本の楽園 第188回 制服なんて大嫌いだ

作家
村上政彦

 このあいだ衣替えをしていた妻が、いきなり仕事部屋のドアを開けて、いらない服はすてます、といった。ちょっと待ってよ。置いてあるんだから、全部いるでしょ。でもさ、もう5年も着てない服があるわよ。それだけ着なかったら、もう、いらないでしょ。
 5年のあいだ着ていない服は捨てる――これは妻が実行している5年ルールらしい。結婚して30年以上になるけれど、初めて知った。彼女はそうして持ち物を整理しているのだ。
 でも、5年のあいだ着ていなくても、突然に着ようとおもうことだってあるかもしれない。そんなこといってるから、どんどん服が溜まっちゃうのよ。じゃ、自分でやってね。その日から僕は捨てられない人の烙印を押された。
 確かに妻のいうことも一理はある。仕事部屋を見ても、僕は書類がなかなか捨てられない。本は増えてゆくばかり。いつか、資料として使うかもしれない、とおもうからだ。やはり僕は、捨てられない人なのか。
 そんなことを考えながら本屋をぶらぶらパトロールしていたら、『一年3セットの服で生きる』という本を見つけた。 続きを読む

「神宮外苑」を争点化する愚かさ――共産党の扇動に便乗する候補者

ライター
松田 明

全国で一番安い都知事の給与

 注目の東京都知事選挙が本日6月20日に告示された。ここから7月7日の投票日まで、短期決戦の選挙となる。
 首都東京は、日本の人口の1割を超す1400万人が暮らし、職員の総数は警視庁や東京消防庁まで含めると16万6000人以上。一般会計に特別会計と公営企業会計を合わせた都全体の予算規模は、16兆5584億円(単純合計)で、ギリシャやスウェーデンの国家予算を上回る。
 しかも、地方自治体なので議会も首長も住民が選挙で選ぶ二元代表制。つまり、都知事を選ぶことは東京という世界有数のメガシティの〝大統領〟を選ぶことに等しい。
 なお、東京都民の平均月収は全国の都道府県でトップだが、都知事の給与は全都道府県知事のなかで最低額の72万8000円である。これは、小池知事が自らの発案で2016年から知事給与を半減させ続けているからだ。 続きを読む

千田夏光の作品と慰安婦――「吉田証言取り消し」の夏から10年

ジャーナリスト
柳原滋雄

吉田証言の問題点と慰安婦の真相は別のもの

 今から10年前の2014年8月5日と6日の2日間にわたり、朝日新聞は、従軍慰安婦問題に関する吉田清治(よしだ・せいじ 1913-2000)証言を扱った過去の記事を取消し、訂正する特集を掲載した。慰安婦問題に批判的であった第2次安倍政権時代のことであり、朝日新聞を一斉に批判する風潮が右派メディアを中心に強まった。
 その前年頃から、一部メディアは、慰安婦問題に関する総括的な謝罪表明ともいえる「河野官房長官談話」(1993年8月)の信ぴょう性を疑う主張を強め、慰安婦問題でこれ以上日本政府が責任を追及されるいわれはない、との主張を繰り返した。
 朝日新聞が吉田清治証言を取り消したことで、右派側は慰安婦の強制連行(いわゆる「慰安婦狩り」)の裏づけも丸ごと無くなったかのように勢いづき、もはや慰安婦問題は終わったかのごとき主張を繰り返した。
 しかし、この問題を全体の文脈で振り返れば、吉田清治の主張や証言は、従軍慰安婦問題に関して、実際はほとんど重きをなしていないものだ。 続きを読む

蓮舫氏と共産党の危うい距離感――「革新都政」再来を狙う人々

ライター
松田 明

「歴史という法廷に立つ覚悟があるのか」

 まず初めに、6月16日に投開票がおこなわれた沖縄県議選では、共産党が7議席から4議席、立憲民主党が4議席から2議席へと半減。公明党が2議席から4議席に倍増したほか、自民党も全員当選して18議席から20議席に躍進。
 自公を中心とする勢力が16年ぶりに過半数を制し、玉城デニー知事を支える県政与党は過半数割れとなった。基地問題だけに固執し、あとの政策をほとんど実現させないままの玉城県政に県民から厳しい審判が突きつけられたかっこうだ。

 さて、東京都知事選挙(6月20日告示・7月7日投票)について、現職の小池百合子知事が立候補を表明した。
 既に、蓮舫参議院議員(6月12日に立憲民主党を離党)も立候補の意思を表明。広島県安芸高田市の元市長・石丸伸二氏や、タレントの清水国明氏、元航空幕僚長の田母神俊雄氏ら、50人以上が立候補すると見られている。
 小池氏も蓮舫氏も「無所属」で出馬することを表明。小池氏は政党推薦も受けないという。
 それでも、都民ファーストの会はじめ、自民党と公明党、さらには国民民主党、連合も小池氏を支援することを表明。一方、蓮舫氏は立憲民主党、日本共産党、社会民主党、市民連合などが支援しており、事実上の〝与野党対決〟としてメディアは取り上げている。
 蓮舫氏と言えば、民主党政権が目玉にしていた「事業仕分け」で〝仕分け人〟として注目を浴びた。世界一のスーパーコンピューターをめざし、国の予算を投下して理化学研究所(理研)と富士通が共同開発していた事業に対し、「2位じゃダメなんですか?」といきなり事業凍結を迫った〝迷言〟は今も有名だ。 続きを読む

芥川賞を読む 第40回 『八月の路上に捨てる』伊藤たかみ

文筆家
水上修一

夢破れながらも最後の勝ちを夢見る切なさが胸を打つ

伊藤たかみ(いとう・たかみ)著/第135回芥川賞受賞作(2006年上半期)

物語を構成する2つの軸

 第135回芥川賞を受賞した「八月の路上に捨てる」は、『文學界』に掲載された約105枚の短編だ。受賞当時35歳だった伊藤たかみは、その11年前の1995年に「文藝賞」を受賞して以降、「小学館児童出版文化賞」「坪田譲治文学賞」を受賞し、芥川賞候補にも二度上っており、満を持しての芥川賞受賞ということになる。
 主人公は、脚本家を夢見る若者、敦。自動販売機に飲料缶を補充して回るアルバイトで食いつなぐ。そのトラックを運転するのは、サバサバした気性の先輩女性で、敦は助手席でその彼女をサポートする。描かれている舞台は、わずか1日。暑い夏の日に都内の自販機を回る間、先輩女性が話題にするのは、目前に迫っている敦の離婚のこと。彼女自身も過去に離婚を経験していたがゆえに、敦とその妻に関することを根掘り葉掘り聞いてくるのである。そのやり取りの中で、主人公は妻との過去をさまざま回想する。
 物語の軸は2つある。ひとつは、その1日の仕事の流れで、そこで敦と先輩女性の会話が繰り広げられる。仕事の描写が非常にリアリティがあるゆえに物語への引き込みが強い。もうひとつは、仕事の合間に回想される、離婚に至るまでの経緯やそれに対する思いだ。この2つの軸があることによって、夫婦関係の破綻に至るまでの心理描写が平坦ではなく立体的なものになった。うまい構成だ。 続きを読む