第50回 正修止観章⑩
[3]「2. 広く解す」⑧
(7)灌頂による十六の問答③
⑪第十一の問答:五陰の外に五陰を観察するものがあるのか
五陰がみな対象界であれば、色心(五陰のこと)のほかに別に観察の主体があるのかという質問が立てられる。
これに対して、不思議の境智(不思議の対象界と観察する智慧)の立場では、五陰そのままが観察の対象界でもあり、観察の主体でもあると答えている。さらに、次のように区別する場合もあると答えている。不善(悪のこと)の五陰と無記の五陰は対象であり、善の五陰は観察の主体であること、観察の主体の善の五陰(悪の五陰も善の五陰も五停心・別相念処・総相念処の三賢=外凡の位)が方便の五陰(煖・頂・忍・世第一法の四善根=内凡の位)に転換し、方便の五陰が無漏の五陰(究極的には阿羅漢を指す)に転換し、無漏の五陰が法性の五陰(方便有余土における五陰)に転換する。法性の五陰とは、無等等(等しいものがないほど優れているの意)の五陰ともいわれる。このように対象界である五陰のほかに別に観察の主体としての五陰があることになる。これらの説明は小乗についていったものであり、まして不思議の立場ではなおさら観察の主体としての五陰があるといわれる。 続きを読む