十代のころにつたない抒情詩を書いていた。淡い恋心を抱いた女性への思いなどを綴る。いまでもその一節は思い出せるけれど、恥ずかしいから文字にはしない。顔から火が出る、という。僕の場合、苦笑いだ。よくあんなものを書いていたな、とおもう。
中学生のとき、クラスメートの男子で、やはり詩を書く人物を見つけた。たがいに誰にも見せずに書いていたのだが、何をきっかけにしてだったか、ガラクタのような言葉の詰まったノートを見せ合った。
僕は、彼の詩をいい、とおもった。彼は、僕のノートを見て、「君は天才だ!」といった。そんなはずがない。本当にそんな才能があれば、いまごろ詩人として大成している。僕も彼も幼稚だったのだ。
その後も何度かノートを交換して、新作を見せ合った。幼稚は幼稚なりに、小さな詩のコミュニティをつくって、刺戟しあいながら、励ましあいながら、詩を書き続けていたのだ。
その彼が転校して、僕はなんとなく詩を書かなくなった。もともとひとりで書いていたのだから、ひっそり書き続けてもいいはずだけれど、読者を失ったから張り合いがなくなったのだとおもう。
『シュテファン・バチウ ある亡命詩人の生涯と海を越えた歌』を読んで、詩人にとってコミュニティが大切であることをあらためて知った。 続きを読む





