書評『LGBTのコモン・センス』――私たちの性に関する常識を編み直す

ライター
本房 歩

誰もが自分らしく生きるために

 著者の池田弘乃氏は、ジェンダーやセクシュアリティ、フェミニズム法理論などの研究を進める気鋭の法哲学者。現在は山形大学で教授を務めている。
 新著『LGBTのコモン・センス』では、著者はこれまでも取り組んできた性的マイノリティの権利保障の問題について、当事者への丹念な取材を通して、日本社会における制度的な不備や、社会に根づく誤解や偏見などを浮かび上がらせ、性に対する私たちの常識(コモン・センス)を編み直していく。
 今私たちが性に対して〝常識〟と考えているそれは、単に時代の制約を受けたものであったり、漠然とした印象によるものでしかなかったりするのではないか。そうした〝常識〟が、人々に「男らしさ」や「女らしさ」を過剰に押しつけ、一人ひとりが「自分らしく」生きることを阻害しているのではないか。
 著者はこうした問題意識のもと、読者とともに性についての常識の編み直しを図る。そして、多様な性のあり方を確認しながら、誰もが「個人として尊重」される社会を展望していく。 続きを読む

本の楽園 第190回 ツユクサナツコは幸せだったのか?

作家
村上政彦

 漫画読みになったのは小学校に入るころだった。当時は漫画雑誌の創刊が相次いで、『少年マガジン』『少年サンデー』『少年キング』『少年ジャンプ』『少年チャンピオン』と週刊誌だけで5誌もあった。
 僕はすべて購読していた。発売日には、学校から帰ってまっすぐに本屋へ。すると1台のトラックが店先に停まって、荷台からビニール紐で結んだ漫画雑誌の束を下ろす。馴染みの本屋のおじさんが鋏で紐を切って、1冊手に取ると、ぱんぱんと埃を払う。
「はい、村上君」
「ありがとう」
 僕は掌ににぎりしめて温かくなっている硬貨を渡して、漫画雑誌を受け取る。表紙をめくる。ぷんとインクの匂いが立つ。歩きながらページを繰ると、指先が青いインクで染まる。僕は家にたどりつくまでに、連載の一話を読み終わっている――。
 いまでもそのころのことは、よく憶えている。あんなに夢中になって漫画のなかへ入っていけたのは、名作がそろっていたからだろうか。それとも子供だったからだろうか。その後、だんだん関心が文学に移って、あまり漫画は読まなくなった。 続きを読む

書評『龍樹と語れ!』――白熱した論争のドラマから龍樹の実像に迫る

ライター
小林芳雄

謎の書『方便心論』

『方便心論』という書物がある。漢訳のみが現存し、著者は大乗仏教の代表的な哲学者・龍樹とされているが、真偽のほどは定かではない。分量は漢字で8000字と短いが、論理学に関することが書かれているということ以外、内容も判然としない。まさに謎の書である。
 著者はインドの正統バラモン思想に属するニヤーヤ学派(論理学派の)研究者であったが、数年かけて『方便心論』に徹底して取り組み、古代インドで繰り広げられた論争の過程を詳細にふまえ、これまで知られることのなかった龍樹像を明るみに出すことに成功した。本書は一般読者に向け、そのエッセンスをわかりやすく伝えたものだ。

 ここで出てくるのが、伝家の宝刀、対機説法という技である。「対機説法」というのは、相手の問いかけにあわせて答える方法である。「言い争う論法」を提示して示すチャラカに対しては、それにあわせて対応させて「言い争わない論法」というのを説いて示す、というアクロバチックな技がくり広げられることになる。(本書97ページ)

 著者は、『方便心論』は龍樹が著した論争の書であり、その相手は主に『チャラカ・サンヒター』という医学書を編纂した医師・チャラカと推定する。だが医師といっても現代とは大きく異なる。病因を正しく推理するための論理学や人間の本質を考える伝統的なバラモン哲学、医師としての名声を得るために相手を徹底的に打ち負かす陰険な論争術など、これらを総合的に身につけていた。
 龍樹はなぜ医師であるチャラカと論争したのか。著者はその理由を龍樹もまた医師であったからと考える。 続きを読む

『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第54回 正修止観章⑭

[3]「2. 広く解す」⑫

(9)十乗観法を明かす①

 このように、『摩訶止観』の陰入界境は心に集約されることになるので、心を観察すること、つまり観心という言葉がしばしば使用される。
 さて、この段の構成について簡潔に説明する。十境の第一の陰入界境に対して、十乗観法を修行するのであるが、全体は、「正しく十観を明かす」と「喩を以て修を勧む」(巻第七下)の二段に分けられる。「正しく十観を明かす」段が主要な部分であるが、この段はさらに「端坐して陰・入を観ず」と「歴縁対境」(巻第七下)の二段に分かれる。そして、「端坐して陰入を観ず」は、「初めに法」と「大車の譬え」(巻第七下)の二段に分かれる。「初めに法」は、「十乗を広く解す」と「総結して示す」(巻第七下)の二段に分けられる。この「十乗を広く解す」の段に、十乗観法が説かれるのである。下に図示する。番号は、第三文明選書『摩訶止観』(Ⅱ)と同じものを使う。52b-101cなどは、『大正新脩大蔵経』巻第46巻の頁・段を示すので、これによっておおよその分量を見て取れる。 続きを読む

芥川賞を読む 第41回 『ひとり日和』青山七恵

文筆家
水上修一

静かな筆で描く若い女性の孤独

青山七恵(あおやま・ななえ)著/第136回芥川賞受賞作(2006年下半期)

高齢女性と同居する若い女性の日常

 芥川賞の選考会では、強く推す選考委員が1人、2人いて、否定的な人も同程度いるというケースが多いのだが、この回ではほとんどの選考委員が本作品を推していた。普段は手厳しい評価の多い石原慎太郎さえも驚くほど高い評価だった。23歳という若さで受賞した青山七恵。彗星のごとく現れた才能だ。
 受賞作「ひとり日和」の主人公は、遠縁に当たる70過ぎの女性の家に居候する20歳のフリーターの「わたし」。春から冬までの1年間の暮らしを静かな筆で淡々と描いている。自分はいったい何をしたいのか、自分は何者かさえもよく分からない若い女性が、人生の春夏秋冬を味わい尽くした枯れた年齢の高齢女性と暮らす。
 舞台は、都会の開発に取り残されエリアの一角に立つ古びた木造家屋。その小さな庭の垣根の向こうには、細い道を1本隔てて駅のホームが見える。主人公にあてがわれた辛気臭い部屋の一室から「わたし」は、ホームと電車を眺め、あるいは逆にホームから自分の暮らす古びた部屋を見る。
 2人の恋人に順次去られるという出来事はあったものの、その生活は静かそのものだ。その静けさは、時代から取り残されそうでもあり、若ささえも吸い取られそうだ。
 こうした淡々とした描写から浮かび上がってくるものは、若い女性の孤独や虚無感だ。「ひとり日和」というタイトルが絶妙である。 続きを読む