本の楽園 第200回 詩の親密圏(最終回)

作家
村上政彦

 十代のころにつたない抒情詩を書いていた。淡い恋心を抱いた女性への思いなどを綴る。いまでもその一節は思い出せるけれど、恥ずかしいから文字にはしない。顔から火が出る、という。僕の場合、苦笑いだ。よくあんなものを書いていたな、とおもう。
 中学生のとき、クラスメートの男子で、やはり詩を書く人物を見つけた。たがいに誰にも見せずに書いていたのだが、何をきっかけにしてだったか、ガラクタのような言葉の詰まったノートを見せ合った。
 僕は、彼の詩をいい、とおもった。彼は、僕のノートを見て、「君は天才だ!」といった。そんなはずがない。本当にそんな才能があれば、いまごろ詩人として大成している。僕も彼も幼稚だったのだ。
 その後も何度かノートを交換して、新作を見せ合った。幼稚は幼稚なりに、小さな詩のコミュニティをつくって、刺戟しあいながら、励ましあいながら、詩を書き続けていたのだ。
 その彼が転校して、僕はなんとなく詩を書かなくなった。もともとひとりで書いていたのだから、ひっそり書き続けてもいいはずだけれど、読者を失ったから張り合いがなくなったのだとおもう。

『シュテファン・バチウ ある亡命詩人の生涯と海を越えた歌』を読んで、詩人にとってコミュニティが大切であることをあらためて知った。 続きを読む

書評『中断される死』――医療現場から生死を問い直す

ライター
小林芳雄

死のジレンマとは

 著者はなかなかユニークな経歴の持ち主だ。救急車で人命救助の現場に向かう救命救急士だったが、職場の上司の勧めに従って医学大学へ通いER(救急室、救急外来)の医師となった。現在は、ICU(集中治療室)の医師であり、またジャーナリストでもある。
 本書は、これまで著者が悩んできた問題を解決するまでの過程を、医学の専門知識のない読者が理解できる文章で綴ったものである。多くの専門家へのインタヴューで構成されている。

 死のジレンマとは私たち医者が、いずれは必ず訪れる死を短期的に阻もうとしてテクノロジーを見境なく使った結果であると同時に、医療行為や死のプロセスから人間性を奪ってきたテクノロジーへの依存に対処し損ねたことにも起因している面がある。(本書80ページ)

 著者の心を悩ませてきた問題とは、本書で「死のジレンマ」「グレーゾーン」と言われているものだ。 続きを読む

すべての人に「婚姻の自由」を――公明党の合意形成を期待する

ライター
松田 明

【この記事のポイント】
①公明党・斉藤代表が「婚姻の完全平等を求める」と初の公式見解
②同性婚をめぐる訴訟で、現行規定を「違憲」とする高裁判決が連続している
③先進諸国を筆頭に世界では38カ国・地域で同性婚が法制化されている
④法制化に反対する主な意見には、合理的な理由が見当たらない
⑤日本でも国民の過半数が(29歳以下では9割が)法制化に賛成している
⑥高裁判決は「国会の不作為」を浮き彫りにしている
⑦与党・公明党には国会での合意形成の期待が寄せられている

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『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第69回 正修止観章㉙

[3]「2. 広く解す」㉗

(9)十乗観法を明かす⑯

 ④慈悲心を起こす(2)

 次に、煩悩無数誓願断については、煩悩は実体的な存在をもたないことを知っているけれども、その実体的な存在をもたない煩悩を断ち切ることを誓い、煩悩には限度のない(無限、無量の意味)ことを知っているけれども、その限度のない煩悩を断ち切り、煩悩は実相と同一であると知っているけれども、その実相と同一である煩悩を断ち切ると説明している。衆生と煩悩について、それぞれ空、仮、中のあり方を踏まえて三重に説明しているようである。
 このような衆生を救うこと、煩悩を断ち切ることにも、周到な注意、つまり空、仮、中に配慮したあり方が要請されるのである。 続きを読む

本の楽園 第199回 辺境のラッパーたち

作家
村上政彦

 20世紀の後半になって、アメリカでヒップホップというストリート文化が誕生した。「DJ、ラップ・ミュージック、グラフィティ・アート、ブレイクダンス」をいう。黒人奴隷たちの労働歌や霊歌がジャズへ進化したように、ヒップホップも貧しい黒人たちのあいだから始まった。
 伝説によると、クール・ハークが、1973年8月11日に妹の誕生パーティーで、ターンテーブルを使って、レコードをリミックスし、ブレイクビーツを響かせたのが起源らしい。
 もともとジャズと同じようにマイノリティによる、なけなしの自己表現だった。貧しいもの、持たざるもの、社会のなかで阻害されているものたちの表現は、工夫に満ちていて、身ひとつあれば誰もができる。ヒップホップは、いまや世界で広く、共有される文化となった。

 小説家の僕からしてみると、言葉を使うラップがいちばん身近だ。ただし、ステージでやったことはない。少年のころは、ロックバンドのボーカルだったり、フォークデュオを組んだりしていて、人前で音楽をやっていたから、もっと若ければラップもありだったかもしれない。
 ラップは誕生の在り方からして、反抗の匂いがする。貧しい黒人たちが集まって、どうだとばかりにターンテーブルを回し、貶められた彼らの境遇を巧みなリリックで訴える。かなりまえからこれは新しい抵抗詩だとおもっていた。 続きを読む