政治資金規正法改正案のゆくえ――公明党がやれたこと、やれなかったこと

ライター
松田 明

不透明な「政策活動費」

 政治資金規正法改正案をめぐり、自民・公明の両党は「与党案」をめざして実務者協議を続けてきたが、自民党は公明党の合意を得ることができず「単独」で「自民党案」としての法案提出となった(写真は、公明党の実務者を務める中野ひろまさ衆院議員)。
 これまで議員立法においては自公で足並みをそろえるのが常だった。与党内でまとまらなかったのは異例だ。
 読売新聞は、

公明党の強硬姿勢も見誤り、自公間の隔たりを残したまま与野党協議に臨むことになる。(「読売新聞オンライン」5月16日

と報じている。
 この問題は、昨年末に発覚した自民党の政治資金問題に端を発している。安倍派など一部の派閥内で、政治資金パーティーのノルマ超過分がキックバックされ、それが政治資金規正法に定められた収支報告書への記載のないまま、議員の政治団体などに移されていた。
 加えて、現行では政党から議員に「政策活動費」として支給された資金に使途公開の義務がないことも見直すべきとの声が上がり、今国会での焦点の一つになってきた。 続きを読む

『ルネ・ジラール』――異能の思想家が築いた独自の「人間学」

ライター
小林芳雄

模倣(ミメーシス)的欲望論

 ルネ・ジラールは学際的な視点から独自の人間学を唱えたことで知られる。その研究は文芸批評からはじまり、人類学、神話学、最後には宗教哲学にまでおよぶ。まさに現代が生んだ知の巨人の一人である。翻訳書は多数あるが、従来の学問の枠組みに収まらない研究であるためか、一般的にはあまり知られていない。本書は彼の学説と生涯を簡潔にまとめた一書である。

欲望とは、世界や自己への関係である以前に、他者への関係である。欲望される客体とは、たとえそれが「〔意識から独立して存在している等の〕客体的な」質を備えているとしても、まずは「模範」と目される〈他者〉によって所有ないし欲望されている客体なのである。(本書58ページ)

 はじめに、ジラールの思想でまず注目しなければならないのは「模倣的欲望論」である。初期の著作『欲望の現象学』で示されたこの理論を、彼は生涯にわたって深めていく。
 欲求と欲望はことなる。欲求は生理的なもので限界があるが欲望には限度がない。欲求が欲望に変わる際に決定的な役割を果たすのは他者である。モデルとなる人物を模倣することによって、はじめて欲望を抱くようになる。ジラールは近代の文学的遺産に向き合うことにより、模倣が欲望を生み出すということを発見する。 続きを読む

『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第48回 正修止観章⑧

[3]「2. 広く解す」⑥

(7)灌頂による十六の問答①

 さらに、その後、灌頂の「私料簡」(個人的に問答考察すること)の段があり、十六個の問答がある。順に紹介する。

①第一の問答:十種の対象界の十について

 法(存在者)は塵や砂のように数が多いのに、対象界はどうして十種と確定しているのかという質問が立てられる。これに対して、『華厳経』の「一つの大地がさまざまな芽を生じることができるようなものである」(※1)という比喩を引用して、十という数はちょうど詳細でも簡略でもなく、内容をはっきり理解し易くさせるために十種というだけであると述べている。 続きを読む

世界はなぜ「池田大作」を評価するのか――第9回 音楽芸術への比類なき貢献

ライター
青山樹人

――ヨーロッパ訪問中の創価学会・原田稔会長が、10日午前、バチカン市国のアポストリコ宮殿で第266代フランシスコ教皇と会見しました(『聖教新聞』2024年5月12日付)。

青山樹人 小さなテーブルをはさんで教皇と会長が親しく語り合う様子が、バチカンのメディアでも報道されていました。教皇は世界に12億人以上の信徒がいると言われるローマ・カトリックの最高指導者であると同時に、バチカン市国の国家元首でもあります。
 したがって通常、謁見は集団で短時間となることが多いのですが、今回は個別会見で30分におよぶ異例の語らいだったようですね。フランシスコ教皇は核廃絶や環境問題、宗教間対話にも真剣に取り組んでいることで知られています。
 2017年11月、ローマ教皇庁が主催した「核兵器のない世界について語るバチカン会議」では、SGIもこの会議開催の協力団体となりました。会議には池田博正SGI副会長らが出席し、この折に教皇とも対面しています。

 池田先生の逝去にあたっても、フランシスコ教皇からは弔意が寄せられています。そのなかで教皇は「池田氏がその長いご生涯において成し遂げられた善、とりわけ、平和、そして宗教間対話の促進に尽力されたことを、感謝とともに記憶にとどめております」と述べています。 続きを読む

芥川賞を読む 第39回 『沖で待つ』絲山秋子

文筆家
水上修一

同期入社の男女の友情を爽やかに切なく描いた名作

絲山秋子(いとやま・あきこ)著/第134回芥川賞受賞作(2005年下半期)

純文学に対する見方が変わる

「芥川賞作品にもこんな作風のものがあるのだ」と妙に感心した。純文学と呼ばれるもの、なかんずく芥川賞作品に見られがちなかなり特殊な世界の話ではないし、難しいテーマでもない。多くの人が経験しているであろうことを平易な文章でさらりと描いて見せて、読後に爽やかな感覚を残していく。「ああ、おもしろかった」と思いながら本を閉じると、心の奥がほんの少し温かい。
 選考委員の河野多恵子は、

純文学まがいの小説くらい、くだらない読物はない。そういうものを読んで純文学はつまらないと思い込んできた人たちに、この作品で本物の純文学のおいしさを知ってもらいたくもなった

と絶賛している。
 第134回芥川賞受賞作、絲山秋子の「沖で待つ」が描いているものは、仕事を通して生まれた異性の友情である。なかんずく同期という特殊な人間関係の持つ絆の強さが鮮やかに描かれている。 続きを読む