芥川賞を読む 第35回『蹴りたい背中』綿矢りさ

文筆家
水上修一

高校生の微妙で微細な人間関係の揺れと痛みを描く

綿矢りさ(わたや・りさ)著/第130回芥川賞受賞作(2003年下半期)

まだ破られていない史上最年少受賞

 綿矢りさは、17歳の高校時代に初めて書いた小説「インストール」が文藝賞を受賞して、19歳の早稲田大学在籍中に書き上げた2作目「蹴りたい背中」が芥川賞を受賞。それ以降まだ芥川賞受賞の最年少記録は破られていない。
 第130回の芥川賞は、前回紹介した金原ひとみの「蛇にピアス」とこの「蹴りたい背中」がW受賞し、若い女性2人のW受賞は世間を大いに賑わせた。しかも、授賞式での二人の風貌は、金原ひとみが茶髪に黒いミニスカートと黒いニーハイソックス姿、綿矢りさは黒髪に膝下スカートとカーディガンという、その作風を彷彿とさせる対称的なものだったので、なお一層注目を集めた。
「蹴りたい背中」の舞台は高校生活。上っ面の人間関係構築にエネルギーを割くことに背を向けた女子高生「私」の、周囲に馴染むことへの反発の中で感じる孤立の痛みと恐れは、多くの思春期の子どもたちに多かれ少なかれ共通する感覚だろう。クラスの中でもう一人の浮いた存在が、ある特定のアイドルに異様な執着を見せるオタク男子の「にな川」だ。ある出来事をきっかけとして、まったくタイプの異なる2人が不思議な距離感の中でつながっていく。 続きを読む

『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第38回 方便⑨

[3]具五縁について⑦

「近善知識」について

 最後に、具五縁の第五の近善知識(良い友人に近づくこと)について紹介する。善知識は五縁のなかでもとくに重要視されており、具五縁の解説の冒頭にも、『禅経』(出典未詳)の「四縁は具足すと雖も、開導は良師に由る」(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅱ)、372頁)を引用している。「良師」は、後述する教授の善知識のことである。ここでも、次のように、得道(覚りを得ること)のための大因縁とされている。

 第五に善知識とは、是れ大因縁なり。謂う所は、化導して仏を見ることを得しむればなり。阿難は、「知識は、得道の半の因縁なり」と説き、仏は「応に爾るべからず。全の因縁を具足す」と言う。(『摩訶止観』(Ⅱ)、450-451頁)

 ここに紹介されている得道のための半の因縁か、全の因縁かについては、『付法蔵因縁伝』巻第六の「昔、阿難は仏に白して言うが如し。『世尊よ、善知識とは、得道の利に於いて、半の因縁と作る』と。仏の言わく、『不(いな)なり。善知識とは、即ち是れ得道の全分の因縁なり』と」(大正50、322上23-25)に基づくものである。 続きを読む

書評『日本のコミュニケーションを診る』――共感と勇気の対話が日本社会の幸福を生み出す

ライター
小林芳雄

心の痛みを伝えることが苦手な日本人

 著者はイタリア出身の33才の精神科医である。18才まで故郷のシチリア島で過ごし、ローマの大学で学び医師となる。その後、幼い頃より主にアニメを通して憧れを持っていた日本に留学し、医師免許と医学博士号を取得した。史上初めて日本とイタリア両国で医師国家試験に合格した稀にみる秀才である。日本の文化に造詣が深いだけでなく、見事に日本語を使いこなす。それは本書の冒頭を読むだけでも分かるだろう。現在はその能力を活かし、医療現場だけでなくコメンテーターや著述家としても活躍の場を広げている。
 本書はコロナ禍の日本で医師として過ごした経験をもとに執筆された。その間、自身が感じた疑問や違和感を精神科医の観点から深く掘り下げ、現代の日本社会の問題にメスを入れる。医学者としての〝冷静な視点と〟日本人を深く愛する〝暖かな眼差しが〟が両立している。ここに本書の大きな魅力の1つがある。

 肥大化した自己を引きずったまま、負の感情の扱い方や伝え方がわからないという、外傷コミュニカビリティの未熟な人が大勢いる。彼/彼女らは心の痛みを自覚できず、他者に助けを求めることができない。一方、健全なトラウマを体験してきた人は外傷コミュニカビリティを備えており、他者に「自分はこういう風に苦しい」と伝えられる。(本書26ページ)

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世界はなぜ「池田大作」を評価するのか――第5回 ヨーロッパ社会からの信頼

ライター
青山樹人

フィレンツェ市庁舎で「追悼式」

――ジョー・バイデン大統領からアメリカSGI(創価学会インタナショナル)を通じて、池田名誉会長の逝去に対する弔慰が香峯子夫人に寄せられました

青山樹人 弔意文のなかでバイデン大統領は「池田会長は、献身的な指導者、橋を架ける人、そして行動の人として、全ての人々の平和と尊厳の追求に生涯を捧げられました」「会長が残された精神は、今後、何世代にもわたって、全世界で共鳴し続けていくことは間違いありません」と。池田先生の功績を称えています。
 すでに米国ではカマラ・ハリス副大統領からも弔意が寄せられていました。

〈弔意文で副大統領は、池田会長は生涯にわたって情熱的、献身的に社会に尽くし、SGI会長として外交に尽力し、平和を守ったと述懐。誰もが社会に良い変革をもたらせると信じた、並外れた指導者だったとたたえた。
 さらに、米国内外の仏教界に大きく貢献したと述べ、その慈愛と歓喜に満ちた精神は、会長と出会った全ての生命に対する贈り物であり、この世界にもたらした光として記憶されるだろうと強調。その精神は、SGIと、会長を知る全ての人々を通して生き続け、その偉大さは今後、何世代にもわたって伝え続けられるだろうとつづっている。〉
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連載エッセー「本の楽園」 第178回 片桐ユズルの詩

作家
村上政彦

 小学生のとき、同居していた血のつながりのないじいちゃんに、ガットギターを買ってもらった。じいちゃんは、僕を本当の孫のようにかわいがってくれて、たいていのわがままを聴いてくれた。
 飽き性で、何事も長続きしない僕が、ギターだけは手放すことなく、中学生のころには、5万円もするアコースティックギターを持ち、文化祭のステージに立っていた。僕のかいわいで、僕よりギターのうまいやつはいなかった。
 当時、僕が夢中になっていたのはフォークソングだった。吉田拓郎、井上陽水、泉谷しげる――この3人がお気に入りで、特に拓郎のアルバム『元気です』は、耳でコピーして、収録曲すべてを弾き語りできるようになった。
 僕は、卒業文集に未来の自分を、「歌っている。ほかにできることがないから」と気障なことを書いた。けれど、僕は作曲ができないので、音楽で生きていくことは諦めた。僕の関心は文学に向かった。
 つい先日、『関西フォークとその時代 声の対抗文化と現代詩』を読んで、僕が夢中になったフォークソングと現代詩を結びつけようと試みた詩人がいたことを知った。片桐ユズルだ。 続きを読む