を果たした。森下氏は橿原市長を3期務めたが、前回の市長選でも亀田氏に敗れている。
 奈良県では、日本維新の会の前川清成衆院議員(比例近畿)が9月26日に議員辞職を表明したばかり。公職選挙法違反で一審・二審とも有罪判決を受け、最高裁に上告しながら次期衆院選で奈良1区からの出馬を検討しものの、地元の理解が得られなかった。

 10月25日――
 奈良県警は日本維新の会の元斑鳩町議だった大森恒太朗容疑者を、業務上横領の疑いで再逮捕した。 続きを読む

「立憲共産党」の悪夢ふたたび――立憲民主党の前途多難

ライター
松田 明

「解散は消えたわけではない」

 臨時国会の召集早々、立憲民主党にとって頭が痛いというか、迷惑千万な〝事件〟が起きた。ことの発端は衆参補選である。
 10月22日投開票の衆参2つの補選では、いずれも日本維新の会が候補者の擁立を見送った。その結果、参議院徳島・高知選挙区では、立憲民主党が支援する無所属候補が自民党候補に大差で勝利。
 一方、衆議院長崎4区では前回よりも得票差が開くかたちで、自民党の新人で公明党が推薦した候補が立憲民主党の前衆議院議員を破った。
 2つの選挙区とも選挙戦中盤までは立憲民主党候補が優勢と報じられており、自公連携の軋みが影響しているのかとも見られていた。しかし、最終的に長崎4区は自民候補が自民党支持層の7割強、公明党支持層の8割強を固めて逆転勝利した。自民党所属の北村誠吾・元地方創生担当相の死去に伴う選挙だったという点もある。
 一方、徳島・高知選挙区は、そもそも高知県を地盤とした自民党の前参議院議員が不祥事で辞職したことを受けての選挙。日本維新の会が候補者擁立を見送ったことで、こちらも期せずして「野党統一候補」となり、自民党への批判票が集まった。 続きを読む

『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第28回 偏円⑤

(5)権・実を明かす②

(b)四種の止観に約して、以て開権を明かす

 今回は、(b)「四種の止観に約して、以て開権を明かす」以降について説明する。四種の止観とは、蔵教・通教・別教・円教の四教の止観を指す。この四種の止観について、蔵教・通教・別教の三教の止観が権で、円教の止観が実であること(これは開会<かいえ>されない、相対的な立場における規定である)はすでに述べたことを踏まえて、ここでは、別の見方を示している。
 まず、四種の止観は開会すれば、すべて実であると規定する。開会は、一応は方便を除いて真実に入らせることであるが、さらにいえば、方便を真実のなかに収め取って、方便を真実として復活蘇生させる意義がある。次に、四種の止観は、それらによって示される四種の理がすべて不可説であるのに、強いて言葉で説くので、すべて権であると規定される。最後に、前二者においてすべてが実、すべてが権とそれぞれ規定したが、これらの実、権はすべて不可説であるので、すべて権でもなく実でもない(非権非実)と規定され、これらの説明を踏まえて、結論として、

 非権非実(ひごんひじつ)にして、理性(りしょう)は常に寂なるを、之れを名づけて止と為し、寂にして常に照らし、亦権亦実(やくごんやくじつ)なるを、之れを名づけて観と為す。観の故に、智と称し、般若と称す。止の故に、眼と称し、首楞厳(しゅりょうごん)と称す。是の如き等の名は、二ならず別ならず、合ならず散ならず。即ち不可思議の止観なり。此れは但だ実は是れ非権非実なりと開くのみならず、権も亦た是れ非権非実なりと開く。猶お開権顕実の意に属するのみ。(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅱ)360~361頁予定)(※1)

と述べている。 続きを読む