『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第53回 正修止観章⑬

[3]「2. 広く解す」⑪

(8)陰入境を観ず・入境を明かす③

 『摩訶止観』は、大道(大乗)の覚りの困難さをいうために、常見の人は異念(複数の念)によって煩悩を断ち切ると説き、断見の人は一念によって煩悩を断ち切ると説くという『大集経』を引用している(※1)。そして、このような中道に合致しないあり方を批判して、次のように述べている。

 皆な二辺に堕して、中道に会せず。況んや仏の世を去りて後、人根は転(うた)た鈍にして、名を執し諍いを起こし、互相(たが)いに是非して、悉ごとく邪見に堕す。故に龍樹は、五陰の一異・同時前後を破すること、皆な炎・幻・響・化の如く、悉ごとく得可からざるに、寧(いずく)んぞ更に王・数の同時・異時に執せんや。(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅱ)、552頁)

と。常見と断見はどちらも二辺(二つの極端)に堕落し中道に合致しないと批判される。仏が世を去って後、人々の能力はますます鈍くなって、概念に執著して争いを生じ、たがいに非難し、すべて邪見に堕落することを指摘している。そこで、龍樹は、五陰の一・異、同時・前後を破折したとされる。『輔行』巻第五之二では、「一異」と「同時前後」を同じ意味に解し、「一とは、『毘曇』の王と数と同時なるを謂う。異とは、『成論』の王と数と前後するを謂う」(大正46、291上10~11)と解釈している。要するに、「一」と「同時」は、前に説明した心王と心作用が同時に生起する立場を指し、「異」と「前後」は、心王と心作用が前後して生起する立場を指すと解釈している。五陰はすべて炎、幻、響、化(幻術師によって作り出されたもの)のようなもので、すべて実体として捉えることはできないのであるから、あらためて心王と心作用が同時であるか異時(前後があること)であるかに執著することはできないと述べている。 続きを読む

本の楽園 第189回 言葉から言葉つむがず

作家
村上政彦

 びっくりした。俵万智が還暦を過ぎたという。僕からしたら、昨日まで大学生だった親戚の姪が、いきなりけっこう大人な姿で現れたようなものだ。俵万智は、いつまでも『サラダ記念日』の歌人である。

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

 しゃきしゃきの生野菜のような言葉の味わい。作者の印象もそうだった。その俵万智が還暦を過ぎた? 61歳? いやー、歳月の流れは速い、といかにも凡庸な物書きらしからぬことをおもった。
『アボカドの種』は、この4年ほどの作品を収めた歌集だ。読んでみると、確かに俵万智は大学生ではない。ひとり息子を大学へやり、けっこう重いらしい病気にもなり、韓流ドラマにはまっている。これは、もはや立派な大人の女性である。しかも、そう若くはない。
『サラダ記念日』は、ひたすら眩しかった。きらきらしていた。ヒカリモノだった。けれど、新作はさまざまな経験を経て、磨きこまれて鈍い艶を出している木斛のようだ。 続きを読む

『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第52回 正修止観章⑫

[3]「2. 広く解す」⑩

(8)陰入境を観ず・入境を明かす②

 「陰入境を観ず」・「入境を明かす」(※1)の段落の続きである。今回の範囲では、まず九種の五陰を取りあげている。『摩訶止観』巻第五上には、

 一期(いちご)の色心を果報の五陰と名づく。平平(びょうびょう)の想受は、無記の五陰なり。見を起こし愛を起こすは、両(ふた)つの汚穢(おえ)の五陰なり。身口の業を動ずるは、善悪の両つの五陰なり。変化示現は、工巧(くぎょう)の五陰なり。五善根の人は、方便の五陰なり。四果を証するは、無漏の五陰なり。是の如き種種は、源は心従り出ず。(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅱ)、550頁)

と述べている。これは、『大乗義章』巻第八、「次に三性に就いて、五陰を分別す。三性と言うとは、所謂る善・悪・無記性なり。『毘曇』の如きに依るに、陰に別して九有り。相従して三と為す。言う所の九とは、一に生得の善陰なり。二に方便の善陰なり。三に無漏の善陰なり。四に不善の五陰なり。五に穢汚(えお)の五陰なり。六に報生の五陰なり。七に威儀の五陰なり。八に工巧の五陰なり。九に変化の五陰なり(底本の注記の校異によって「九変化五陰」を補う)」(大正44、 623下6~11)とほぼ共通である。 続きを読む

本の楽園 第188回 制服なんて大嫌いだ

作家
村上政彦

 このあいだ衣替えをしていた妻が、いきなり仕事部屋のドアを開けて、いらない服はすてます、といった。ちょっと待ってよ。置いてあるんだから、全部いるでしょ。でもさ、もう5年も着てない服があるわよ。それだけ着なかったら、もう、いらないでしょ。
 5年のあいだ着ていない服は捨てる――これは妻が実行している5年ルールらしい。結婚して30年以上になるけれど、初めて知った。彼女はそうして持ち物を整理しているのだ。
 でも、5年のあいだ着ていなくても、突然に着ようとおもうことだってあるかもしれない。そんなこといってるから、どんどん服が溜まっちゃうのよ。じゃ、自分でやってね。その日から僕は捨てられない人の烙印を押された。
 確かに妻のいうことも一理はある。仕事部屋を見ても、僕は書類がなかなか捨てられない。本は増えてゆくばかり。いつか、資料として使うかもしれない、とおもうからだ。やはり僕は、捨てられない人なのか。
 そんなことを考えながら本屋をぶらぶらパトロールしていたら、『一年3セットの服で生きる』という本を見つけた。 続きを読む

「神宮外苑」を争点化する愚かさ――共産党の扇動に便乗する候補者

ライター
松田 明

全国で一番安い都知事の給与

 注目の東京都知事選挙が本日6月20日に告示された。ここから7月7日の投票日まで、短期決戦の選挙となる。
 首都東京は、日本の人口の1割を超す1400万人が暮らし、職員の総数は警視庁や東京消防庁まで含めると16万6000人以上。一般会計に特別会計と公営企業会計を合わせた都全体の予算規模は、16兆5584億円(単純合計)で、ギリシャやスウェーデンの国家予算を上回る。
 しかも、地方自治体なので議会も首長も住民が選挙で選ぶ二元代表制。つまり、都知事を選ぶことは東京という世界有数のメガシティの〝大統領〟を選ぶことに等しい。
 なお、東京都民の平均月収は全国の都道府県でトップだが、都知事の給与は全都道府県知事のなかで最低額の72万8000円である。これは、小池知事が自らの発案で2016年から知事給与を半減させ続けているからだ。 続きを読む